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年度のはなし [かわうそ@暦]

□年度のはなし
 今日で三月も終わりです。三月が終われば次は四月、新年度です。そんなわけで本日は、普段から何気なく使うこの「年度」について採り上げてみることにしました。普通「年度」という使い方をする場合は、官公庁や学校などの一年の区切りとして使われる 4月~翌年 3月までのことを指す公的機関の会計年度を指すようです。

◇二つの一年
 私は生まれたときから暦の上の一年と、この会計年度による一年がありましたから、特に疑問を持つこともなくこの「年度」というものを抵抗もなく受け入れてきましたが、よく考えてみるとなんだか不思議ですね。なぜ二つの一年が出来たのでしょうか? ずっと昔からそうだったのでしょうね?「昔からそうだったのか」と書いたところですが、この昔というのがどれくらい昔なのでしょうか? 私が物心ついた頃には既に存在した「年度」ですので、少なくとも半世紀以上は遡る必要があります。半世紀なんてけちなことを言わずに、一気に江戸の時代まで遡って見ると、この二つの一年はありませんでした。江戸時代は暦の一年も会計(?)の一年も一緒でした。江戸の昔に遡れば、年も押し迫った大晦日にその年の払いを払うの払わないので客と商家の手代との駆け引きが繰り返される何ていう光景が当時は普通だったわけです。とすると、大分絞り込まれてきましたね。江戸の昔と私に物心が付いた半世紀程前の間に、日本の年度(会計年度)というものが生まれたようです。

◇会計年度の誕生
 今のように暦年と異なった会計年度が生まれたのは明治に入ってからのことです。現在のように 4月~ 3月という形になったのは明治17年(AD1884)のことでした。ただし、会計年度自体はこの年より少し前から始っており、何度かの変更を加えられて明治17年にほぼ現在のような形に落ち着いたのです。現在のような形に落ち着くまでの会計年度の変遷の様子は以下のとおり。

  適用開始 明治 2年 9月~  期間:10月~翌年 9月
    〃  明治 5年11月~   〃:暦年と同じ
    〃  明治 7年12月~   〃: 7月~翌年 6月
    〃  明治17年10月~   〃: 4月~翌年 3月
    〃  明治22年 4月~   〃: 4月~翌年 3月(市町村)
    〃  明治23年 5月~   〃: 4月~翌年 3月(道府県)

 上記のうち、最初の 4つ(「明治17年10月~」というところまで)は中央政府が会計年度として採用した年と内容を表しています。随分くるくると変わっていますね。

◇会計年度が作られた理由
 暦年と異なる会計年度が作られた理由は次のように説明されています。

 1.主要な税である地租(ちそ)、つまり土地からの農産物の収穫による税の徴収のサイクルに会計
  のサイクルを合わせる。

 2.当時もっとも力のあったイギリスの会計年度(イギリスも 4月~ 3月)にならった。

 3.政府のとある事情

 一応は、1,2 のもっともらしい説明が有るのですが、考えてみると納得のいかない点があります。1.地租の徴収サイクルに合わせたという説明の納得いかない点江戸時代以前だって「地租」が主たる財源だったはずで、明治時代に入ってから大きな変化があった訳ではない。2.イギリスの会計年度に合わせたという説明の納得いかない点当時、世界で一番力のあったイギリスに合わせるというのなら、他の国々だって同様であるはず。でも会計年度はフランスは暦年と一緒だし、アメリカは10月~ 9月でイギリスとは異なります。なぜ日本はイギリスだけ特別扱いしたのかな?それにもし、1,2のようなまともな説明が本当の理由なら、なぜ何回も会計年度を変更しなければならなかったのかがわかりません。しかも明治17年の改正は市町村や道府県と会計年度がずれるというはなはだ不都合な状況を生み出しても断行した(明治17年に政府が 4月からの会計年度に移行した後も市町村等の会計年度はしばらく 7月からのままでした)理由が説明できません。おかしいじゃないか?こう考えてゆくと「3.政府のとある事情」が本当の理由だったのでは?ではその「とある事情」とは??こうした場合に考えられる「とある事情」といえば、思いつくのはお金がないってことでしょうね?お金が無いと支払いが出来ませんから、お金がないときには少しでも支払時期を先延ばししたいもの。お金のない明治政府も「決算時期」を先延ばししたいのですが、正直に「お金がない」というのはなんとも格好がよくない。で、この恥ずかしい理由を隠して最もらしく見せるために考えたのが1と2の理由ではないでしょうか?当時の明治政府は超高給なお雇い外国人を多数雇って、西洋技術を導入し、鹿鳴館を造って他国の外交官を接待して・・・とお金は出る一方で、財政は火の車でしたから「決算を先延ばし」したかったのでしょう。

◇それ以後
 こうして明治17(1884)年に生まれた会計年度は、田中(角栄)内閣時代に一度、「暦年と同じにしよう」という動きがありましたが、大蔵省(当時。現財務省)の強力な反対にあって改変はならず、今もそのままつづいています。まあ少々煩雑ですけどそれが当たり前と慣れてしまった私には、特に変える必要性を感じません。きっと私以外の人も会計年度の区切りの時期を変えることで起こる混乱と、変えたことによって得られるメリット(「合理的に見える」ってことくらいかな?)を天秤にかけて、変えないことにして今に至っているのでしょう。なお、これに関してもっと詳しく知りたい方は、Web こよみのページの暦とと天文の雑学の以下のページをご覧下さい。

  「役所の一年は4月から・・・会計年度のはなし」http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0880.html

                           (「2024/03/31 号 (No.6392)」の抜粋文)
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