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御暦の奏(ごりゃくのそう) [かわうそ@暦]

□御暦の奏(ごりゃくのそう)
 本日も昨日に続き旧暦の日付にまつわる話です。本日は、旧暦の十一月一日(朔日)にまつわる話です。昔々、まだ律令制度がきちんと行き渡っていた頃(少なくとも朝廷内では)暦が出来上がったのは十一月一日でした。平安時代初期の法典である延喜式(えんぎしき)の規定によれば、暦の制作責任者は陰陽寮(おんようりょう)の暦博士。暦博士は暦の原稿を作成して陰陽寮へ提出し、その原稿をもとにして陰陽寮職員が書き写して本の形に仕立てます。このとき作成される暦は、御暦上下二巻(天皇用)及び、中宮・東宮へ各二巻と頒暦百六十六巻(朝廷内外の諸官庁用)を奏進しました。この暦の奏進の儀式を「御暦の奏」と言いました。御暦の奏をもって、翌年の暦配布の解禁となります。とは言ってもここで作られた暦は天皇と朝廷内外の官庁用ですから、一般では手に入りません。ではどうしたかというと貴族たちは陰陽師や暦博士(いずれも陰陽寮の役人)に個人的に依頼して書写してもらっていたのです。つまりコネですね。この時代だと、一般庶民には暦など手に入らないものだったわけです。まあ、入手の必要もなかったのでしょうが。時代が下ってくると、流石に朝廷と一部の貴族だけが暦を持てばいいと云うような長閑な時代ではなくなりますから、頒暦分は手書きではなく印刷されるようになり、大量に作られるようになりました。この印刷の元締めを大経師(だいきょうし)といい、世襲されていました。こうして暦が印刷物となっても、暦の解禁日は御暦の奏の伝統に則り十一月一日。と言うことで、暦にとって「十一月一日」は特別な日でした。今も書店に翌年のカレンダーが並び始めると「今年もいよいよ終わりが近いな」と感じるものですが、そうした感覚は昔も同じようなものだったのでしょうね。(「2019/11/27 号 (No.4806) 」の抜粋文)


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