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振袖火事と松飾 [かわうそ@暦]

□振袖火事と松飾
 今日はもう、1/18。さすがにこのころになれば「正月気分」なるものはすっかり抜けてしまっていることでしょう。そんな中ですが、今日の暦のこぼれ話はしぶとく正月関連の記事です。我ながら、なかなか粘りますね・・・。

◇振袖火事
 明暦三年(1657年)の1/18~20にかけて、江戸では街の大半を焼き尽くす大火事、「明暦の大火」がありました。明暦の大火は延焼面積、死者とも江戸時代最大の火事だったそうです(Wikipediaによる)。この火事により江戸城の天守閣が焼け落ち、以後再建されることはありませんでした。もしこの火事がなかったら、現在の皇居の姿もだいぶ違ったものになっていたかもしれません。この明暦の大火は「振袖火事」とも呼ばれます。「明暦の大火」といってもピンと来なくても「振袖火事」ならどこかで聞いたことがあるのでは?「振袖火事」という呼び名の由来は、恋煩いで亡くなった裕福な商家の娘の振袖を供養のために寺で焼いた(ここに至るまでいろいろありますが、本題と関係ないので割愛)ところ、火のついた振袖が突然の大風により巻き上げられ、これが火元になって燃え広がったからといわれています。もちろん(?)この振袖火元説はフィクションですけれど。

◇大火と松上がりの日付け
 松を取り払う日を「松上がり」といい、取り払う行為を「松送り」とか「松納め」といいます。この松上がりの日付けは、昔は1/15というのが普通でした。それが現在の 1/7という日付けに変わってきたのには、この明暦の大火が関係していました。明暦の大火事を教訓として幕府は様々な防火対策をたて、実行しました。その中の一つに松飾を早く片付けてしまうようにという町触(通達のようなもの)がありました。冬、乾燥して燃えやすくなってしまっている松飾等を何時までも飾っていると火災が発生した場合、延焼して火災被害を拡大するもとになりかねないことからです。その町触の中に、松飾りは 7日には片付けてしまうようにという内容が書かれていたのでした。この町触が寛文二年(1662)年に出されたことにより、松飾が取り払われる時期が早まり、現在の日付けになったのでした。以上、まだ正月の話題で粘る、日刊☆こよみのページでした。(「2021/01/18 号 (No.5224) 」の抜粋文)

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