【甘棠の愛】 (かんとうのあい) [かわうそ@暦]
【甘棠の愛】 (かんとうのあい)
人民がりっぱな為政者を心から慕うこと。出典『詩経 召南』
蔽(へい)はいたる甘棠
翦(き)る勿(なか)れ伐(き)る勿れ
召伯のやどりし所
蔽はいたる甘棠
翦る勿れ敗る勿れ
召伯の憩ひし所
・
・
甘棠(かんとう)とは、ヤマナシ、あるいは小リンゴの類の木だそうです。周王朝創業期の名臣、召伯はその領地を巡視する際に、この木を見つけるとその下に座って、そこで地域の住民の訴えを聴き、訴訟五事を裁きました。召伯の裁きは道理をそなえ、公平であるばかりでなく、訴えた人一人一人の気持ちまでくみ取るりっぱなものであったため、召伯がこうして領地を巡るうちに領内の風紀は高まり、人々の生活も安定しました。召伯が亡くなった後も人々はその徳を慕い、甘棠の木を見れば召伯の善政を懐かしみました。採り上げた詩は、その領地の人々が詠ったもの(「甘棠の詠」)だといわれます。
『こんもりと茂った甘棠の木。枝が茂り過ぎ邪魔になるから、切り払ってしまおうか。いやいや、枝を剪らないでおくれ。幹を伐らないでおくれ。召伯様がやどられた思い出の木だから。召伯様が憩われた思い出の木だから。』
そんな内容の詩です。詩経の国風に記録された詩は、詩というより民謡。民謡に謡われ、長く記憶されるほどの領主がいたということは、その地の人々にとっては、幸せなことでなのでしょうけれど、裏を返せばそんな為政者が現れるというのが、奇跡に近いほど希なことだということでもあるのでしょう。いや、そんな奇跡のような君主と出会えたのであれば、やはり幸せなことと素直に喜べばよいことなのかな?梨や林檎の花の咲く季節とあなりましたので、ふと「甘棠の愛」という言葉を思い出しました。
(「2023/05/07 号 (No.6063)」の抜粋文)
人民がりっぱな為政者を心から慕うこと。出典『詩経 召南』
蔽(へい)はいたる甘棠
翦(き)る勿(なか)れ伐(き)る勿れ
召伯のやどりし所
蔽はいたる甘棠
翦る勿れ敗る勿れ
召伯の憩ひし所
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甘棠(かんとう)とは、ヤマナシ、あるいは小リンゴの類の木だそうです。周王朝創業期の名臣、召伯はその領地を巡視する際に、この木を見つけるとその下に座って、そこで地域の住民の訴えを聴き、訴訟五事を裁きました。召伯の裁きは道理をそなえ、公平であるばかりでなく、訴えた人一人一人の気持ちまでくみ取るりっぱなものであったため、召伯がこうして領地を巡るうちに領内の風紀は高まり、人々の生活も安定しました。召伯が亡くなった後も人々はその徳を慕い、甘棠の木を見れば召伯の善政を懐かしみました。採り上げた詩は、その領地の人々が詠ったもの(「甘棠の詠」)だといわれます。
『こんもりと茂った甘棠の木。枝が茂り過ぎ邪魔になるから、切り払ってしまおうか。いやいや、枝を剪らないでおくれ。幹を伐らないでおくれ。召伯様がやどられた思い出の木だから。召伯様が憩われた思い出の木だから。』
そんな内容の詩です。詩経の国風に記録された詩は、詩というより民謡。民謡に謡われ、長く記憶されるほどの領主がいたということは、その地の人々にとっては、幸せなことでなのでしょうけれど、裏を返せばそんな為政者が現れるというのが、奇跡に近いほど希なことだということでもあるのでしょう。いや、そんな奇跡のような君主と出会えたのであれば、やはり幸せなことと素直に喜べばよいことなのかな?梨や林檎の花の咲く季節とあなりましたので、ふと「甘棠の愛」という言葉を思い出しました。
(「2023/05/07 号 (No.6063)」の抜粋文)