2023-03-19 [twitter投稿]
hippocampus460ウンナンオウバイ - 絵画風 https://t.co/g3jnDX8P5X @hippocampus460より03/18 16:54 hippocampus460おはようございます!6時起床、天気 /欠けていく三日月(6時22分、輝面比12.8%)視認できず。今日は有明月、月齢26.7。月の出:4時59分、月の入:15時35分です(北九州) /今朝の空は霞んでいるが概ね晴れ。福智山は視… https://t.co/4oFy9HUOcw03/19 06:36 hippocampus460『昼夜等分の日とお彼岸』hippo@home|https://t.co/7jlB39YzBo03/19 13:08 hippocampus460『ヒトツバタゴ(一つ葉田子)!』hippo@home|https://t.co/k4MBZlu7XF03/19 17:49 hippocampus460今日は暖かく良い天気に恵まれる。PM2.5のレベルは18(9→18)、AQI:平常 /午前中、花公園に出かける。常連さんも来ていました(*^_^*) 家族連れの入園者が多かった。園内を一周する。ヒトリシヅカ、孔雀椿、ナンジャモンジ… https://t.co/3kjxT8dcnI03/19 18:11
昼夜等分の日とお彼岸 [かわうそ@暦]
□昼夜等分の日とお彼岸
今年もお彼岸がやってきました。今年のお彼岸の期間は、3/18~24。その真ん中、彼岸の中日が春分の日で、今年は3/21がこの日にあたります。さて、この彼岸の中日である春分の日は「昼夜等分の日」ともいわれる事があります。仏教の中道の精神の象徴として昼夜の長さが同じとなる日を彼岸の真ん中に据えたわけです。
◇春分の日と昼夜等分の日
まあ、ここまでの話はよく聞く話です。では春分の日は本当に昼夜等分の日かというとそうでもありません。この日刊☆こよみのページの計算結果を見ると、東京付近では本日3/16がちょうど昼夜等分の日になっています。今日の日の出と日の入りの時刻(東京付近)をみると
3/17 日出 5時50分 方位 91度 日没 17時50分 方位269度
となります。東京以外では、数値が多少違ってきますが、日本国内ではおおよそ今日の前後にこのような「昼夜等分」の日を迎えるはずです。ちょっと春分の日とは違ってしまっていますね。現在の日出、日没の定義からすると、春分の日が昼夜等分の日にならないのは致し方のないことなのです。
◇日出、日没の瞬間
現在の日出の定義は、太陽の上の縁(上辺)が地平線に接する瞬間とされています。日没はどうかというと、同じく太陽の上辺が地平線に接する瞬間です。太陽の見た目は星のような「点」ではなく半径をもった円盤状に見えますから、この定義からすると他の星のような「点」に見える天体の出没に比べると、出るのは、「半径分早く」沈むのは、「半径分遅く」なることになります。昼と夜の長さという点からするとこれは昼に有利な裁定ではないですか! ちょっと夜が可愛そうです。また、夜に不利な条件はこれだけでは有りません。地球に空気があったり、日の出や日の入りを眺める人に身長があったりすることも不利な条件となります。ここでは詳しく触れませんが、地球に空気がある事による大気差と呼ばれる現象と、眺める人の目の高さによる眼高差と呼ばれる条件を計算に入れるとますます昼は長めに、夜は短めにその長さが計算されてしまうのです。現在の日出、日没の定義はこうした夜の長さから見ると不利な条件が幾つもあるため、こうした事を考慮しなければ春分の日になるはずの昼夜等分の日が、春分の日より数日前に移動してしまうのです。ちなみに今は春の話でしたが、秋の秋分の日の話とすると、昼夜等分の日は秋分の日の数日後となります。
◇彼岸の中日が昼夜等分の日というのは嘘か?
さて、計算上は彼岸の中日である春分の日(秋分の日も)は昼夜等分の日とは言えない事がわかりましたが、では彼岸の中日が昼夜等分の日というのは嘘かといえば、そうとも言い切れません。「計算上、昼夜等分にならない」理由を考えてみれば判るとおり、これは現在の私たちが日出没の瞬間を計算するために作った定義のためだからです。計算のために作った定義と、宗教上の観念的な定義が一致しないからと言って、どっちかが間違いと言うわけではないのですから。まあ、ここはそれぞれの考え方の違いだからしかたがないと、「大人の対応」をしようじゃありませんか。
◇大人げない宝暦暦?
「大人の対応」を呼びかけたところで思い出すのは大人げない宝暦暦と寛政暦。何が大人げないのかというと、この定義の違いによって起こる、いわば人為的な差を、さも重大なことのように扱って彼岸の日付を変えているのです。改暦というと、明治の太陰太陽暦から太陽暦への大改暦だけが注目されるのですが、それ以前にも日本は何度か改暦が為されています。江戸時代だけでも、貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦と 4つの暦が作られ、作られるたびに改暦が為されたわけです。さて本題に戻りましょう。宝暦暦には、
「彼岸は昼夜等分にして、天地の気ひとしき時なり。前暦の注する所、これに違えり」
と書いてあって、これによって彼岸の日付を変更しました。平たくいうと、
彼岸は昼夜等分の時だというのに、これまでの暦はそのとおりになっていないじゃないか。
と言っているわけです。そして「昼夜等分」となるように彼岸の日付を変更したわけです。このため宝暦暦・寛政暦では春の彼岸は春分の日より前に、秋の彼岸は秋分の日より後ろにずらされています。元々、暦の計算には何の関係もなかった彼岸の日付についてあげつらうように採り上げて、勝ち誇ってしまうなんて、大人げないとしか言いようがありません・・・。まあ、この大人げない宝暦暦の大人げなさの陰には能力以上の仕事を与えられた役人の涙なしには語れない(?)悲哀がありますが、改暦の理由としてそんなことを誇らしげに書いちゃうことは、やっぱり恥ずかしいかな?なお、宝暦暦・寛政暦の彼岸の日付に対する考えは次の天保暦には引き継がれず宗教的な「昼夜等分」の概念と暦上の「昼夜等分の計算」とは切り離されました。目出度し目出度し。いつの時代も「大人の対応」が大切だということでしょうね。「昼夜等分の日とお彼岸」から始まり、最後は「大人の対応」の大切さを再確認するに至った、本日のこよみのこぼれ話でした。
(「2023/03/19 号 (No.6014)」の抜粋文)
今年もお彼岸がやってきました。今年のお彼岸の期間は、3/18~24。その真ん中、彼岸の中日が春分の日で、今年は3/21がこの日にあたります。さて、この彼岸の中日である春分の日は「昼夜等分の日」ともいわれる事があります。仏教の中道の精神の象徴として昼夜の長さが同じとなる日を彼岸の真ん中に据えたわけです。
◇春分の日と昼夜等分の日
まあ、ここまでの話はよく聞く話です。では春分の日は本当に昼夜等分の日かというとそうでもありません。この日刊☆こよみのページの計算結果を見ると、東京付近では本日3/16がちょうど昼夜等分の日になっています。今日の日の出と日の入りの時刻(東京付近)をみると
3/17 日出 5時50分 方位 91度 日没 17時50分 方位269度
となります。東京以外では、数値が多少違ってきますが、日本国内ではおおよそ今日の前後にこのような「昼夜等分」の日を迎えるはずです。ちょっと春分の日とは違ってしまっていますね。現在の日出、日没の定義からすると、春分の日が昼夜等分の日にならないのは致し方のないことなのです。
◇日出、日没の瞬間
現在の日出の定義は、太陽の上の縁(上辺)が地平線に接する瞬間とされています。日没はどうかというと、同じく太陽の上辺が地平線に接する瞬間です。太陽の見た目は星のような「点」ではなく半径をもった円盤状に見えますから、この定義からすると他の星のような「点」に見える天体の出没に比べると、出るのは、「半径分早く」沈むのは、「半径分遅く」なることになります。昼と夜の長さという点からするとこれは昼に有利な裁定ではないですか! ちょっと夜が可愛そうです。また、夜に不利な条件はこれだけでは有りません。地球に空気があったり、日の出や日の入りを眺める人に身長があったりすることも不利な条件となります。ここでは詳しく触れませんが、地球に空気がある事による大気差と呼ばれる現象と、眺める人の目の高さによる眼高差と呼ばれる条件を計算に入れるとますます昼は長めに、夜は短めにその長さが計算されてしまうのです。現在の日出、日没の定義はこうした夜の長さから見ると不利な条件が幾つもあるため、こうした事を考慮しなければ春分の日になるはずの昼夜等分の日が、春分の日より数日前に移動してしまうのです。ちなみに今は春の話でしたが、秋の秋分の日の話とすると、昼夜等分の日は秋分の日の数日後となります。
◇彼岸の中日が昼夜等分の日というのは嘘か?
さて、計算上は彼岸の中日である春分の日(秋分の日も)は昼夜等分の日とは言えない事がわかりましたが、では彼岸の中日が昼夜等分の日というのは嘘かといえば、そうとも言い切れません。「計算上、昼夜等分にならない」理由を考えてみれば判るとおり、これは現在の私たちが日出没の瞬間を計算するために作った定義のためだからです。計算のために作った定義と、宗教上の観念的な定義が一致しないからと言って、どっちかが間違いと言うわけではないのですから。まあ、ここはそれぞれの考え方の違いだからしかたがないと、「大人の対応」をしようじゃありませんか。
◇大人げない宝暦暦?
「大人の対応」を呼びかけたところで思い出すのは大人げない宝暦暦と寛政暦。何が大人げないのかというと、この定義の違いによって起こる、いわば人為的な差を、さも重大なことのように扱って彼岸の日付を変えているのです。改暦というと、明治の太陰太陽暦から太陽暦への大改暦だけが注目されるのですが、それ以前にも日本は何度か改暦が為されています。江戸時代だけでも、貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦と 4つの暦が作られ、作られるたびに改暦が為されたわけです。さて本題に戻りましょう。宝暦暦には、
「彼岸は昼夜等分にして、天地の気ひとしき時なり。前暦の注する所、これに違えり」
と書いてあって、これによって彼岸の日付を変更しました。平たくいうと、
彼岸は昼夜等分の時だというのに、これまでの暦はそのとおりになっていないじゃないか。
と言っているわけです。そして「昼夜等分」となるように彼岸の日付を変更したわけです。このため宝暦暦・寛政暦では春の彼岸は春分の日より前に、秋の彼岸は秋分の日より後ろにずらされています。元々、暦の計算には何の関係もなかった彼岸の日付についてあげつらうように採り上げて、勝ち誇ってしまうなんて、大人げないとしか言いようがありません・・・。まあ、この大人げない宝暦暦の大人げなさの陰には能力以上の仕事を与えられた役人の涙なしには語れない(?)悲哀がありますが、改暦の理由としてそんなことを誇らしげに書いちゃうことは、やっぱり恥ずかしいかな?なお、宝暦暦・寛政暦の彼岸の日付に対する考えは次の天保暦には引き継がれず宗教的な「昼夜等分」の概念と暦上の「昼夜等分の計算」とは切り離されました。目出度し目出度し。いつの時代も「大人の対応」が大切だということでしょうね。「昼夜等分の日とお彼岸」から始まり、最後は「大人の対応」の大切さを再確認するに至った、本日のこよみのこぼれ話でした。
(「2023/03/19 号 (No.6014)」の抜粋文)