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お彼岸の日付と春分・秋分の日の関係 [かわうそ@暦]

■お彼岸の日付と春分・秋分の日の関係
 明日は春分の日、春の彼岸の中日です。彼岸の時期になると「お彼岸はいつからいつまでですか」という質問をいただくことがあります(そういえば、今年はまだないな)。中には、Web こよみのページの雑節のページ暦の雑節 http://koyomi8.com/zassetsu.phpで解決しましたといううれしいお便りも幾つかあります。嬉しいな。その彼岸の期間ですが現在は、春分の日・秋分の日を中日としてその前後三日、計 7日とされています。今回の彼岸の例で言えば

  入り 3/17
  中日 3/20
  果て 3/23

 の期間となります。

◇彼岸が暦に書かれた理由
 彼岸は仏教行事で暦に記載されるものではありませんでしたが、必要があった(現代フーに言えば「ニーズがあった」)からでしょう、今では雑節の扱いで書き込まれることが普通になっています。彼岸の日付が暦に記載されるようになった理由は「国史大事典」によれば『昔(彼岸会の)談義説法は比叡山の坂本に限って行われていた。都鄙の人々はこの説法を聞きたいがために群れ集うのだが、その年の彼岸の日付がよくわからないので難儀するからと、比叡山からの要請があってこれを暦に載せるようになった。』です。「国史大事典」のこの部分の元は「江戸の歳事風俗史」の記述です。これによると彼岸が暦に記載されるようになった理由はなんと、お坊さんの説法を聞きたいがために群れ集う善男善女への便からだったとか。今のお坊さん方も、善男善女がカレンダーにこの日をマークして、これを楽しみとして人々がお寺に群れ集うような説法をして頂きたいものですね。「カレンダーのマーク」はカレンダー屋さんが既に赤く塗ってくれていますので安心ですけど(「春分の日」という祝日としてね)。

◇お彼岸の日付の変遷
 この彼岸の日付ですが、前段で書いた「善男善女の時代」には春分、秋分の日から数えて三日目が彼岸の入りの日でした。この時代の春分・秋分は恒気法という計算方式で、現在の定気法という方式で計算した春分・秋分と1~3日異なります。たとえば、2024年の春分の日を定気法で計算するとご存じの通り、3/20となります。これを恒気法で計算すると3/22となり、少し遅い日付となります。彼岸が暦に記されるようになった時代の暦は、恒気法で求めた春分・秋分を計算しておりましたので、これを基準にして「春分・秋分の日から数えて三日目が彼岸の入りの日」とすると

  彼岸  3/24~3/30 (中日は 3/27)
  秋彼岸 9/23~9/29 (中日は 9/26)
  ※日付は、現在の暦(いわゆる新暦)によるものです。

 となります。この日付だと彼岸は今よりちょっと後になりますね。これは貞享暦の終わり(1754年)まで使われた彼岸の期間ですのです。次に、江戸時代の中期の暦(宝暦暦・寛政暦 1755~1843年)のお彼岸の期間はというと、
 
  彼岸  3/17~3/23 (中日は 3/20)
  秋彼岸 9/19~9/25 (中日は 9/22)

 となります。この宝暦暦・寛政暦の彼岸の考え方はちょっとイレギュラーなもので、「彼岸の中日は昼夜等分の日」と昔から考えられていたことを暦の上で実現したものです。彼岸の中日が昼の長さと夜の長さが同じになる日と言う観点で決定したのです。彼岸の中日は当時の恒気法によって計算した暦の春分・秋分の日異なります(現在の定気法で計算した春分・秋分の日と一致します)。この宝暦暦・寛政暦の次にやって来るのが日本最後の太陰太陽暦である天保暦です。この天保暦から春分・秋分の日の計算が恒気法から定気法(現在使用する方式)に変わり、彼岸の考え方も現在の私たちが考えるものと同じ、つまり春分・秋分の日を中日としてその前後三日の期間というものになって現代に至っています。いろいろ細かく見ていくと、面倒くさい彼岸の期間と春分・秋分の日の関係ですが「へ~」とは思っても、普通の人は気にしないでしょうね。悩まなかったって暦に書いてあるわけですから。そう考えれば、お坊さんの説法を聴きたくてお寺(高野山)に人々が詰めかけた昔も、現代も同じですね。これが「暦」の効用なのかな?

                          (「2024/03/19 号 (No.6380) 」の抜粋文)
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2022.03.19撮影
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