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中秋の名月とダンゴ [かわうそ@暦]

□中秋の名月とダンゴ
 明日は中秋の名月。今年もそんな季節になりました。そんな季節になったので今年も中秋の団子の話です。中秋の名月と言えば皆さん、お供えのダンゴを思い出しますよね。花より団子ではなく、月より団子・・・。以前、名月の供え物についてアンケートを行ったことがあるのですが、その結果として、中秋の名月のお供え物の団子は「丸い」ものが一番多かったです。この辺は団子を作るより購入してくるという事からかもしれません。大量に作るには「丸い団子」が適していそうですから。

◇関東と関西の団子
 私の生まれ育った場所では、月見の団子は丸だったように記憶しています。まあ、40年以上も前の記憶ですし、食べられれば何でもOKだった子供の頃の記憶なので、自信を持って断言は出来ないのですが。ちなみに私の生まれたところは、福島県。一応関東の文化の影響圏内かな?現在住んでいる場所は和歌山。こちらは関西の文化圏。こちらでは団子は丸ではなくて、少し細長く、先端が尖った芋のような形。この違いは関東と関西の違いなのでしょうか? だとしたら、いつ頃から違っていたのか?こんな時に毎度お世話になるのが、守貞漫稿(もりさだまんこう)という江戸時代の後期に書かれた本。喜田川守貞という人が一人で30年もかけて書いた当時の風俗百科事典と言った本です。この本によると団子は、

  江戸   : 団子は正円(まんまる)
  京都・大阪: 団子は小芋の形に尖らし、豆粉に砂糖を加えて衣とする

 とあります。また団子の数についても言及が有り、京阪では平年は十二個、閏年は十三個供えたとあります。これは明らかにその年の「暦月の数」だけ供えたと言うことですね。一方の江戸に関しては数についての言及はないのですが、別の本などによると十五個供えるとありました。こちらの数は多分「十五夜」の数でしょう。守貞漫稿が書かれた時代には既に関東と関西で団子の形が違っていたようです。そう言えば、団子の衣についても子供の頃の団子にはなくて(かわりに団子自体にうっすらと甘い味が付いていました)、現在住んでいる関西の団子はきな粉や時には餡の衣をまとっています。この辺りの事情は 150年ほど前の江戸時代末期の状況と同じようです。

◇団子の形
 団子の形の違いですが、関西に見られる小芋のような団子というのがより古い形態のように思われます。中秋の名月の供え物は、団子以前は里芋だったと考えられています。今でもこの日に里芋を供える地方は多いはず。団子は始めこの「里芋」をかたどって作られ始めたものと考えられますから小芋の形の関西の形が原型に近いのではないでしょうか。関東の真ん丸の団子は、中秋の名月が一種の収穫祭という行事の性格が薄らぎ、名月を愛でる行事の性格が強くなった結果、供え物の団子も収穫物をかたどった小芋の形から、満月をかたどった真ん丸な形へと変化した物ではないかと考えています。どうですかね?皆さん供えるお月見の団子の形は果たしてどのような物でしょうか?読者の皆さんにお暇があれば、お住いの地域と共に団子の形など教えて頂けましたら嬉しいです(写真大歓迎!)。

                           (「2023/09/28 号 (No.6207)」の抜粋文)
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