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【柳下恵、士師となりて三度しりぞけられる】 [かわうそ@暦]

【柳下恵、士師となりて三度しりぞけられる】
 魯の国の柳下恵は、士師(司法官、裁判官)となって三度も階位を降格されたという故事。出典は論語・微子篇。

 柳下恵は孔子と同時代に生きた魯の国に大夫(たいふ)です。大夫は周の時代の職名で、最上級の大臣に当たる卿の下の位ですから、下級の大臣、長官といったところでしょうか。この柳下恵は、士師と呼ばれる裁判官に相当するような職にありましたが、この職についている間、度々官位を下げられたそうです。ある人物が、あなたほどの人なら、何処の国に行っても、厚遇が受けられるでしょう。なぜ三度も降格されるような屈辱を味わってまで、魯の国に留まっているのですか?と尋ねました。柳下恵は私はその職にあって、自分が正しいと信じるとおりに判断を下しているだけです。 私がこの方針を取り続ける限り、どの国に行ったところで三度くらいは降格されるはめになるでしょう。降格されるのが嫌だからと自分の信じる道を曲げ、上司の指示に従うような生き方をするのなら、なにもわざわざ生まれ育った魯の国を離れてよその国に行くまでもないことです。度々降格されたということは、上司(大臣?)からすれば大分扱いにくい部下だったのでしょう。それでも罷免されること無く現職に留め置かれたということは、煙たいけれどいないと困る、有能な人物であったようです。面子を重んじる中国の貴族にとって、官位を下げられることは大変な屈辱だったと思いますが、それに対する柳下恵の対応はなんとも飄々としております。政治家、官僚の言動、行動には厳しい目を向ける孔子ですが、その柳下恵評はというと、柳下恵は辱めを受けて退くべきところでも退かず、妥協して職に留まったとはいえ、その言行は思慮深く、道理を外れることがなかった。というものです。やや潔癖性気味の感のある孔子の目からすれば、いわれなく降格されるという辱めを受けても職に留まったということは気に入らなかったようですが、その言行は高く買っていたことがわかります。

 二十歳の頃に、論語のこの行を読んだときには、単純に格好いいなと思っただけでしたがあれから30年以上を経て、多少は世間の波にもまれた今は、この柳下恵の格好いい発言の裏には、どれほどの「現実」があったかを多少は想像出来るようになりました。そうなった今、改めてこの行を読んでみると、やはり柳下恵は格好いい。ただその格好良さは、二十歳の頃の私が感じた単純な格好さとは、違ったものになっています。(「2019/09/14 号 (No.4732)」の抜粋文)

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