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【弥生】(やよい) [かわうそ@暦]

【弥生】(やよい)
 (イヤオヒの転) 陰暦 3月の異称。春の季語。古今和歌集恋「やよいのついたちより、しのびに人にものら言ひてのちに」 《広辞苑・第六版》

 今日、2024/04/9は旧暦では三月、弥生の朔日です。弥生は和風月名と呼ばれる、伝統的な月名の一つ。和風月名の多くは、日本が原始的な自然暦を用いていた時代に生まれた名前だと考えられます。そのため、その名前は人々の生活や自然の変化などを直接読み込んだようなものがあります。この「弥生」という名称もそうしたものの一つ。

 ※和風月名の話 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0102.html

 「弥生」の語源説には、
 1.クサキイヤオヒツキ(草木弥生月)の略。イヤオイ(弥生)の義。
 2.ヤヤオヒ(漸々成長)の約。ヤヤオヒヅキ(漸生月)の義。
 3.桜梅の盛りであるところから、ヤウバイの反ヤヒの転か。
   《日本語源大辞典より、抜粋》

 文字として記録が残る以前から言い習わされてきた言葉でしょうから、和風月名の語源については様々な説が有るものですが、その点からいうとこの弥生は大変に「異説」の少ない言葉です。幾つか説があったとしてもいずれも植物が生長する様を表した言葉という点で一致しています。冬の間、寒さに耐えていた植物が、春になって一斉に動き出す様は異説が入り込む隙がないほど印象的なものだったようです。自然が少なくなったといわれることの多い昨今ですが、都会の真ん中であっても気をつけてみれば、草木弥生月の姿を見つけることが出来るはずです。

                          (「2024/04/09 号 (No.6401) 」の抜粋文)
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サンブリテニア! [ヘッダー画像]

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別名:ジャメスブリタニア
2023.03.19撮影
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【お釈迦になる】 (おしゃかになる) [かわうそ@暦]

【お釈迦になる】 (おしゃかになる)
 取り返しがつかなくなる。使い物にならなくなる。不良品をだす。

 1.鋳物職人がお地蔵様をつくるつもりで誤ってお釈迦様をつくってしまったことからという。
 2.人が死ぬことをお釈迦になるということ。
 3.焼き物をつくる際、火が強すぎて不良品を出したとき、江戸訛りで「シがつよかった」と発音し、
  その「シがつよか」を四月八日に当て、この日が釈迦の誕生日(花祭りの日)なので、
 「お釈迦になる」が不良品を出すの意味になった。《成語林》より

 今日の記念日データなどを集めて入力していると、けっこう「語呂合わせの記念日」があります。語呂合わせの記念日の中には、それはないだろうと思うものも多く、あまり好きではないのですが、この言葉の語源 3に書かれているような、ひねりの利いた語呂合わせは好きです。

「シ(ヒ、火)がつよかった」から 4/8、 4/8から花祭り、花祭りは釈迦の誕生日という連想は見事。

 この語源 3を知ったのは、小学校の高学年か中学校に入ったばかりの頃だと記憶します。私の場合、この説を知るまで、4/8がお釈迦様の誕生日だと知りませんでした。そして以後ずっと、「お釈迦になる」という言葉を見たり聞いたりする度に、4/8の花祭り(灌仏会)を思い出すようになりました。この記事を書いているのは4/8。お釈迦様の誕生日である灌仏会、花祭りの日です。灌仏会、花祭りについては既に昨日書いておりますので本日は少し目先を変えて、今日の日付から生まれたとも言われる「お釈迦になる」という言葉を採り上げることにしました。いかがだったでしょうか?もしかしたら今回の記事で私と同じように「4/8はお釈迦様の誕生日」だということが刷り込まれる方が何人かはいるかも?そうだとしたら嬉しいです。お釈迦様も喜んでくださるかもな~。

                          (「2024/04/08 号 (No.6400) 」の抜粋文)
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ウコンザクラ(鬱金桜)! [ヘッダー画像]

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別名:キザクラ(黄桜)
2024.04.06撮影
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花祭り(灌仏会)・2024 [かわうそ@暦]

■花祭り(灌仏会)・2024
 明日は四月八日、花祭りの日です。花祭りは、仏教では重要な行事で灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)ともいいます(他にも、降誕会、仏誕会、誕生会、龍華会などの呼び名があります)。呼び名はいろいろですが、要は仏陀となられた釈迦がお生まれになった日を祝う行事です。

◇花祭りの日付
 花祭りの日付は「四月八日」ですが、これを新暦、月遅れ、旧暦と違った暦の日付で祝うため、地域により花祭りの時期が変わります。関東は新暦の 4/8。関西は月遅れの 4/8、つまり 5/8に行うのが現在では一般的なようです。中には「旧暦の日付で行うのが正式」と仰る方もいるのですが 4/8という日にお釈迦様が生まれたという伝説から、この日付を記念日として祝っているので、新暦とか旧暦とかを問題にするのはどうかと思います。お釈迦様が生きた時代(そして入滅した時代)とお釈迦様暮らした国でどんな暦が使われていたかは定かではありませんが、それが新暦(グレゴリウス暦)でないと言うことは当然。そしていわゆる旧暦といわれる暦でなかったことも、まず間違いの無い事実です。「昔の出来事だから、なんでもかんでも旧暦の日付けが正しい」という間違いです。釈迦誕生の伝説から判るのは、何かの暦で表した日付けが「四月八日」であったということだけ。新暦と旧暦の問題にしてしまうのはおかしいのです。

◇花祭り(灌仏会)の始まり
 『四月の八日、七月の十五日に設斎(おがみ)す』という記述が日本書紀、推古天皇十四年(AD 606)の条に書かれているのが日本における灌仏会の最初の記録だそうです。七月十五日というのは盂蘭盆会のことです。灌仏会は中国で生まれた行事だと考えられますが、この記述をみると、盂蘭盆と並んで日本における最古の仏教行事であると云うことが出来そうです。

◇花祭りの行事といわれ
 花祭りの行事といえば、花々で飾られて花御堂(はなみどう)を作り、その中に置かれた灌仏盤(かんぶつばん)または、浴仏盆(よくぶつぼん)と呼ばれるものの中に誕生仏を安置し、参拝者が竹の柄杓でこの誕生仏に甘茶を注ぐ。というようなものです。それぞれのお寺により違いが有るでしょうが、大体はこんなところでしょう。花御堂は釈迦が誕生したルンビニの花園を表しています。また、甘茶を誕生仏にかけるのは、釈迦の誕生を祝って九頭の龍が天から甘露を注いで産湯を使わせたという故事にちなむと言います(経典によっては龍の代わりに梵天や帝釈天だったりします)。つまり甘茶は、龍が注いだ甘露の代わりということです。平安時代は五種類の香料から作られた五色水(ごしきすい)を注いだといいます。五色水が甘茶に代わったのは江戸時代のことといわれます。このように、甘露に見立てた甘茶や五色水を誕生仏に注ぐことから、「灌仏会」と呼ばれます(「灌」は、注ぐの意味)。参拝者は帰りにこの甘茶を水筒(昔は竹筒の水筒)に詰めて帰ります。この甘茶を飲むと厄除けの効果があるとか。甘茶は漢方薬である甘草(かんぞう)で作るそうなので体にもよさそうです。

◇「花祭り」といわれる理由
 花祭りは、花御堂を造って誕生仏を祭ることから付いた名で、聖徳太子の時代からそう呼ばれたと言いますが、一般化したのは大正時代以後だと言われます。切っ掛けになったのは大正 5年から仏教関係者連合が日比谷公園で花祭りを実施し、年中行事としたことによると言われています(それ以前にも仏教青年伝道会等が「花祭り」を実施していた)。仏の誕生を祝う行事であるためか、子供を中心とした行事が多く、その意味で「灌仏会」なんて言ういかめしい名前より「花祭り」という柔らかな名称が好まれたとも考えられます。何はともあれ明日、四月八日はお釈迦様の誕生日。みんなでお祝いしましょうね。

                          (「2024/04/07 号 (No.6399) 」の抜粋文)
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ラウリンゼの花 ! [ヘッダー画像]

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2024.03.30撮影
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【晩方】(ばんがた) [かわうそ@暦]

【晩方】(ばんがた)
 ゆうがた。くれがた。 《広辞苑・第七版》

 ある噺家さんが枕(落語等の導入部分に入れる前置きのような話)のなかで「晩方」という言葉を使うのを耳にしました。「晩方」とはまた懐かしい言葉だなと感じ、印象に残ったので本日は早々とこの言葉を採り上げることにしました。「晩方」はその昔、親の世代が話す言葉の中に頻繁に現れたので、子供の頃の私にはなじみのある言葉でしたが、今では懐かしいと感じるほど使うことも耳にすることも減った言葉の一つです。自分自身を顧みると、おそらく40年くらいは、この言葉を使ったことがないと思います。広辞苑の語釈に現れる「ゆうがた(夕方)」は今でも頻繁に使います。「くれがた(暮れ方)」もたまに使いますので

  晩方 = 夕方,暮れ方

 であれば、同じ意味の言葉で入れ替えていると言うことも出来るのですが、私の中では晩方と夕方、暮れ方がどうしても同じには思えず、辞書の説明はどうもしっくりきません。座り心地のよくない椅子に座っている感じです。「夕方」は日の光があるか日没後でもその光がわずかに残っている時間帯を指す言葉。「暮れ方」は日没に近い夕方の一部の時間帯で、晩方はそれより遅い時間、夕方と呼ばれる時間帯の最終版の日の光がほぼ消える頃以降の時間帯。ただしあまり遅い時間は含まないので「夜」という言葉とも違う言葉のように私には感じられます。私の語彙の中で「晩方」に近い時間帯を指す言葉を探すと「宵の口」が引っかかるのですが、意味的には近く感じますが、「宵の口」ではなんだか洒落すぎていて、晩方に感じる素朴さのようなものが感じられません。もちろんこれも私の感覚ではですけれど。噺の枕に「晩方」という言葉を枕に使った噺家さんは、お若いですけれど古典落語を得意とする方なので、枕の中でもこうした言葉がすんなりと出てくるのでしょう。おかげで年寄りの久々に懐かしい言葉にふれることが出来ました。「こんな言葉は、無くしたくないな」自分では何十年も使ってこなかったことを棚に上げて、そんなことを考えながら落語を聴いている私でした。「晩方」、皆さんは使っていますか?

                          (「2024/04/06 号 (No.6398) 」の抜粋文)
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ハナズオウ(花蘇芳)! [ヘッダー画像]

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別名:スオウバナ(蘇芳花)
2021.03.17撮影
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【桜色】(さくら いろ) [かわうそ@暦]

【桜色】(さくら いろ)
 桜の花のような色。淡紅色。「ほんのり桜色に上気する」《広辞苑・第六版》

 今は桜と言えば染井吉野の花、桜色も染井吉野の花の色を思い浮かべるようになってしまっていますが、桜色という言葉が生まれた時代の桜は染井吉野ではなくて山桜。山桜は白い花とともに紅色の若葉が現れ、同時に見えることから、まずは平安時代の貴族女性の衣装である十二単の色目の組み合わせとして「桜襲(さくらがさね)」が生まれました。元の花色に近い桜襲は「表白・裏赤花」という組み合わせであったといいます。この配色は、山桜の白い花と、その間から見える紅色の若葉の組み合わせを表したものでしょう。そして、白い花と紅色の若葉に彩られた山桜を遠望すれば、花と葉の色が混じり合って薄い紅色となり、これが桜色と呼ばれるようになったようです。桜色は布地の織色としては、縦糸(経、たて)を紅糸、横糸(緯、ぬき)を白糸で織ったものがもっとも桜色に近いとされます。染め色としての桜色は江戸の中期頃から広く使われるようになり、今に至っています。桜と関係する色名としては英名のチェリー(Cherry)、仏名のスリーズ(Cerise)がありますがどちらも、桜の花色ではなく、実であるサクランボの赤色を表す言葉です。所変われば品変わるといいますが、国が違えば「桜」で想像するものが花と実の違いがあるようです。想像するものが花と実の違いがありますから、桜の色の意味する色も、違ったものになるものなんですね。

                          (「2024/04/05 号 (No.6397) 」の抜粋文)
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