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茅の輪くぐり [かわうそ@暦]

□茅の輪くぐり
 夏至を過ぎて、六月も終盤にさしかかってまいりましたので、六月最後の日に行われる夏越し祓(なごしのはらえ)に登場する「茅の輪」についての話を採り上げルことにします。夏越の祓というお祓い行事は六月の最後の日に行われます。この夏越の祓は年末の大晦日に行われる大祓と対をなすもので、ちょうど半年離れたところにあります。旧暦時代は六月は夏の終わり、晩夏の月でした。夏の終わりである六月晦日とその翌日の七月朔日は暦の上では夏から秋への切り替えの日で、この夏の最後の日にそれまで半年間の罪障、穢れを祓うというのがこの祓え行事の意味だと考えられます。六月に行われる祓えなので「水無月の祓」とも言われました。また、この行事には本日採り上げる茅の輪くぐりが行われることから輪越の祓と呼ばれることもあります。

◇茅の輪の由来
 夏越の祓には「茅の輪」と呼ばれる茅(ちがや)や、真菰(まこも)、蒲の穂を束ねて作った大きな輪を神社の鳥居や拝殿に据えて、これをくぐる行事が行われます。この輪をくぐることによって災厄や疫病から免れることが出来ると言われています。この茅の輪の由来とされるのは備後風土記にあった(逸文)とされるにある「蘇民将来(そみんしょうらい)」の故事です。ある村に蘇民将来と巨旦将来という兄弟が住んでいました。弟の巨旦将来は富裕でしたが兄の蘇民将来は貧乏でした(このあたり、ありがちな物語の設定です)。さてある夜のこと、武塔(むとう)の神という正体のわからない神様が旅の途中にこの村を通りかかり、そこで一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、貧乏な蘇民将来はこれを受け入れ、この神をもてなしました(これもなんだかありがちな設定・・・)。さて、旅の帰り道に再び武塔の神はこの村に立ち寄り、宿を貸してくれた蘇民将来に自分がスサノオであると名乗り、この村に疫病が拡がり人々が死ぬであろうと伝えます。そしてお前とお前の子孫はこの災厄を免れるだろう。お前の子孫には目印として腰に「茅の輪」をつけさせよ。と言って立ち去ります。そしてその言葉通り、村の人々は茅の輪を腰に付けたものを残して人々は疫病で死んでしまったそうです。それ以来、この茅の輪は疫病を避ける呪いの品となりました。長野県では茅の輪ではなくて、蘇民将来子孫という札を玄関にかける場合もあります。茅の輪も蘇民将来札もどちらも私は疫病を免れると約束された蘇民将来の子孫ですということを主張しているわけです。蘇民将来がこの様子を見たら、自分の子孫(を名乗る人)のあまりの多さにビックリするかも知れませんね。ここ数年は、新しい疫病(あれですよ、あれ)によっていろいろと大変でしたから、今後こんなことが起こらないように、茅の輪の霊力に頼りましょうかね?

◇閏六月のあった頃
 さて余談ですが、旧暦時代には閏月がありました。「夏越の祓は六月晦日、夏の最後の日に行われる」と言いましたが、もし閏六月があったらどうしましょう?この「閏月」のあった昔にもやはりこれに人々は悩んだようで、これに対して専門家(陰陽師)に尋ねたところ夏越の祓は夏の終わりの日祓えなのだから、閏月であっても六月は六月であり、夏の内であるから閏六月に行うべきだと返答を受けたという話があります(「吾妻鏡」にあるそうですが元の文章を読んでいません。孫引きです。すみません・・・)。余分なもの(閏月)があると、余計な心配事が増える例でしょうか。さて、今年も間もなく夏越しの祓。先日どこかの神社で茅の輪が据え付けられたというニュースがテレビに流れていました。この週末も、きっと蘇民将来の子孫を名乗る大勢の人々があの茅の輪をくぐり抜けているのでしょう。茅の輪の霊力を持って、流行病を退散させて、今年は「当たり前の年」になるといいなと思います。

                          (「2023/06/25 号 (No.6112) 」の抜粋文)
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ハス(蓮)! [ヘッダー画像]

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2023.06.20撮影
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今日(6/20)の夕方、西の空に見える月は【三日月】です [かわうそ@暦]

◆今日(6/20)の夕方、西の空に見える月は【三日月】。
新月後に初めて見える月が見えるのはこのころ。夕方の空に見える月であることから「夕月」、古代の美人画の眉のように細い月であることから「眉月」とも呼ばれます。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 1.9 (6/20 の正午の値)
・月出:6/20 5時42分 月没:6/20 21時 0分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):6/20 13時23分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 402300 km (平均距離の 1.04倍)。

 月は平均より 17300km遠く、見かけの大きさはいつもより少し小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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日の出が一番早い日は? [かわうそ@暦]

□日の出が一番早い日は?
 一年で一番昼の時間が長くなるのは夏至(今年は6/21)だということは皆さんよくご存じのことと思います。東京での夏至の日の昼の長さは14時間35分で、確かに一年で一番昼の長い日になっています。

◇日の出が一番早い日は
 こよみのページを開いていると、夏至の頃になると必ずと言っていいほど、「夏至の日より、日の出が早い日があるのはなぜか?」という質問があります。これと同じ質問(というか、裏返しの質問)は冬至の頃にもあり、こうした質問が来ると、ああ夏至(冬至)なんだなと思います。こよみのページにとっては年中行事のようなものです。ところによって日付はちょっと変わるのですが日本付近だと大体夏至の10日程前の方が、夏至の日よりちょっとだけ日の出の時刻が早いです。判りやすくするため、計算地点は日本標準時の基準とされる東経135.00°上で行うことにします(明石市付近として、東経135.00° 北緯 34.65°の経緯度で計算してみました)。6/13と、6/21とついでに6/26の日出・南中・日没時刻及び、昼時間(日出~日没までの時間)を並べてみます。

 6/13 日出 4:46 南中 12:00 日没 19:14 昼時間 14:28
 6/21 日出 4:47 南中 12:02 日没 19:17 昼時間 14:30 (←夏至の日)
 6/29 日出 4:49 南中 12:03 日没 19:18 昼時間 14:28

 確かにちょっとだけですが夏至より日の出が早い日、日没が遅い日があります。でも昼時間はやはり夏至の日が一番長い(まあ、いずれもちょっとの差ですけど)。

◇時計の一日と自然の一日
 さて、こうしたことが起こる理由は「均時差」というものがあるためです。以上、回答終わり。めでたしめでたし。均時差については、Web こよみのページに冬至は一年で一番日の出遅い日か?・・・

  均時差の話 ⇒http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0508.html

 に詳しく書いてありますので興味のある方はお読み下さい(結構量があります)。詳しい内容はそちらの記事にまかせるとして、既に書いた東京での日出、南中、日没の時刻を見ただけでもある程度理由がわかります。注目するべきなのは日出没の時刻ではなく、南中時刻です。南中時刻とはこの場合、太陽が真南を通過する瞬間なのです。その昔は太陽が真南に来た瞬間から次にまた真南に戻ってくる周期を「一日」としていました。もし現在もそうだとしたら、南中時刻は恒に同じ時刻になるはずで、今回の計算例のように日本の標準経度である東経 135°の線上では正午丁度となるはずです。ところが南中時刻が正午(12:00)になっているのは、上記の3例では 6/13のみで、6/21,6/29の南中時刻は正午ではありません。これは「太陽が真南に来てから次に再び真南に来るまでが一日」という「一日」の長さが変化するということで、これが均時差の生まれる理由です。この南中時間を基準にして、昼時間を 1/2すると 1/2前が日出、 1/2後が日没となります。つまり日出没の時間が夏至の日より早くなったり遅くなったりするのは、この基準になる南中の時刻がずれてしまっているために起こる現象なのです。太陽が真南に来て再び真南に戻ってくるまでの一日の長さを自然の一日(これを「真太陽日」あるいは「視太陽日」と言います)としますと、この自然の一日の長さは季節変化します。この変化は一日ごとに見ると最大でも28.5秒ほどで小さい値ですが、塵も積もれば目立つほどのさに成長します。この結果、夏至より日の出の早い日が生まれるのです。現在私たちは、最大でも28.5秒でしかない一日の長さの違いですらはっきり判る正確な「時計の一日」に基づいて暮らしています。そのため正確な時計の一日を基準に、自然の一日を眺めて夏至の日より、日の出の早い日がある。不思議だ。と考えるようになっています。太陽の南中から南中までが「一日の長さ」と単純に考えていた自然の一日で暮らしていた時代には、こうした「不思議な現象」自体がおこらなかったのです。正確な時計とその時計の示すいつも同じ一日の長さを手に入れた故の「不思議な現象」に首を捻るなんて、なんだかちょっと皮肉な話ですね。

                          (「2023/06/19 号 (No.6106) 」の抜粋文)
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