【知を処すること則ち難きなり】 [かわうそ@暦]
【知を処すること則ち難きなり】
非知之難也、処知則難也 《韓非子・説難篇》
知の難(かた)きに非ず、知を処すること則(すなわ)ち難きなり
「物事を判別し理解することが難しいのではない。理解した事実をどう処理して行くかが難しいのだ。」世の中には、おかしなことが多々あります。おかしなところはすぐに解るので、「それなら直せばいいじゃないか」と、そうしない「世の中」を若い(幼い)頃は不思議に思ったものでした。人と人とが殺し合う戦争はよくない。戦争なんて無くすべきだ。ということは、それこそ小学生でも判ることです。にもかかわらずそんな判りきったことが実現され、この世界から戦争が無くなったことはありません。どんなによいことでも、それを実現する過程では何かを犠牲にしたり、何かを切り捨てたりしなければならないことが出てきてしまいます。理解した事実を処理していくためには、そうした犠牲や切り捨てられるものまでを理解した上で、それを引き受けなければなりません。最初に「物事を理解した」つもりになったときには、そうした周辺の事柄にまでは考えがおよばず、「その問題の解決は簡単だ」と思いがちです。「その問題の解決は簡単だ」と思った事柄を現実に処理するための知恵をもつことこそ難しい、その現実に幾たびも直面したであろう韓非子の言葉でした。(「2020/03/27 号 (No.4927) 」の抜粋文)
非知之難也、処知則難也 《韓非子・説難篇》
知の難(かた)きに非ず、知を処すること則(すなわ)ち難きなり
「物事を判別し理解することが難しいのではない。理解した事実をどう処理して行くかが難しいのだ。」世の中には、おかしなことが多々あります。おかしなところはすぐに解るので、「それなら直せばいいじゃないか」と、そうしない「世の中」を若い(幼い)頃は不思議に思ったものでした。人と人とが殺し合う戦争はよくない。戦争なんて無くすべきだ。ということは、それこそ小学生でも判ることです。にもかかわらずそんな判りきったことが実現され、この世界から戦争が無くなったことはありません。どんなによいことでも、それを実現する過程では何かを犠牲にしたり、何かを切り捨てたりしなければならないことが出てきてしまいます。理解した事実を処理していくためには、そうした犠牲や切り捨てられるものまでを理解した上で、それを引き受けなければなりません。最初に「物事を理解した」つもりになったときには、そうした周辺の事柄にまでは考えがおよばず、「その問題の解決は簡単だ」と思いがちです。「その問題の解決は簡単だ」と思った事柄を現実に処理するための知恵をもつことこそ難しい、その現実に幾たびも直面したであろう韓非子の言葉でした。(「2020/03/27 号 (No.4927) 」の抜粋文)
2020-03-27 10:40
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0