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シコンノボタン(紫紺野牡丹)! [ヘッダー画像]

231117no20.JPG
別名:ブラジリアンスパイダーフラワー
2023.11.17撮影
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「南斗と北斗」にまつわる雑話 [かわうそ@暦]

■「南斗と北斗」にまつわる雑話
 仏の入り口の季節となり、日が落ちる時間が早くなりました。その上、空が澄んできたためなのでしょうか、日が落ちてから空が暗くなるまでの時間も短くなっている気がします(日が落ちる直前から既に薄暗く感じる暗いかな?)。この辺りの現在の日没の時刻は16:50頃。昨日、17時頃に外に出ると、辺りは既に暗くて、空には星が出ていました。西の空には、はくちょう座やわし座、こと座そしていて座などの夏の代表的な星座が見えていました。冬の初めに夏野代表的な星座を眺めているというのも可笑しなものだななんて思っておりました。いて座は大分地平線に近いところにありましたが、空気は澄んでいるしこの辺りはドンと田舎で、地平線付近まで空は暗いのため、いて座の一部を形作る南斗六星もはっきりと見ることが出来ました。南斗六星は柄杓の水を入れる部分(「合」というらしい)を伏せた形で寝そべっている感じでした。南斗六星を見たところでふと北斗七星は見えているかな?と思って北の方に目を転じると在りました。北斗七星も間も沈もうとするところで、こちらは地平線に「合」の部分を上に向けて横たえた感じ。南斗六星とはちょうど反対の状態でした。南斗六星は南西に、北斗七星は北西(北北西?)に、太陽の沈んだ辺りを挟んで地平線に寝そべった姿で見えていました。ただそれだけのことでしたが、北斗七星と南斗六星の二人が寝そべる姿を見て、この二人にまつわる話を一つ思い出しましたので、その話を採り上げてみることにしました(「暦のこぼれ話」じゃないな・・・)。

◇北斗七星と南斗六星にまつわる話
 「斗」は元々は酒を汲むための柄杓のような道具の呼び名。北斗七星の柄杓型の並びを思い出してもらえば、「北斗」の名が付いたのも頷けると思います。北斗があればありそうなのが南斗ですが、本当に南斗と呼ばれる星もあります。それが南斗六星(なんとろくせい)。現在なじみのある星座で言えば、射手座の弓の部分に当たる星です。南斗六星は古代中国の星座で言えば「斗」という星座。月の位置から季節の動きを読み取るために使われた二十八宿の一つ「斗宿」に当たります。この北斗七星と南斗六星にまつわる面白い話があります。この話には日本でもよく読まれている(?)三国志演義に登場する管輅(かんろ)という「卜占神のごとし」と呼ばれた占いの名手の話です。ある時、この占いの名手である管輅が田仕事をしている若者に目をとめました。管輅が彼の年齢を尋ねると「十九歳」という答えが返ってきました。その答えを聞いて管輅はため息をつき「かわいそうだが、君の寿命は間もなく尽きる」と言いました。言われた若者はビックリ、どうにか命を永らえる方法はないかと管輅に尋ねると、管輅はしばらく思案した後に「あるとすれば・・・」と次の秘策を授けました。「明日、南山の麓の大きな桑の木の下で老人が二人碁を打っている。上等の酒一樽、鹿肉一塊を持って出かけ、ただ黙ってその酒と肉を二人に勧めなさい。くれぐれも口をきいてはならない。」若者は翌日、言われたとおり酒と鹿肉を用意して南山にに出かけると、麓の大桑の木の下で夢中になって碁を打つ老人が二人を見つけました。若者が二人に近づき、その傍らにそっと酒と肉を置くと、二人は何も言わず、酒と肉に手を付けました。しばらくして、碁の勝負が一段落すると老人たちがやっと若者の存在に気が付き、北の方に座るの老人が「そんなことをしても、おまえの寿命は決まっている。どうにもならん」といいました。すると南に座る老人が取りなすように「そうは言っても、酒と肉に手を付けて何もしないわけには行くまい」と言って、その懐から一冊の帳簿を取り出しページをめくりました。帳簿の中に若者の名前と、その後に「十九歳」と書き込みがありました。「なるほど、これを延ばして欲しいというわけだな」と南の老人はつぶやき、暫し思案した後で「十九歳」の前に「九」という文字を書き加えて「九十九歳」に変更しました。そして「管輅には、軽々しく天機を漏らすなと言っておけ」というと、老人たちは鶴に姿を変えて飛び去ってしまいました。南山から帰ってきた若者の顔を見た管輅は「どうやら上手くいったようだ」といいました。若者がその日の出来事を語ると管輅は「北側の老人は北斗七星の精で人の死を、南側の老人は南斗六星の精で人の生を司っている。お前の寿命は十九歳出会ったが、見所があるお前が若死にするのは不憫に思え、つい余計なことをしてしまったというわけだ。」とこれまでの出来事の意味を教えてくれました。北斗は死を、南斗は生をという考えは、北は植物の枯れ尽きる冬を、南は生命を育む夏(太陽)を連想させるところからの対比でしょうか。また北斗も南斗もいずれも暦と関係があり、時を測るために使われた星座ですから、その点から人の寿命を計る神を考えついたのかも。そういえば星座の名の元となった「斗」は酒を汲む道具である一方、酒の量を量る道具でもあるあります。二重の意味でものを計(量)る星座といえますね。本日紹介した話は三国志演義に登場します。三国志演義は史実ではなく小説ですが、中国の民衆には広く親しまれたもの。この北斗と南斗の話が書かれたのは民衆の間に「北斗と南斗・死と生」を連想をする土壌があったからなのでしょうね。昨晩、地平線に寝そべった南斗六星と北斗七星を見て、ふとこんな話を思い出してしまいました。そろそろ自分の寿命が気になってきたからかな?そういえば、南斗六星と北斗七星の間には大きな木があったな。あれが桑の木だったら、お酒と鹿肉(幸いこの辺りには野生の鹿がいっぱいいる)を用意して今日にでも出かけるところですが、残念ながらあの大きな木はクヌギの木。多分、碁を打つ老人は見つからないでしょうね。

                          (「2023/11/25 号 (No.6265) 」の抜粋文)
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