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方塞がり(かたふたがり)と方違え(かたたがえ) [かわうそ@暦]

□方塞がり(かたふたがり)と方違え(かたたがえ)
 本日は久々に暦注の話です。陰陽師が高度な技術を使う技術者、あるいは科学者と考えられていた平安の昔には、日によって、あるいは月や年によって、そちらに向かって行ってはいけない方角というものがあると考えられていました。

◇塞がり(ふたがり)
 この方角を「塞がり」とか「方塞がり」と呼びました。現在でも、どうにもこうにも打開策が見つからない問題に直面したときなどに「いやぁ、八方塞がりだ」なんて云うことがありますが、この「八方塞がり」の塞がりは、その進んではいけない方角のことです。八方は全部の方角ということなので、この場合は、どこにも出口なしといった意味となり、お手上げの状態を表す言葉になったわけです。暦に関係する迷信には沢山の神様が登場します。神様なので人間にはない様々なお力をお持ちのようです。この様々な力を私たちに望ましい形で使ってくださるなら、私たち人間も幸せなのですが、困ったことに神様の力は必ずしも、善いことばかりに使われるわけではなくて、禍(わざわい)としても私たちに降りかかることがあります。神様の気に入るような行いをすれば「吉」ですが、気に入らないことをすると「凶」となるといった具合です。しかも暦に登場する神様の多くは気むずかしいらしく、人間の行いに対してその力を「吉」で応えるより「凶」で応えることの方が多いので、人間は神様の機嫌を損なわないように注意して暮らさなければ禍が降りかかると考えられました。神様の機嫌を損なう第一の行動は、その神様のいらっしゃる方角に向かうこと、あるいはその方角に向かって不浄な事を行うことがあります。神様も、いきなりその居場所に人が踏み込んできたら機嫌が悪くなる。この辺は人間と同じですが、人間と違うのは不機嫌の原因を作ったものに禍を下す力があることです。機嫌を損なっちゃいけない神様は、既に述べたように沢山いらっしゃるのですが、その中でも要注意の神様として十二神将や金神などがあります。

◇方違え
 神様の機嫌を損なって禍が下らないようにするためには人間は、気の短い危ない神様の居場所を心得ていて、その方角には行かないといった配慮をすることが必要になります。とはいえ、何かの用事で南に行かなければいけないとしてその方角が塞がっていたら、「神様が怒るのであの用事はキャンセルします」と云うわけにはなかなかいきません(自分が行きたくないときに言い訳に使う手はありますが)。ではどうするか?ここで登場するのが「方違え」です。方違えの原理はというと南に行きたいけど、南は塞がっているから、一度東に向かって、行きたい方角が、南西に見えるあたりから再出発する。というもの。この塞がりや方違えを真剣に信じていた平安時代の貴族は、誰かの家を訪ねる場合でも、その誰かの家の方角が悪いと、一度違う方角にある別の誰かの家に出かけて、泊まって(時には何日も・・・)から本来の目的の家に向かうという方違えを行っていました。「方違えのために泊めてくださいね」なんて、いきなり用もない人がやってきて泊まっていくなんて、来られた方はたまりませんね(当時は、お互い様だったから仕方ないとあきらめたのかな?)。平安時代の貴族様なら、まあこんなのんびりした方違えも出来たのでしょうが、だれでもこんなのんびりしたことが出来るわけではありませんので、時代が下がってくるとだんだんと方違えも簡略化され、泊まらないといけない → 行くだけでいい → いったふりだけでいいとなっていったようです。そのうちに、「いったふり」さえも忘れてしまって、それでもたいした禍が起きなかったと気付く人が増えたからか(この辺はずぼらな私の勝手な想像)方違えなど信じている人はほとんどいなくなり、塞がりも方違えも古きよき時代(?)の迷信となっていきました。

◇現代でも気になる人が・・・
 こよみのページを開いてから、○○の方向に引っ越そうと思うのですが、方角が悪いと言われました。どうしたらよいでしょうか?といった質問をいただくようになりました。その方角に向かうと機嫌の悪くなる神様がどなたかなんて、気になさっている方もよくはご存じないと思うのですが、その神様の機嫌を損なったときに下される禍という迷信だけは、現代にもまだ生き残っているんですね。私にとっては、こうした事実の方が神の禍が下ること以上の驚きです。迷信ですからね、気にしないことが一番ですよ。(「2020/11/30 号 (No.5175) 」の抜粋文)

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