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【ゴールデン‐ウィーク】 [かわうそ@暦]

【ゴールデン‐ウィーク】
 (golden week) 4月末から5月初めの休日の多い週。黄金週間。 《広辞苑・第七版》

 今年のゴールデンウィークは前半、後半の2つの部分に分かれたやや変則的な連休となっています。祝日と土日を休日とすると

  4/27 土曜日
  4/28 日曜日
  4/29 昭和の日

  5/ 3 憲法記念日
  5/ 4 みどりの日
  5/ 5 このもの日
  5/ 6 振替休日

 という具合で、4/30~5/2が平日となります。この3日に休みを取ることが出来れば10日間の大型連休となりますが、皆さんはどうでしょう?私の場合は・・・カレンダーどおりです。こよみのどおりのかわうそですからね。今年は「前後の日曜日」との関係があまりよい配置ではないので、私同様に前後に分割された2つの連休となる方も多いと思います。

・名前の由来
 「ゴールデンウィーク」という名称は1951年、映画会社の大映が名付けたものです。当時映画は、国民の一大娯楽となっておりました。映画の興業成績は正月とお盆、そしてこの4月・5月の連休期間が上位を占めておりましたからこの連休の時期をゴールデンウィークと名付けました。映画会社にとっては正に「黄金週間」だったわけです。今は映画の娯楽としての地位は1951年当時と比べると大分下落しています。そして昔に比べて長い休みを取りやすい環境や、旅行代金の値下がりなどもあって、ゴールデンウィークに映画館に足を運ぶより、大型の連休を利用して国内外の旅行に出かけるという方も増えてきたようです。ですが先に書いたように、今年のゴールデンウィークは日曜日との関係が悪く、まとまった休みは取りにくいという方がそれなりに多いのではないでしょうか。そんな場合には、昔に戻ってゴールデンウィークに映画を見るなんて過ごし方はいかがでしょうか?もっとも、現在だと「映画」といってもインターネットの動画配信サービスで自宅で見るという方が多く、そうした配信サービス会社にとっては黄金週間でも、映画館にはあまり黄金が落ちないかもしれませんね。

                          (「2024/04/29 号 (No.6421) 」の抜粋文)
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主権回復の日 [かわうそ@暦]

■主権回復の日
 本日、4/28は日本国の「主権回復の日」。1945(昭和20)年に日本が降伏して戦争が終結し、同年の9月2日以降連合国占領下において停止されていた日本の主権が、1952(昭和27)年4月28日に回復したことを記念した日です。

 ※前年の9月8日に締結された「サンフランシスコ平和条約」の発効が1952年4月28日でした。

 サンフランシスコ平和条約の締結日が9月8日で、その発効日が4月28日というのはちょっと引っかかります。半年後だとか、3ヶ月後だとか、100日後だとか、締結日と発行日にはもうちょっと区切りがいいというか、そういう日付けの関係があってもいいと思うのですが。ふと今日は「今日の記念日」のデータを見ながらそんなことを思いました。そう思いながら、何か意味があるのかな? と考えたら、ありました。この日を発行日としたい理由が。皆さんももうお気づきですね。そうです、この日の翌日は4月29日でした。4月28日の翌日が4月29日なのは当たり前ですが、ある程度の年齢(・・・)の方なら懐かしく思い返されることでしょう、4月29日は「天皇誕生日」(昭和時代の)だったのです。そうか、サンフランシスコ平和条約締結の際に日本政府は日本国の主権を回復し、主権を回復した日本国の元首として陛下に誕生日を迎えていただきたいという願いがあったのでしょう。そのために陛下の誕生日の前日にこの条約が発効するように画策したのか。

 ※この部分、記念日データを今朝見て思い浮かんだ話なので、思いつきの段階。多分間違いないと思いますが、調べて後日追記したいと思います。

◇「主観回復の日」その後
・「痛恨の日」と「屈辱の日」
 1952年のこの日に日本国の主権が回復したのですが奄美諸島、小笠原諸島、沖縄県については取り残されることになりました。このことから、この日はそれぞれの地域が本土復帰するまでの間、この日は奄美では「痛恨の日」、沖縄では「屈辱の日」とされていました。

 ※1953(昭和28)年12月25日 奄美諸島の本土復帰
  1968(昭和43)年 6月26日 小笠原諸島の本土復帰
  1972(昭和47)年 4月28日 沖縄県の本土復帰

・祝日化の動き
 サンフランシスコ平和条約発行から59年目となる2011(平成23)年に4月28日を祝日にしようと祝日法改正案を衆議院に提出しましたが、これは不成立に終わっています。通っていれば、ゴールデンウィークがもう1日伸びていたのですけどね(今のままでも十分か)。

・「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」
 2013(平成25)年に、政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が天皇・皇后両陛下(現上皇・上皇后陛下)御臨席の下で実施されたが翌年以降は政府主催行事は行われていません。このような状況ですので、おそらく今後もこの日が祝日となるようなことはなさそうですが、大切な日なので忘れることのないよう、こよみのページで毎日「今日の記念日」をチェックしてくださいね。

今日は何の日 (byこよみのページ)http://koyomi8.com/cgi/today/today.php

 最後は宣伝で終わる、本日の暦のこぼれ話でした。

              (「【日刊☆こよみのページ】2024/04/28 号 (No.6420) 」の抜粋文)
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イワチドリ(岩千鳥)! [ヘッダー画像]

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別名:八千代
2024.04.26撮影
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【直きこと其の中に在り】(なおきこと そのうちにあり) [かわうそ@暦]

【直きこと其の中に在り】(なおきこと そのうちにあり)
 論語・子路篇、十八
 (原文)
 葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子証之。
 孔子曰、吾党之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。

 (訳文)
 葉の殿さまが、孔子に自慢話をされた。
 「近郷に正直者の躬(きゅう)という者がおる。
  彼の父が羊を盗んだところ、息子の躬が証人となって訴えでたのである」

 孔子が答えた。
 「私の近郷の正直者はちと変わっています。親父は息子の罪をないしょに
  しますし、息子は親父の罪をないしょにします。
  そういう見かけの不正直のなかに本当の正直がこもっているのです」

  《原文・訳文は、貝塚茂樹訳注「論語」(中公文庫・14版)より》

 本日は辞書から離れた、いつもとは違った雰囲気のコトノハです。「直きこと其の中に在り」は辞書の見出語にはならないでしょうから、仕方なく。でも私にとっては大切な言葉なので無理矢理、採り上げてみました。葉公とは、葉という地域を治めた長官のことです。学者として高名な孔子ががたまたま葉の地に滞在していると知って、これを招いて自分の治政がいかに優れているかをちょっと自慢してみたという一幕です。父親の犯罪行為を訴え出るほどの「正直者」がいるくらい、法令が行き届いているんだと。ところが、孔子の話は葉公の「褒めて欲しいな」という思惑とは方向が違いました。「私の故郷でいう正直者は、お国の正直者と違っているようです」と孔子の生まれ故郷の正直者の話を始めました。

  直きこと其の中に在り(直在其中矣)

 本日取り上げたは言葉は孔子の話の最後に登場します。論語にあっては、比較的長めの文(これでも)ですが、いろいろな場面で思い出すものなので、本日のコトノハで取り上げてみることにしました。「済みませんが、規則なので出来ません」日常のいろいろな場面で、こうした言葉を耳にします。自分自身が使うこともあります。何と云っても便利ですから。こう言えば、いちいち面倒な説明を加える必要がありません。法律や規則の利点は、分かる明確な指標を与えてくれることです。その法律や規則が作られるに至った、様々な難しい問題を時間をかけて考えずとも行うべきこと、守るべき範囲が直ちに分かります。迷う必要がありません。「この問題を解く場合には『公式A』を使います」の公式Aのようなもの。限られた時間で試験問題を解くようなときは、公式Aを暗記していることは強力な武器になります。ではこの便利な『公式A』はどうして作られたのでしょう?誰が、どうやって、そして何のために公式を作ったか。時にはそんなことを考えなければ、本当の問題を解くことは出来ないと思います。葉公は、羊を盗むという罪を犯した父親を訴えた息子の法の下での正しい行いを誇りました。これに対して孔子は「正しさとは何か」を語っています。法律や規則は、よりよい社会、秩序ある社会を作るために作られたものですから、これを守ることは正しいことでしょう。では、法律や規則が作ろうとした「よりよい社会」とはどのようなものなのでしょう。法に従って、父の罪を暴き、これを訴えた息子が「正直者」と呼ばれる社会がよい社会なのか?孔子の「直きこと其の中に在り」という言葉の「其の中」とは何か、この言葉を思い出しては、考えるようにしています。


                          (「2024/04/27 号 (No.6419) 」の抜粋文)
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ハリエンジュ(針槐)! [ヘッダー画像]

240426no5.JPG
別名:ニセアカシア
2024.04.26撮影
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草木も眠る「丑三ツ刻」 [かわうそ@暦]

□草木も眠る「丑三ツ刻」
 最近は夜明けが早くなりました。Web 引越作業等で夜更かしが過ぎると、外がほの明るくなっているなんてことも・・・。そんな朝が早くなったという前振りしたあとなのに、本日の話題はなぜか「丑三ツ刻」。いかにも思いつきって感じで済みません。

◇本題の前に
 江戸の昔の時刻の話は結構複雑です。我々から見ると随分不思議な時刻系です。公的な時刻は定時法という一刻の長さが同じというものなのに、日常に使われる時刻は不定時法という、一刻の長さが昼と夜で異なるし、季節によっても変わるもの。その上、呼び方も違うこともあるし同じ呼び方をする場合もあるし・・・。我々から見ると不思議な当時の時刻、この時代の人たちはよく間違えずに使えたものだと思っていると、実は当時の人も大分混乱して間違えて使っている場合もあったようです。我々は、その当時の人たちが記録した正しいものも間違ったものも混在した記録を読むことになるため、ますます混乱します。混乱しないために、この当時の時刻の話をする場合は、「今はどの時刻の話をしているか」を常に意識しておく必要があります(普通はそんな話しないかな?)。

◇丑の刻 (うしのこく)
 子・丑・寅・・・と一日を十二等分する時刻は、十二辰刻法 (じゅうにしんこくほう)と呼ばれ、公的な時刻の呼び方でもあります。これは定時法といい、一辰刻(こういう場合、「辰刻」は「とき」と読みます)は現代の 2時間にあたります。さて、この時刻法の始まりは子の刻ですが、この子の刻とは現代の23時~翌日 1時の 2時間。丑の刻は子の刻の次ですから午前 1時~ 3時を指します。

◇丑三ツ刻
 まあ、のんびりした時代だったとはいえ、 2時間に相当する一辰刻が時刻の最小単位では大雑把過ぎるので、もう少し細分した表現が有ります。まず、一辰刻を二等分して前半を「初刻(しょこく)」、後半を「正刻(しょうこく)」という方法。「丑の正刻」といえば、午前 2時頃を指すことになります。更にこれより細かな分け方としては、一辰刻を四刻(しこく)に分ける方式があります。ややこしいのは一辰刻を四等分したものまで「刻(こく)」と呼ぶこと。丑三ツ刻は、「丑の三刻」を意味します。我々の場合、物事の基点を「零」と考えることがあたりまえになっていますが昔はそうではなくて「一」から始まります。つまり丑の一刻、二刻・・・となるわけです。この辺をまとめて書くと

  丑の刻 → 丑の初刻 → 丑の一刻 (午前 1時 0分)
             → 丑の二刻 (午前 1時30分)
        丑の正刻 → 丑の三刻 (午前 2時 0分)
               丑の四刻 (午前 2時30分)

 といった具合になります。丑三ツ刻とは「丑の三刻」のことで、現在の時刻でいえば午前 2時。草木も眠る時刻です。

◇丑満刻(うしみつどき)?
 「うしみつどき」丑三ツ刻のことと書きましたが、たまに「丑満刻」と書く場合も有ります。丑三ツ刻である丑の三刻はまた丑の正刻。ちょうど丑の刻の真ん中の時刻でもあります。このため、「丑の刻が満ちた時刻」という意味で「丑満刻」とする場合があるようです。丑三ツ刻は、丑満刻でもあるわけですね。面倒くさいな・・・なんて思いながら、当時に比べるとシンプルな現代の表記法で表示された時計を見ると、もう丑三ツ刻を過ぎているじゃありませんか。明日も平日、早いところ作業を切り上げて寝ることにしたいな~。こうして今日もかわうその夜は更けてゆくのでした。


                          (「2024/04/26 号 (No.6418) 」の抜粋文)
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