【こまねく】(拱く) [かわうそ@暦]
【こまねく】(拱く)
コマヌクの訛。
【こまぬく】(拱く)
左右の手を胸の前で組み合わせる。腕を組む。転じて、何もしないで見ている。傍観する。
宇治拾遺物語5「こまぬきて、少しうつぶしたるやうにて」。「腕をこまぬく」「手をこまぬく」
△近年、音変化した「こまねく」が多く使われる。 《広辞苑・第七版》
「手をコマネいている」という言葉を耳にしますし、自分自身もたまに使うこともあります。かなり希にでは有りますが。この時々耳にする言葉を耳にした日、ふと思いました。「手をコマネク」って、どんなことをしている状態なの? と。もちろん一般的に使われる際の「何もしない」という意味はわかるのですがその意味となった元々の所作が思い浮かばないのでした。で、調べてみた結果が冒頭の辞書の内容。なるほど、「こまねく」は「こまぬく」の音変化で、「こまぬく」は腕を胸の前で組み合わせた状態を指す言葉なのか。とその意味や元々の言葉が知れてよかったのですが「こまねく」が「こまぬく」の訛であると言うことは衝撃でした。恥ずかしながら「こまねく」を辞書で引くまで「手をコマヌク」なんていう言い方が存在すること自体、まったく知りませんでしたので。元々の言葉であった「こまぬく」の語釈の最後に注意書きのように近年、音変化した「こまねく」が多く使われるという記述に救われましたが、その変化は「近年」におこったことなのか。既に還暦を超えてしまった私の人生は辞書で言うところの「近年」の中にすっぽり入ってしまっているようです。だって「手をこまぬく」聴いたこともない言葉でしたから。「こまねく」ってどんな所作か知りたいという辞書を引いた当初の目的は無事達成されましたが、当初の目的とは違った驚きを感じさせてくれた本日のことば「こまねく」でした。皆さんは使っていますか? 「手をこまぬく」って??
(「2024/05/16 号 (No.6438) 」の抜粋文)
コマヌクの訛。
【こまぬく】(拱く)
左右の手を胸の前で組み合わせる。腕を組む。転じて、何もしないで見ている。傍観する。
宇治拾遺物語5「こまぬきて、少しうつぶしたるやうにて」。「腕をこまぬく」「手をこまぬく」
△近年、音変化した「こまねく」が多く使われる。 《広辞苑・第七版》
「手をコマネいている」という言葉を耳にしますし、自分自身もたまに使うこともあります。かなり希にでは有りますが。この時々耳にする言葉を耳にした日、ふと思いました。「手をコマネク」って、どんなことをしている状態なの? と。もちろん一般的に使われる際の「何もしない」という意味はわかるのですがその意味となった元々の所作が思い浮かばないのでした。で、調べてみた結果が冒頭の辞書の内容。なるほど、「こまねく」は「こまぬく」の音変化で、「こまぬく」は腕を胸の前で組み合わせた状態を指す言葉なのか。とその意味や元々の言葉が知れてよかったのですが「こまねく」が「こまぬく」の訛であると言うことは衝撃でした。恥ずかしながら「こまねく」を辞書で引くまで「手をコマヌク」なんていう言い方が存在すること自体、まったく知りませんでしたので。元々の言葉であった「こまぬく」の語釈の最後に注意書きのように近年、音変化した「こまねく」が多く使われるという記述に救われましたが、その変化は「近年」におこったことなのか。既に還暦を超えてしまった私の人生は辞書で言うところの「近年」の中にすっぽり入ってしまっているようです。だって「手をこまぬく」聴いたこともない言葉でしたから。「こまねく」ってどんな所作か知りたいという辞書を引いた当初の目的は無事達成されましたが、当初の目的とは違った驚きを感じさせてくれた本日のことば「こまねく」でした。皆さんは使っていますか? 「手をこまぬく」って??
(「2024/05/16 号 (No.6438) 」の抜粋文)
母の日の花、カーネーションの話 [かわうそ@暦]
□母の日の花、カーネーションの話
今日5/12は 5月の第 2日曜日、5月の第2日曜日と云えば・・・「母の日」です!と日刊☆こよみのページこよみのページを書き始めて漸く気が付きました。うーん、まったく触れないわけにも行けない年中行事ですね、母の日って。そういうわけで、泥縄で母の日と云えばカーネーションと云うことで、カーネーションの話を採り上げることにしました(「暦のこぼれ話」じゃないかもしれない・・・)。
◇カーネーションの生まれと名前の由来について
カーネーション(carnation) は地中海沿岸が原産の花といわれ、ギリシャやローマにおいては古くから親しまれた花でした。神々の主であるゼウスの祭りにはこの花で作られた冠をかぶる習わしがあったそうです。この花の名前であるcarnation の語源は王冠を意味するコロナ(corona)に由来するといわれます。これは花の形が王冠に似ているというのもありますが既に書いたとおり古くから神聖な冠を作る花であったこととも関係があるのではないでしょうか。
◇キリスト教とカーネーションの関係
カーネーションの花はキリスト教においてもまた神聖な花です。キリストが十字架に掛けられた日にそれを見送った母、マリアの流した涙の跡に咲いたのがカーネーションだったとされています。つまりカーネーションはキリスト教においては
母と子 ・・・ マリアとイエス
の関係を象徴する花なのです。現在日本に定着している「母の日」はアメリカの「母の日」に由来するものです。この本家(?)アメリカの「母の日」を提唱したのは、アンナ・ジャービスという方でした。カーネーションは、このアンナさんのお母さんが愛した花ということで、アンナさんが母の愛を象徴するものとして選んだことから、現在の「母の日にはカーネーション」という関係が生まれました。なんだ、提唱者のお母さんの好みの花と言うだけかそう言ってしまうと身も蓋もありませんが、アンナさんのお母さんは、26年間教会の日曜学校の教師を務めた熱心なクリスチャンであったことことを考えると、この花を愛した理由の一つには、マリアとイエスの故事があったのではないでしょうか。また、こんなお母さんに育てられたアンナさんもまた、この故事は知っていたと思いますから、カーネーションが「母の日」を象徴する花として選ばれたのは、ただの偶然ではないと思います(どうでしょうね?)。ちなみに、白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴するのだそうです。このことから、母を亡くした人はこの日に白いカーネーションを、母が存命の人は赤いカーネーションを胸に飾るのだそうです。
◇余談ながら・・・
お気づきでしょうか?今では、「母の日にはカーネーションを贈りましょう」のように、カーネーションは、お母さんに感謝の印として贈るものと一般的には考えられていると思われますが、元々は、母の愛に感謝し胸に飾るものだったのです。ただ一輪、胸に飾るだけではその消費量は微々たるもの。花屋さんからすると、花束なり、鉢植えなりをお母さんに贈ってくれる方が有り難いから、こうなったのかな? なんて、みみっちいことを考えてしまうかわうそです。品性が顕れてしまいますね。あまり下劣な品性を見せて終わると恥ずかしいので、最後は花言葉できれいに終えることにします。
赤いカーネーション ・・・ 母の愛・愛を信じる
白いカーネーション ・・・ 私の愛情は生きている
などなど、なるほど。母の日にはよく合うカーネーションの花言葉でした。
(「2024/05/12 号 (No.6434) 」の抜粋文)
今日5/12は 5月の第 2日曜日、5月の第2日曜日と云えば・・・「母の日」です!と日刊☆こよみのページこよみのページを書き始めて漸く気が付きました。うーん、まったく触れないわけにも行けない年中行事ですね、母の日って。そういうわけで、泥縄で母の日と云えばカーネーションと云うことで、カーネーションの話を採り上げることにしました(「暦のこぼれ話」じゃないかもしれない・・・)。
◇カーネーションの生まれと名前の由来について
カーネーション(carnation) は地中海沿岸が原産の花といわれ、ギリシャやローマにおいては古くから親しまれた花でした。神々の主であるゼウスの祭りにはこの花で作られた冠をかぶる習わしがあったそうです。この花の名前であるcarnation の語源は王冠を意味するコロナ(corona)に由来するといわれます。これは花の形が王冠に似ているというのもありますが既に書いたとおり古くから神聖な冠を作る花であったこととも関係があるのではないでしょうか。
◇キリスト教とカーネーションの関係
カーネーションの花はキリスト教においてもまた神聖な花です。キリストが十字架に掛けられた日にそれを見送った母、マリアの流した涙の跡に咲いたのがカーネーションだったとされています。つまりカーネーションはキリスト教においては
母と子 ・・・ マリアとイエス
の関係を象徴する花なのです。現在日本に定着している「母の日」はアメリカの「母の日」に由来するものです。この本家(?)アメリカの「母の日」を提唱したのは、アンナ・ジャービスという方でした。カーネーションは、このアンナさんのお母さんが愛した花ということで、アンナさんが母の愛を象徴するものとして選んだことから、現在の「母の日にはカーネーション」という関係が生まれました。なんだ、提唱者のお母さんの好みの花と言うだけかそう言ってしまうと身も蓋もありませんが、アンナさんのお母さんは、26年間教会の日曜学校の教師を務めた熱心なクリスチャンであったことことを考えると、この花を愛した理由の一つには、マリアとイエスの故事があったのではないでしょうか。また、こんなお母さんに育てられたアンナさんもまた、この故事は知っていたと思いますから、カーネーションが「母の日」を象徴する花として選ばれたのは、ただの偶然ではないと思います(どうでしょうね?)。ちなみに、白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴するのだそうです。このことから、母を亡くした人はこの日に白いカーネーションを、母が存命の人は赤いカーネーションを胸に飾るのだそうです。
◇余談ながら・・・
お気づきでしょうか?今では、「母の日にはカーネーションを贈りましょう」のように、カーネーションは、お母さんに感謝の印として贈るものと一般的には考えられていると思われますが、元々は、母の愛に感謝し胸に飾るものだったのです。ただ一輪、胸に飾るだけではその消費量は微々たるもの。花屋さんからすると、花束なり、鉢植えなりをお母さんに贈ってくれる方が有り難いから、こうなったのかな? なんて、みみっちいことを考えてしまうかわうそです。品性が顕れてしまいますね。あまり下劣な品性を見せて終わると恥ずかしいので、最後は花言葉できれいに終えることにします。
赤いカーネーション ・・・ 母の愛・愛を信じる
白いカーネーション ・・・ 私の愛情は生きている
などなど、なるほど。母の日にはよく合うカーネーションの花言葉でした。
(「2024/05/12 号 (No.6434) 」の抜粋文)