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ベニスモモ(紅李、紅酸桃)の実 ! [ヘッダー画像]

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別名:ベニバスモモ(紅葉李)
2024.04.16撮影
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コデマリ(小手毬)! [ヘッダー画像]

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別名:スズカケ(鈴懸け)(古名)
2022.04.12撮影
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アイリス ! [ヘッダー画像]

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2024.04.16撮影
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ケマンソウ(華鬘草)! [ヘッダー画像]

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別名:タイツリソウ(鯛釣り草)、ケマンボタン(華鬘牡丹 )、フジボタン(荷包牡丹)、ヨウラクボタン(瓔珞牡丹)
2022.04.12撮影
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【雁書】(がんしょ) [かわうそ@暦]

【雁書】(がんしょ)
 手紙。書簡。→かりのつかい 《広辞苑・第六版》

 4/9~4/13の七十二候は清明の次候「雁水へ帰る」で雁の渡りの時期ですので、本日のコトノハでは雁の渡りに関連する言葉として「雁書」を採り上げてみました。

 ※4/9~4/13は2024年で計算した結果です。

 「雁書」は紀元前2~1世紀にかけて生きた前漢王朝の官僚、蘇武の故事から生まれた言葉ですが、御覧のとおり辞書の語釈は期待したものより大分シンプル。少々寂しすぎる短い説明でした。流石にこの短い語釈を元に話を膨らませるのは辛いなと感じましたので、同じ故事から生まれた「雁」を用いた「雁の使」という言葉も引いて、援用してみます。

【雁の使】(かりの つかい)
[漢書蘇武伝](前漢の蘇武が匈奴に使者として行き久しく囚われた時、蘇武を帰国させるために、「蘇武からの手紙が天子の射止めた雁の脚に結ばれていた」と使者に言わせて交渉したという故事から)消息をもたらす使いの雁。転じて、おとずれ。たより。手紙。消息。雁書(がんしょ)。万葉集8「九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞え来ぬかも」 《広辞苑・第六版》

 こちらの方は程よい長さで、蘇武のことにも雁書にもふれてくれている有り難い語釈。助かります。ではこの「雁の使」の語釈も踏まえて雁書にまつわる故事を語ることにいたします。蘇武は前漢の武帝の時代、北方の大敵、匈奴(きょうど)への外交交渉の使者として送られた人物です。蘇武はそこで匈奴(と匈奴に投降した漢の武将)のゴタゴタに巻き込まれ、匈奴に投降するか、死ぬかの二者択一を迫られることになりました。このとき蘇武は投降を拒んで死を選びました。こうして蘇武は死刑となる日を待つ身となりました。ただ匈奴側にしても外交使節として派遣された蘇武を処刑しては、その点を漢に責められてしまうので、直接死刑とはせず「蘇武は自然に死んだ」という体をとることとし、蘇武を穴蔵のような牢獄に閉じ込め、食べ物も水も与えられませんでした。蘇武は漢の使節を表す飾り物を口に入れて餓えをしのぎ、牢の前に降り積もった雪をかじって乾きをいやしながらなんとか命をつなぎます。こうしてなんとか生きながらえていると、いつまでも死なない蘇武をみて、警備の匈奴兵らは

  この人は人間ではなく、神かもしれない?

 と思うようになり、密かに供え物をするようになりました。また既に投降した漢人たちも密かに援助を行うようになったことで、蘇武はどうにか生きながらえることが出来ました。当初のもくろみと違って蘇武がいつまでも死なず、またこんな苦しい境遇になっても投降するとは言わないので、困ってしまったのは匈奴でした。自然に死んだことにしたい蘇武を幽閉していることを後から来た漢からの使節などに見られては拙いので蘇武を漢から遠い現在のバイカル湖の畔の地に移して、羊を何頭か与えてこの羊が子を産んだら、漢に返してやると言い渡しました。もちろん匈奴は蘇武を漢に返すつもりなどありませんでしたから、このときに蘇武に与えられた羊は全て牡でした。羊が全部牡ばかりですから、もちろん羊が子を生むことはありませんでしたが、とりあえずすぐに殺されることだけはなくなった蘇武は、バイカル湖畔の荒れ果てた地で草の実を採り、野ネズミを捕まえるなどして19年の間、生き続けました。この19年の間に漢は武帝の時代から次の昭帝の時代となっており、匈奴との間にも和睦が成立していました。そんな頃、とうに死んだと思われていた蘇武が今も匈奴の地で囚われ、生き続けているという情報を漢に届ける者がありました。漢は速やかに蘇武を生還させるように求める使者を匈奴に送りましたが匈奴は「蘇武は死んでいる」の一点張り。そこで使者は一計を案じ「実は先頃、陛下が狩をなさり、その時射止めた雁の足に『蘇武は沼の中にいる』と書かれた絹の切れ端が結びつけられていたのですよ」と詰め寄ったのです。この計略が上手くいって「バレている」と悟った匈奴は蘇武をバイカル湖のほとりから連れ戻し漢に返しました。19年ぶりに漢に帰還した蘇武の髪や髭は既に真っ白で、長い間の苦労の間に風貌も変わってしまっていましたが、その手には君命を帯びた日に渡された外交使節の証である「節(せつ)」が握られていました。「雁書」や「雁の使」は、この蘇武の故事から生まれた言葉で遠く離れた人の音信を伝える物を表すものとなりました。冬が終わり春が訪れると、寒さを避けて南の地に渡っていた雁が、北の住処へ帰って行くようになります。南から北へと渡ってゆく雁たちは、春の訪れを知らせる季節の使いでもあります。北へ渡る雁の中には、その足に「春はここまでやってきました」と書かれた絹の切れ端が結びつけられた雁がいるかもしれません。

                          (「2024/04/12 号 (No.6404) 」の抜粋文)
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