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「望遠鏡の日」雑話 [かわうそ@暦]

□「望遠鏡の日」雑話
 今日、10/2は「望遠鏡の日」とされています。この日は、オランダのミッデルブルグという町(アムステルダムとロッテルダムの間にあります)の眼鏡屋さん、リッペルハイがオランダの国会に特許を申請した日だからです。この日、リッペルハイは有力な王族であったマウリッツ(オラニエ公 1567-1625)にもこの望遠鏡を贈っています。リッペルハイはこの発明によって国からの年金ももらおうと考えていたらしいので、有力な王族にその後押しを願ってのことだったのでしょうか。天文学の歴史は、望遠鏡の発明以前と以後とに分けられるほど、天文学という学問にとって望遠鏡の発明というのは大変なことでした。望遠鏡の発明によって、人類は天体の細部を見ることが出来るようになり、より暗い天体を探すことが出来るようになり、結果として星々の運行の謎や宇宙の広さというものについて、新しい発見をすることになりました。望遠鏡が無ければ、いまだに月はまん丸の球体で表面はツルツルしていると考えられていたかもしれませんし、惑星も水星から土星までしか無いと考えていたかもしれません。そして、星々は地球を中心としてその周りを巡っているものだという、天動説の世界だったかも。あくまでも、「もしも」の世界ですけれど。

◇望遠鏡発明者はだれ?
 現在ではリッペルハイが望遠鏡の発明者とされていますが、実のところこのあたりははっきりしていません。リッペルハイの住んでいたミッデルブルグの町には、ヤンセンという人が営む眼鏡屋さんがあったのですが、この眼鏡屋さんでも、リッペルハイが特許を申請した年より前(1604年頃)から望遠鏡を販売していたとも言われていますし、リッペルハイが特許を申請した直後にメチウスというレンズ研磨工がやはり望遠鏡の特許を申請していたりして、誰が一番最初に発明したのかはっきりしません(この三人以外の誰かかもしれません)。

◇誰が発明者か分からない理由
 誰が望遠鏡の発明者かはっきりしない理由は、望遠鏡の構造がきわめて簡単だからです。レンズ二枚があれば、簡単な望遠鏡は作ることが出来ます。十三世紀末には視力が衰えた人のために眼鏡が作られていたらしいことが分かっています。先に名の挙げたリッペルハイにしてもヤンセンにしても眼鏡屋を営んでいた訳ですから、商売が成り立つほど眼鏡は普及していたということが出来ます。それだけ眼鏡が出回っていれば、眼鏡用レンズも随分な数があったわけで、そのレンズ二枚の組み合わせ次第で望遠鏡が出来てしまうことを考えると、偶然に二枚のレンズを並べてみたら遠くのものが大きく見えた!!という偶発的な発明がそこかしこで起こっても不思議ではありません。私は昔から「最初にナマコを食べた人は誰だろう。勇気があるな」と思っていますが、おそらく世界のあちらこちらで幾人もの「勇気のある人」がいて誰が最初に食べたかなんて分からないのと同じで、あまりにありふれた偶然で発明されてしまう可能性の高い望遠鏡の最初の発明者を特定することは困難なのです(特定してみても、意味がないとも云えますけど)。

◇特許申請の結末
 自信満々で特許申請を行ったリッペルハイでしたが、その申請に対する審査の結果は、申請却下でした。その理由は「あまりに簡単な構造で、誰でも作ることが出来る。しかも、多くの人が既にこの発明を知っている。」というものだったそうです。もちろん、リッペルハイの直後に特許申請を行ったメチウスの申請も却下されています。あわよくば望遠鏡の独占販売と年金でお金持ちにというリッペルハイの夢は叶わぬ夢のままに終わりました。でもいいじゃありませんか。お金持ちにはなれなかったかもしれませんが、望遠鏡の発明者はだれかというと、オランダのリッペルハイですと、その名前を歴史に刻むことは出来たのですから。ただし、「多分ね」という注釈付でですけれど。(「2018/10/02 号 (No.4385) 」の抜粋文)

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