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「大正」最初の日と「明治」最後の日 [かわうそ@暦]

■「大正」最初の日と「明治」最後の日
 本日の記念日データには

 ◇「大正」改元の日
  1912年(明治45年)のこの日、明治天皇が崩御され「大正」と改元された。

 ◇明治最後の日
  1912(明治45)年、明治天皇の崩御により「大正」と改元された。

 と2つの記念日が並んでいます。1912年の今日、元号が「明治」から「大正」へと変わったわけです。改元されたわけですから、この日は大正元年 7月30日となったわけですね。目出度し目出度し・・・だと話が終わっちゃいますが、終わりませんよ。

◇大正改元詔勅の日付
 では、1912年 7月30日は大正元年 7月30日であって、明治45年 7月30日ではないのかというと、そんなことは有りません。現に明治45年 7月30日と書かれた公文書が有ります。その公文書の例が、なんと「大正改元の詔書」なのです。古い時代の詔書なのでちょっと読みにくいのですが、これを掲げれば次の通り。
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 朕菲?ヲ以テ大統ヲ承ケ祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ茲ニ先帝ノ定制ニ遵ヒ明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト爲ス主者施行セヨ

   御 名 御 璽

      明治四十五年七月三十日
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 となります。いろいろ書いてありますが要するに明治45年 7月30日以後を大正元年とするということですね。日付の箇所にはしっかりと「明治四十五年七月三十日」と書かれています。考えてみればこれはあたりまえ。この詔書が出されて初めて「大正」という元号が誕生するわけですから、この詔書が書かれた時代は当然大正で有るはずがありません。よって、「実際にあった日付」としては「明治45年 7月30日」があったということになります。

◇大正元年 7月30日は何時から?
 では大正元年は 7月30日の何時からでしょうか?改元の詔勅が発効した瞬間からでしょうか?これに関しては、詔勅が発効した瞬間に7月30日の始めに遡って大正という元号となります。よってこの詔勅が有効になっている現在からすれば、暦の上の大正元年は1912年 7月30日 0時からと言うことになります。

◇即日改元と踰日改元
 大正改元のように先帝崩御の日に改元となる場合を「即日改元(そくじつかいげん)」と呼ばれます。即日改元の例は大正改元と昭和改元があります。これに対して先帝崩御の日の翌日に改元される場合を「踰日改元(ゆじつかいげん)」呼びます。踰日改元の例としては、平成改元があります。平成改元では昭和64年1月7日の翌日が平成元年1月8日になります。即日改元の場合は実際に存在した前元号の最後の日と暦の上での新しい元号の日が重複してしまいますが、踰日改元の場合はこうした重複の問題がなく判りやすいです。
 
※平成から令和にかけては譲位という形をとりましたが、現上皇陛下が退位なさった翌日から令和となりましたので、改元のタイミングからすると踰日改元の例といえるでしょう。大正~平成改元について述べてきましたが、それ以前はどうなっていたかというと元号の区切りは日付ではなくて「年」を単位としていました。ですから即日改元、踰日改元ではなくて即年改元か踰年改元でした。即年の場合、改元がなされると暦の上での元号はその年の初めまで遡ることになります。慶応四年が即年改元でその元日まで遡って明治元年になっていますから即年改元の例といえますね。でも即年改元がなされたからといって、慶応四年という年がなくなったわけではありません。歴史上の月日と暦上の月日の違い、ちょっと面倒ですね。本日の大正から明治への改元の日は、この「ちょっと面倒な話」のよい例なので取り上げてみました。(「2021/07/30 号 (No.5417) 」の抜粋文)

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