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【天道は遠く、人道は邇し】(てんどうはとおく じんどうはちかし) [かわうそ@暦]

【天道は遠く、人道は邇し】(てんどうはとおく じんどうはちかし)
 天の道、天の理などということは、われわれにとって遠いことである。それにひきかえ、日常のこと、人間の道こそ身近な大切なことである。 《中国古典名言事典》

 この言葉は、左伝、昭公十八年にある子産の言葉です。子産は二千五百年以上も昔の人物です。子産はその当時中国にあった鄭(てい)という国の宰相(首相)を務めた政治家です。ある年に鄭の国で大きな火災があり天文占星術に長じた竈(そう)という人物が、「このような火災が二度と起こらないようにするためには、神に祈るしかありません」と進言しました。竈は天文占星術に長じた人物といわれますから「竈の占いはよくあたる」と評判だったということでしょう。しかし、子産はこの竈の進言を退けます。その際に語った言葉の中に

「天道は遠く、人道は邇(ちか)し」が登場します。左伝にある子産の言葉を抜き出せば次のようになります。『子産曰く、「天道は遠く、人道は邇し。及ぶところにあらざるなり。何をもってこれを知らん。竈焉んぞ天道を知らん。これまた多言なり。あに或いは信あらざらんや」』

 天の働きは果てしなく深遠である。人智の及ぶ範囲はごく狭い。その狭い人智によって天の働きを推測することなど出来るものではない。竈だけが天の働きを知り得るというようなことがあるはずもない。竈の占いが当たるというのは、ただ多言であり、多くを語れば中にはたまたま当たるとこともあるというだけのことだ。

 子産の考えは、今でもそのまま通用するほど合理的でした。しかし子産は竈の「天に祈るしかない」という進言を退けただけではありません。鄭の宰相として焼け出された民の日常を取り戻すために、救済措置をとり、以後再びこうした災害を引き起こさないための防火対策を考え、次々に実施してゆきました。限られた人智であっても、その限りを尽くして日常の暮らしを守ろうとしたのです。「人智の及ぶ範囲はごく狭い」と人智の限界を認識している子産でしたが、その限りある人智の力を誰よりも信じたのもまた子産でした。時代が進めば、人智の範囲は広がります。子産の生きた二千五百年以上も前の時代と比べれば、現代の人智はどれほど広がったことか。しかし、子産がその言を退けた竈の如き人は減ることは無く、また竈の多言の如き占いに振り回される人も減っていないように思えます。本日は、阪神淡路大震災の起こった日。この日に改めて子産の言葉を思い返して私達が出来ること、私たちがすべきことを考えてみたいと思います。(「2020/01/17 号 (No.4857)」の抜粋文)
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