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端午の節供と粽(ちまき)・柏餅(かしわもち) [かわうそ@暦]

□端午の節供と粽(ちまき)・柏餅(かしわもち)
 本日はこどもの日でお休み。こどもの日と言えば「端午の節供」として知られる 5/5です。本日は端午の節供定番の品から、粽(ちまき)と柏餅の話をしてみようと思います。

◇粽(ちまき)
 粽を「チマキ」は茅(チガヤ)で巻いた餅なので、この名になりました。今はチガヤ以外に笹や葦(アシ)の葉で巻く事が多いように思います。茅の葉はそれほど幅広いものではないですから、作る手間を考えるとこちらの方が現実的ですかね?さて粽の始まりですが、これは端午の節供とは直接は関わりのない中国の祭りの供物だったと考えられています。この祭りというのが中国の戦国時代、楚の政治家であり、詩人であった屈原(くつげん)を弔うためのものでした。屈原は日本においては詩を文学にまで引き上げたとされる大詩人として知られていますが、楚と秦の連合に反対したため政界を追われ、祖国楚が誤った選択をした事を嘆きながら汨羅(べきら)という河に身を投げて亡くなった憂国の政治家でもありました。楚の人々はこの屈原の死を悼み、屈原が汨羅に身を投げた日 5/5にこれを供養するために毎年この日に汨羅に蒸した米を竹筒に詰めたものを投げ込むようになりました。屈原の亡くなった日がたまたま端午の節供と同じ日付であったところから、このお供えの粽がやがて端午の節供の食べ物に変わってしまったようです。元々は竹に詰めた粽が「茅巻き」に変わった理由について、わからなかったのですが茅には疫病を祓う力がある植物だと考えられていたふしがあります(「茅環くぐり」の行事などにそれが感じられます)ので、端午の節供が梅雨時期の邪気を祓うための行事でもあったことを考え合わせると、単なる偶然とは思えません。はっきりした理由が見つかりましたら、また書いてみたいと思います。

 ※五月は梅雨の月
  現在の新暦では五月は初夏の清々しい月のイメージですが日本(東洋?)で長く使われていた旧暦
  では梅雨の月でした。今でも梅雨の時期の雨を表す「五月雨」等にその痕跡を見ることが出来ます。
 ちなみに今年、2024年の旧暦五月は新暦では6/6~7/5の期間です。

◇柏餅(かしわもち)
 粽は中国伝来のものでしたが柏餅は日本生まれの食べ物です。生まれたのは、江戸時代。寛永年間(1624~1644)頃といわれます。江戸時代はそれまでの戦国時代などと違って安定した時代で、この時代の武士たちは家禄世襲制のため出世の可能性が少ない代わりに、よほど大きな失敗がなければ子孫が残ればこの家禄も代々受け継ぐことが出来ました。してみると、武士の一番大切な任務は自分の代で家系を途絶えさせないこと。最たるものが徳川幕府のシステムですね。柏の葉は次の世代の葉の芽が出るまで古い葉が落ないと言われます。これは次の世代が現れるまで前の世代がなくなることがない、つまり代々子孫が絶えることなく家が続くことを象徴する目出度い植物だと言うことです。端午の節供は男児の節供。男系子孫への家督相続が基本でありましたから、端午の節供を祝ってもらえる子供達は将来家督を相続する可能性のある子供達。柏の葉のように、無事に育って家を継いでくれと言う願いを込めた柏餅だったようです。柏餅は主に関東で作られる祝いの餅で、関西地方では昔は作られていなかったとも聞きます。そう言えば東北出身の私には「柏餅」は珍しくもなかったのですが、西日本に住むようになってみると、柏餅に似たものはあるのですが、巻いている葉が柏ではない場合が多々みられました(この辺りだと、サルトリイバラの葉が使われます)。不思議に思っていたのですが調べてみると理由は簡単、柏の葉がなかったのです。柏は北方の植物で西日本にはほとんど自生していないのです。たしかにこの辺の山で柏の葉っぱを見かけたことがなかった。柏の葉がないのでは柏餅が作れないのもしかたがないということですね。端午の節供には粽、粽に飽きた頃には餡このつまった柏餅というのが、私の子供の頃の端午の節供の思い出。大人になっても甘い物好きの私は、今日も端午の節供だからと理由を付けて、好きな粽と柏餅を食べようと目論んでおります。

                           (「2024/05/05 号 (No.6427)」の抜粋文)

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