どんな「初夢」を見るのかな? [かわうそ@暦]
□どんな「初夢」を見るのかな?
お正月には、いろいろな新年の初ものが続くことになりますが、その一つは「初夢」。
今年はどんな年だろう?
一人一人の一年の行方を示すといわれる初夢の話から、今年の暦のこぼれ話を始めてみます。
◇初夢と縁起
正月の一日と二日の間の夜に見た夢を初夢と言い、初夢によってその一年の運勢を占う風習があります。江戸時代から縁起のよい夢といえば、「一富士、二鷹、三なすび」として数え上げられたものでした。縁起の良い夢はこれで終わりではなくて、さらに「四綿、五煙草」と続くそうですが、喫煙については厳しい社会となりましたから、「五煙草」についてはそのうちに、「煙草ってな~に?」なんて時代が来ちゃうかもしれません。煙草の夢を見るなら今のうちかな? もっとも、私は喫煙の習慣がありませんので、そんなに困りませんけれどね(愛煙家の皆さんにはすみませんけれど)。
◇初夢を見る夜はいつ?
初夢を見る夜は何日の夜なのかということについていえば、正月一日と二日の間の夜という考えが現在は大勢を占めているようです。「年を越して初めての夢なら大晦日から一日の間じゃないの?」と言われたことがありますけれど、どうやらそうはならないようです。なぜ大晦日の夜ではなくて、正月一日と二日の間か?この辺に関してはっきりした理由はわからないので推量の部分ですが、元々大晦日からの年越し行事では、忌籠して眠らずに年神を迎えるというのが古くからの伝統で、「大晦日に早く眠ると早く白髪になる」といった言葉が出来るほどでしたから、基本的には大晦日から元日にかけての夜は「寝るべきではない夜」ということで、除外されているのでは?この晩は本来眠らないわけですから、夢を見ることも有りません。夜が明けてから寝ることになりますが、夜が明けてから寝たのでは、「晩に見た夢」という感じではありませんからね。となれば「夜にきちんと眠る」最初の晩は正月一日~二日の間と言うことになります。こうして初夢は一日から二日の間の晩に見た夢と言うことになったのだと考えます(どう思いますか?)。
このほかにも、初夢は二日と三日の間の晩に見る夢だという説もあります。この説は江戸時代末に拡がったものといわれています。これに対して最初に説明した一日と二日の間の晩とする説はそれ以前からあったものです。なぜこの二つの説が生まれたのでしょう。私の勝手な推測ですが、
・1日から2日説
新年で最初に見た夢が初夢であると考える。
・2日から3日説
仕事始めなどの年初行事が 2日から始まるので、 2日を実質的な年初と考え、
その日の晩に見た夢 が初夢であると考える。
といったところではないでしょうか。あくまでも私の推測であって、確証があるわけではないのですけれど。皆さんはいかがお考えでしょう?
◇初夢と宝船の絵
初夢によってその年の運勢を占うという行事は室町時代から拡がり始めたものだと言われます。枕の下には、七福神を乗せた宝船や、打ち出の小槌など縁起物を並べた宝づくしの図柄が描かれた絵を置きました。これによって吉夢をみようとしたのです。江戸時代には正月になると枕の下に置くための絵を売り歩く商売もあったそうですから、かなり広く行われた風習のようです。この絵は元は、米俵を描いただけの単純なものが、徐々に複雑になっていったものだと考えられます。ちなみに宮中では、今もって単純な俵の絵だとか。枕の下に絵を置いて吉夢を見ようとする風習自体は中国から伝来したもののようです(中国では、絵は夢を食べる動物と言われたバクの絵)。
◇正夢と逆夢
前述の宝船の絵には、「長き世のとをのねふりの皆めざめ波乗り船の音のよきかな」という歌が添えられていたそうです。上記の文は始めから読んでも逆から読んでも同じになる回文と言う奴です。縁起のよい夢を見た場合はそのまま、悪い夢を見たときにはこれを逆夢だと考えて「ひっくり返して吉とする」という考えからだそうです。
◇一富士、二鷹・・・
初夢で目出度いものとしてあげられる、
富士山、鷹、茄子、綿、煙草
ちなみに初夢で目出度いものとしてあげられた上記のものは現在の静岡あたりの名産品です。静岡県といえば、天下人となった徳川家康が晩年を過ごしたところ。どうやら天下人、徳川家康の「吉」にあやかろうと考えたもののようです。
◇初夢は夢の占い? それとも呪(まじな)い
現代の我々の感覚からすれば、初夢の夢占いはあくまでも運勢の善し悪しを見るものですが、昔の人の感覚では、初夢はやがて起こる出来事の前兆であり、夢で示された前兆に相応しい未来が訪れると考えていたように思えます。単に占うためだけであれば、何も宝船の絵を枕の下に置く必要が無いはず。それをするのは目出度い初夢は、目出度い未来を生み出すという図式が頭に有ったと思います。とすれば、宝船はよい一年がやってくるようにと、あらかじめ吉夢を見て運命をコントロールする呪いの一種と考えられます。現代では初夢からこうした呪いの要素が薄らいできたからでしょうか、近頃では枕の下に宝船の絵を入れるという伝統は大分廃れてきたように思えます。この記事をお読みの方の中には、宝船を枕の下に敷いて寝たことがあるなという方、あるいは「今夜は宝船を枕の下に敷いて寝よう」という方がいらっしゃるかも?折角の「初夢」ですから、佳い夢が見られるように、絵を描いて枕の下に敷いてみようかな? どんな初夢が見られるのか、楽しみにして今夜を迎えたいと思います。(『どんな「初夢」を見るのかな?』の抜粋文)
お正月には、いろいろな新年の初ものが続くことになりますが、その一つは「初夢」。
今年はどんな年だろう?
一人一人の一年の行方を示すといわれる初夢の話から、今年の暦のこぼれ話を始めてみます。
◇初夢と縁起
正月の一日と二日の間の夜に見た夢を初夢と言い、初夢によってその一年の運勢を占う風習があります。江戸時代から縁起のよい夢といえば、「一富士、二鷹、三なすび」として数え上げられたものでした。縁起の良い夢はこれで終わりではなくて、さらに「四綿、五煙草」と続くそうですが、喫煙については厳しい社会となりましたから、「五煙草」についてはそのうちに、「煙草ってな~に?」なんて時代が来ちゃうかもしれません。煙草の夢を見るなら今のうちかな? もっとも、私は喫煙の習慣がありませんので、そんなに困りませんけれどね(愛煙家の皆さんにはすみませんけれど)。
◇初夢を見る夜はいつ?
初夢を見る夜は何日の夜なのかということについていえば、正月一日と二日の間の夜という考えが現在は大勢を占めているようです。「年を越して初めての夢なら大晦日から一日の間じゃないの?」と言われたことがありますけれど、どうやらそうはならないようです。なぜ大晦日の夜ではなくて、正月一日と二日の間か?この辺に関してはっきりした理由はわからないので推量の部分ですが、元々大晦日からの年越し行事では、忌籠して眠らずに年神を迎えるというのが古くからの伝統で、「大晦日に早く眠ると早く白髪になる」といった言葉が出来るほどでしたから、基本的には大晦日から元日にかけての夜は「寝るべきではない夜」ということで、除外されているのでは?この晩は本来眠らないわけですから、夢を見ることも有りません。夜が明けてから寝ることになりますが、夜が明けてから寝たのでは、「晩に見た夢」という感じではありませんからね。となれば「夜にきちんと眠る」最初の晩は正月一日~二日の間と言うことになります。こうして初夢は一日から二日の間の晩に見た夢と言うことになったのだと考えます(どう思いますか?)。
このほかにも、初夢は二日と三日の間の晩に見る夢だという説もあります。この説は江戸時代末に拡がったものといわれています。これに対して最初に説明した一日と二日の間の晩とする説はそれ以前からあったものです。なぜこの二つの説が生まれたのでしょう。私の勝手な推測ですが、
・1日から2日説
新年で最初に見た夢が初夢であると考える。
・2日から3日説
仕事始めなどの年初行事が 2日から始まるので、 2日を実質的な年初と考え、
その日の晩に見た夢 が初夢であると考える。
といったところではないでしょうか。あくまでも私の推測であって、確証があるわけではないのですけれど。皆さんはいかがお考えでしょう?
◇初夢と宝船の絵
初夢によってその年の運勢を占うという行事は室町時代から拡がり始めたものだと言われます。枕の下には、七福神を乗せた宝船や、打ち出の小槌など縁起物を並べた宝づくしの図柄が描かれた絵を置きました。これによって吉夢をみようとしたのです。江戸時代には正月になると枕の下に置くための絵を売り歩く商売もあったそうですから、かなり広く行われた風習のようです。この絵は元は、米俵を描いただけの単純なものが、徐々に複雑になっていったものだと考えられます。ちなみに宮中では、今もって単純な俵の絵だとか。枕の下に絵を置いて吉夢を見ようとする風習自体は中国から伝来したもののようです(中国では、絵は夢を食べる動物と言われたバクの絵)。
◇正夢と逆夢
前述の宝船の絵には、「長き世のとをのねふりの皆めざめ波乗り船の音のよきかな」という歌が添えられていたそうです。上記の文は始めから読んでも逆から読んでも同じになる回文と言う奴です。縁起のよい夢を見た場合はそのまま、悪い夢を見たときにはこれを逆夢だと考えて「ひっくり返して吉とする」という考えからだそうです。
◇一富士、二鷹・・・
初夢で目出度いものとしてあげられる、
富士山、鷹、茄子、綿、煙草
ちなみに初夢で目出度いものとしてあげられた上記のものは現在の静岡あたりの名産品です。静岡県といえば、天下人となった徳川家康が晩年を過ごしたところ。どうやら天下人、徳川家康の「吉」にあやかろうと考えたもののようです。
◇初夢は夢の占い? それとも呪(まじな)い
現代の我々の感覚からすれば、初夢の夢占いはあくまでも運勢の善し悪しを見るものですが、昔の人の感覚では、初夢はやがて起こる出来事の前兆であり、夢で示された前兆に相応しい未来が訪れると考えていたように思えます。単に占うためだけであれば、何も宝船の絵を枕の下に置く必要が無いはず。それをするのは目出度い初夢は、目出度い未来を生み出すという図式が頭に有ったと思います。とすれば、宝船はよい一年がやってくるようにと、あらかじめ吉夢を見て運命をコントロールする呪いの一種と考えられます。現代では初夢からこうした呪いの要素が薄らいできたからでしょうか、近頃では枕の下に宝船の絵を入れるという伝統は大分廃れてきたように思えます。この記事をお読みの方の中には、宝船を枕の下に敷いて寝たことがあるなという方、あるいは「今夜は宝船を枕の下に敷いて寝よう」という方がいらっしゃるかも?折角の「初夢」ですから、佳い夢が見られるように、絵を描いて枕の下に敷いてみようかな? どんな初夢が見られるのか、楽しみにして今夜を迎えたいと思います。(『どんな「初夢」を見るのかな?』の抜粋文)
2017-01-01 13:49
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