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【彼岸が来れば団子を思う】 [かわうそ@暦]

【彼岸が来れば団子を思う】
 (彼岸がくると、先祖の供養よりも彼岸の団子のことをまず考えるという意から)本来の重要なことを忘れた気楽な生活態度をいう。 《成語林》

 昨日、墓参りに行ってきました。と言っても私自身のご先祖様方の墓は、現在住んでいる場所からはかなり遠方の私の生まれ故郷にありますので、昨日出かけたお墓は家内の父方および母方のご先祖様のお墓です。こちらはそんなに遠くないので半日もあれば両方のお参りが出来ました。お彼岸の頃は気候も穏やか。桜の花もちらりほらりと咲き始め、墓参りと言うより長閑な春の散歩といった感じでした。天気はいいし、桜は咲き始めたし、足下には枯れ草の合間から新しい緑が顔を出している。「ああ、こんな季節には弁当持ってピクニックにでも出かけたい」そんなことを考えました(あいにく昨日は、風が強くてピクニックは無理でしたが)。その想像とお彼岸が結びついて想像の中のお弁当の中身はぼた餅になっていました。想像の中のお弁当のぼた餅を眺めながら(?)、ふと脳裏を過ぎったのがこの言葉。想像の中では彼岸の団子ではなくてぼた餅でしたが、まあそのくらいの違いはこの際許してもらうことにしましょう。何ていったってお彼岸のお墓参りの最中に、ご先祖様の供養をおもうよりぼた餅のことなんかを考える「気楽な生活態度」の私のことですから。まあいいじゃありませんか。あんなに天気のいい一日だったんですから。それに、ぼた餅のことを考えてはいましたがお墓参りもしたんですから。

                          (「2024/03/21 号 (No.6382) 」の抜粋文)
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