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卵の旬は春? 「鶏始めてとやにつく」 [かわうそ@暦]

■卵の旬は春? 「鶏始めてとやにつく」
 一年を72の期間に分けて、それぞれの時候の様子を表した言葉、七十二候ですが今年もいよいよその最後「鶏始めてとやにつく」の時節となりました。「鶏とやにつく」は二十四節気の最後となる大寒の末候で今年は1/30~2/3がその候の期間となります。七十二候はその名のとおりで72の季節を表す言葉なのです。二十四節気最後の大寒の末候ですから、この「鶏始めてとやにつく」が七十二候の最後のものとなります。この七十二候の最後となる「鶏始めてとやにつく」ですが、七十二候の中でも意味のわかりにくいものの一つ。「とや」って何でしょう?この語が七十二候に取り入れられたのは、日本独自の暦である貞享暦からです。それ以前に使われていた宣明暦(中国から輸入された暦法)までは

  水沢腹堅 (すいたく あつくかたし)

 が大寒の末候にありました。実は「鶏とやにつく」のもととなった言葉は宣明暦にもありましたが、これは別の候(大寒の初候)に使われていて、次のような文字が使われていました。

  宣明暦大寒初候 鶏始乳 (にわとり はじめてにゅうす)

 意味は、「鶏が春の気を感じて交尾し、卵を産み始める時期」という意味です。今では一年中手に入る卵ですけれど、野生の鳥が年がら年中卵を産まないのと同じで、鶏も原種に近いものは春にしか卵を産まないのだとか。今とは違うそんな鶏事情から、「鶏始乳」とこれを読み下した(?)「鶏始めてとやにつく」が立春直前の季節を表す言葉として七十二候に取り入れられたもののようです。そっか、鶏が卵を産むために巣ごもりするのがこの時期で、卵が生まれるのが春。卵の旬は春だったんだな・・・。ちなみに俳句の世界でも「卵」は一般に春の季語とされているそうです。元は「鶏始乳(にわとりはじめてにゅうす)」だったこの言葉ですが、このままでは意味がとりにくかったからでしょうか、貞享暦でこれを「にわとりはじめてとやにつく」と読むようになりました。「とやにつく」は「鳥屋につく」の意味でしょう。鳥が産卵のために巣に籠もると云う意味です。漢字の意味から意訳的に読み下したと云うところですね。今では七十二候の中でも解り難いものの一つとなっている「鶏始めてとやにつく」ですが、このようなわけで、七十二候の最後に配され、春の始まりを待つ時節の言葉となりました。

                           (「2024/01/30 号 (No.6331)」の抜粋文)
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「雪下出麦」、恥ずかしながら間違えてました [かわうそ@暦]

■「雪下出麦」、恥ずかしながら間違えてました
 本日は恥ずかしい失敗の話です。私のことですので、失敗談には事欠かないのですが、本日の話は最近発覚した、長いこと間違えていたことの話です。何を長いこと間違えていたかというと、七十二候の読み。間違えていたものは

  雪下出麦 ・・・ 雪下りて麦のびる(ゆきくだりて むぎのびる)

 これは七十二候の六十六候(冬至の末候)。直近では2024/1/1~1/5に配された七十二候です。こちらの読みを長いこと「ゆきわたりて むぎのびる」と間違えいたのでした。さて、どこがちがっていたか、判りましたか?こよみのページで使用している七十二候は、基本的には明治時代の略本暦に一時期書き込まれていたものを、読み仮名まで含めて使用しています。とは云いながら、実際にはこよみ読み解き事典(岡田芳朗+阿久根末忠編著 柏書房)に各時代の各時代の七十二候をまとめた表が有り、これから引用させていただいたのです。そこにあった「雪下出麦」の読みが誤っていました。この間違いについては「下りて」がなぜ「わたりて」になるのかと云ったご質問を受けて、資料を確認して誤りだと気が付きました。元になった明治期の略本暦(七十二候が記載されていたのは、明治七~十七年の間)の七十二候の読みは当時、慣用的に使っていただろう読みで、意訳としか思えないような読みもあるので、この候もそうしたものなのだと思って、疑問にも思わなかったのです。ご質問があって、前出の「こよみ読み解き事典」の表を確認しましたが、ついでに手持の略本暦を引っ張り出してきたら、明治八年、十一年のものがあったのでこちらも「念のため」と思って確認したところ

   雪下出麦 ユキクダリテムギノビル

 とありました。あらら「くだりて」じゃないか・・・。なぜこれが「わたりて」と間違えたのか?と思いましたが、略本暦の読み仮名のとおり、カタカナで書き表してみたら判りました。並べてみましょう。

  (正) ユキクダリテムギノビル
  (誤) ユキワタリテムギノビル

 あ、「ク」と「ワ」を間違えたのだ!当時の略本暦は木版印刷だったと思われるますので、本によっては印刷のかすれなどで読みにくい場合もありますし、版によっては濁点が省略されているもの(昔はよくあった)もあって、「こよみ読み解き事典」収録の際に読み違えたもなのではないかと推測した次第です。今回、実際の略本暦を確認して間違いが判りました(読み仮名、小さいので拡大鏡で拡大して読みました)。間違いは恥ずかしいですが、遅ればせでも間違いに気がつけて訂正できたのは何より。質問いただいてよかった。もちろん、誤りに気がついてWeb こよみのページの七十二候のページの読みは直ぐに直しましたので、現在は正しく表示されております。本日は、恥ずかしい私の間違い話から、最近の一つをご紹介しました。「雪下出麦」は「ゆきくだりて むぎのびる」ですよ、皆さん!間違えてしまって、済みませんでした。ごめんなさい。

                          (「2024/01/28 号 (No.6329) 」の抜粋文)
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「求婚の日」です [かわうそ@暦]

□「求婚の日」です
 本日は、1/27。「求婚の日」です。【求婚】(きゅう こん) 結婚を申し込むこと。プロポーズ。 《広辞苑・第七版》

 「求婚」という言葉自体、ちょっと古めかしい感じですし、そうそう使う言葉でもないので、いきなり「きゅうこんの日」と言われたら球根の日?と思ってしまうかもしれません。今はまだ冬ですが、春はもうすぐそこまできていますから今から春植えの球根を用意して・・・なんて想像をしてしまいそうですが、そうではありません、「きゅうこん」は「求婚」の方でした。

◇時代変われば(過去~現在編)
 「求婚の日」という記念日は如何にしてできたのだろうかと、想像するとよくある日付の語呂合わせか? でも、1/27の日付をどう料理してもキュウコンとは読めそうにありません。では、有名な方が熱烈なプロポーズした(あるいはされた)日か?しかし、今日の記念日の「求婚の日」の謂われを読むと、そんな夢からあっさりとさめてしまいます。熱烈ではなくて事務的というか・・・。

  『先頃女房を離縁して不自由勝ゆえ、貧富を論ぜず、十七歳以上二十五歳にて           
   嫁にならうと思ふ者は照会あれ。』

 簡潔にして明瞭。「家政婦さん求む」ならこの文章でもよいかもしれませんけれど、現代でこんな広告を出したらどんなことになってしまうか。今の時代の常識で昔を語ってはいけないとは思いますが、この広告が新聞に掲載された1883(明治16)年当時では、それ程おかしなものではなかったのでしょうか。気になります。今の常識では、求婚といえば、一人対一人で行うもの。あるいはせいぜい家対家という関係でなされるのもだと考えますが、「求婚の日」の元となった新聞広告のような、不特定多数を相手にした募集も「求婚」にあたるのでしょうか・・・(「常識」と書きましたが、基準としたのが私の考えなので、多分に非常識かもしれません。その点はご容赦ください)。

◇時代変われば(現在~未来編)
 現代の常識(基準:かわうそ)で過去の広告記事の違和感を訴えたところでふと思いました。近頃の求婚もこの明治時代の広告のように、不特定多数を相手にするようになってきてるかなと。

  ・年収 ○○○万円以上、身長 △△cm以上、etc

 インターネット上に山ほどある婚活サイトなどでは、あの広告の内容を幾分かはマイルドな表現にしてはいますけれど、似たり寄ったりの状況になっているかも。登録者同士の相性のマッチングを測ってくれるスマートフォンのアプリなども一般化しているようで、そうしたものにも相手にたいして望む条件を設定しているのでしょう。明治時代とは媒体が変わってきただけで、やっていることは同じかも。考えてみたら、先に書いた私の常識の中の「求婚は一対一で行うもの」なんていうものは時代が進めば

  え、一対一で求婚? そんな野蛮な時代があったんですね!!

 なんて驚かれる未来がきちゃうかもしれませんね。そんなことを考えてしまう今日は「求婚の日」でした。

                          (「2024/01/27 号 (No.6328) 」の抜粋文)
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ガザニア ! [ヘッダー画像]

240116no16.JPG
和名:クンショウギク(勲章菊)
2024.01.26撮影
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咲分けの椿 ! [ヘッダー画像]

240119no7.JPG
2024.01.21撮影
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KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]


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