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今日(7/31)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(7/31)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】。
下弦の月は日付が切り替わる頃に東の空に昇り、夜明け頃には、真南の空の高い場所に見つけることができます。旧暦日による呼び名では【二十二夜の月】です。

◆お月様の基礎データ
・下弦の半月の瞬間は 7/31 22時16分 (月齢は 21.5)
 ※下弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が270度となる瞬間です。
・月出:7/31 22時59分 月没:8/1 12時38分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):8/1 5時44分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 403100 km (平均距離の 1.05倍)。

 月は平均より 18100km遠く、見かけの大きさはいつもより小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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2021-07-31 [twitter投稿]



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ブドウ(葡萄)! [ヘッダー画像]

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2021.07.30撮影
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2021-07-30 [twitter投稿]



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キキョウ(桔梗)! [ヘッダー画像]

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2021.07.30撮影
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「大正」最初の日と「明治」最後の日 [かわうそ@暦]

■「大正」最初の日と「明治」最後の日
 本日の記念日データには

 ◇「大正」改元の日
  1912年(明治45年)のこの日、明治天皇が崩御され「大正」と改元された。

 ◇明治最後の日
  1912(明治45)年、明治天皇の崩御により「大正」と改元された。

 と2つの記念日が並んでいます。1912年の今日、元号が「明治」から「大正」へと変わったわけです。改元されたわけですから、この日は大正元年 7月30日となったわけですね。目出度し目出度し・・・だと話が終わっちゃいますが、終わりませんよ。

◇大正改元詔勅の日付
 では、1912年 7月30日は大正元年 7月30日であって、明治45年 7月30日ではないのかというと、そんなことは有りません。現に明治45年 7月30日と書かれた公文書が有ります。その公文書の例が、なんと「大正改元の詔書」なのです。古い時代の詔書なのでちょっと読みにくいのですが、これを掲げれば次の通り。
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 朕菲?ヲ以テ大統ヲ承ケ祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ茲ニ先帝ノ定制ニ遵ヒ明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト爲ス主者施行セヨ

   御 名 御 璽

      明治四十五年七月三十日
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 となります。いろいろ書いてありますが要するに明治45年 7月30日以後を大正元年とするということですね。日付の箇所にはしっかりと「明治四十五年七月三十日」と書かれています。考えてみればこれはあたりまえ。この詔書が出されて初めて「大正」という元号が誕生するわけですから、この詔書が書かれた時代は当然大正で有るはずがありません。よって、「実際にあった日付」としては「明治45年 7月30日」があったということになります。

◇大正元年 7月30日は何時から?
 では大正元年は 7月30日の何時からでしょうか?改元の詔勅が発効した瞬間からでしょうか?これに関しては、詔勅が発効した瞬間に7月30日の始めに遡って大正という元号となります。よってこの詔勅が有効になっている現在からすれば、暦の上の大正元年は1912年 7月30日 0時からと言うことになります。

◇即日改元と踰日改元
 大正改元のように先帝崩御の日に改元となる場合を「即日改元(そくじつかいげん)」と呼ばれます。即日改元の例は大正改元と昭和改元があります。これに対して先帝崩御の日の翌日に改元される場合を「踰日改元(ゆじつかいげん)」呼びます。踰日改元の例としては、平成改元があります。平成改元では昭和64年1月7日の翌日が平成元年1月8日になります。即日改元の場合は実際に存在した前元号の最後の日と暦の上での新しい元号の日が重複してしまいますが、踰日改元の場合はこうした重複の問題がなく判りやすいです。
 
※平成から令和にかけては譲位という形をとりましたが、現上皇陛下が退位なさった翌日から令和となりましたので、改元のタイミングからすると踰日改元の例といえるでしょう。大正~平成改元について述べてきましたが、それ以前はどうなっていたかというと元号の区切りは日付ではなくて「年」を単位としていました。ですから即日改元、踰日改元ではなくて即年改元か踰年改元でした。即年の場合、改元がなされると暦の上での元号はその年の初めまで遡ることになります。慶応四年が即年改元でその元日まで遡って明治元年になっていますから即年改元の例といえますね。でも即年改元がなされたからといって、慶応四年という年がなくなったわけではありません。歴史上の月日と暦上の月日の違い、ちょっと面倒ですね。本日の大正から明治への改元の日は、この「ちょっと面倒な話」のよい例なので取り上げてみました。(「2021/07/30 号 (No.5417) 」の抜粋文)

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2021-07-29 [twitter投稿]



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【風鈴】(ふうりん) [かわうそ@暦]

【風鈴】(ふうりん)
 小さい鐘のような形をして、中に舌の下がっている金属製・陶器製・ガラス製などの鈴。吊しておくと風に吹かれて快い音を発する。風鐸(ふうたく)。夏の季語。〈書言字考節用集〉。「軒下に風鈴を下げる」  《広辞苑・第六版》

  「何処にしまったかな?」

 梅雨あけして、夏の暑さが押し寄せてきました。暑さにはかなり強い私ですが、それでも押し寄せてきた猛烈な暑さには辟易するものがあります。暑さには結構強いが、冷房には滅法弱くて、すぐに体調を崩してしまう私は出来る限り自然の風に頼って、この暑さを乗り切りたいと思っているのですが、ここまで暑くなってしまうと窓から入ってくる風も生ぬるく、お世辞にも涼風とはいえません。それでも無いよりはましですが。無いよりはましの生ぬるい風を、気分だけでも「涼風」に変えたいと、まだ開けていなかった引っ越して荷物を開いて引っ張り出してきたのは風鈴でした。打ち水だったり、氷だったり、浴衣だったり、団扇だったり。暑い夏を少しでも快適に過ごすための工夫は、色々あります。風鈴もそうした夏を快適に過ごすための工夫の一つでしょう。他のものは気温を下げたり、体感温度を下げる効果の期待されるもので、直接に暑さを押さえる効用があるものですが、その点では風鈴は何の役にも立ちません。ただ、窓の辺りで「チリリ~~ン」と鳴るだけです。ですが、この「チリリ~~ン」を聞くと、なぜか涼しくなった気がします。「あ、あった、あった。」引越荷物からゴソゴソと探し出してきた私の風鈴は、風鈴とは云いながら鈴や鐘のような形のものではありません。四本の火箸がつり下がり、その間に舌のついた金具がぶら下がっているというものです。風が舌を揺らすと舌に繋がった金具が、その周りに下がった火箸に当たり音を発する、火箸風鈴というものです。風が吹くたびに、四本の火箸は微かな、長く尾を引く澄んだで鳴ります。本来は暖をとるために使われる火鉢に使われるはずの火箸が、涼を得るために使われるとは、なんだか面白い組み合わせの風鈴です。「あ、風だ」窓辺で火箸が鳴っています。火箸を鳴らせた風の勢いは弱く、なかなか私のところまでやって来てくれませんが、前触れの風鈴の音を聞くだけで、いくらかの風を感じた気がしました。(「2021/07/29 号 (No.5416)」の抜粋文)
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2021-07-28 [twitter投稿]



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