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「シルクロードの日」と楼蘭 [かわうそ@暦]

■「シルクロードの日」と楼蘭
 「今日は何の日」のデータによれば、今日は「シルクロードの日」。これは、かつてシルクロードの要衝にあり、交易で栄えた都市、楼蘭(ろうらん)の廃墟が、中央アジアのタクラマカン砂漠の中に発見されたのを記念した記念日です。楼蘭発見の年は1900年(明治33年)でした。

◇楼蘭(ろうらん)とロプ・ノール湖
 楼蘭の名は中国の有名な史書、史記にも登場する都市で、史記によれば塩水を湛えた大きな湖(ロプ・ノール湖)の湖畔に栄えた城郭都市であったとされていましたが、その大きな塩湖とともに砂漠に姿を消して1900年当時にはどこにあったのかも解らなくなっていた都市でした。楼蘭があったと考えられたタクラマカン砂漠は、年間の降水量がわずか数mmに過ぎないという極度に乾燥した砂漠です。その「タクラマカン」という名前はウイグル語で「死の世界」を意味し、迷い込んだら生きては帰れない砂漠と怖れられた場所だったそうです。19世紀末当時、タクラマカン砂漠周辺は地球上に残された数少ない地理学的な空白地帯で多くの地理学者、探検家を引きつける場所となっていました。その地理学的空白地帯を埋めるべく、幾隊もの調査隊が向かいましたが、かつて「広大な塩湖、ロプ・ノール湖」があったことが、史記を始めとした古い文献には度々記述されているにもかかわらず、どの隊もその塩湖を発見することが出来ませんでした。実は、1876~1877年にこの地域を調査したロシアの調査隊は、タリム河の下流に二つの湖があることを発見し、これがロプ・ノール湖であると考えましたが、この湖は淡水湖であったことと古代中国の地図から推定される場所から、 400kmも離れた場所にあることから、ロプ・ノール湖とは別の湖であると考える者も多く、相変わらず、ロプ・ノール湖とその湖畔に栄えたとされる楼蘭の存在は謎のままでした。

◇砂漠に消えたロプ・ノール湖とその復活
 ロプ・ノール湖の所在とその湖畔に栄えたとされる楼蘭の謎は1900年にタクラマカン砂漠地帯を調査していたスウェーデンの地理学者、スヴェン. A.ヘディン(Sven.A.Hedin) が砂漠地帯で干上がった古代の湖の痕跡を発見し、次にその湖の痕跡の周辺から古代都市の遺跡を発見したことで、解かれました。この干上がった湖こそ、史記にその存在が記述されていた塩湖であり、古代都市の遺跡が楼蘭だったのです。ヘディンの発見は単なる偶然によるものではなく、ロプ・ノール湖があったと考えられる場所を縦断し、その高低図(断面図)を作れば、かつて湖であった場所があればその地形的な特徴が解るはずと考えを進め、調査した結果でした。ヘディンの予想は当たり、干上がった湖と思われる地形が見つかりました。そこからは塩の層や貝殻、それに湖畔に生えていたと思われる涸れた木の痕跡が見つかりました。そしていくつかの幸運があって、ロプ・ノール湖の湖畔に栄えたとされる楼蘭の廃墟も同時に発見できたのでした。この発見後も周辺の地形の調査を継続したヘディンは、失われた塩湖、ロプ・ノール湖の跡と、その 400km南にあるロシアの調査隊が発見した淡水湖の関係に気づきました。この地域一帯の標高差はほんのわずかなもので、河が流れれば水が運ぶ堆積物によって河床が高くなり、一方、強い風が吹きつける砂漠地帯は風による土砂の浸食によって低い場所が出来てゆきます。この傾向が長く続くのなら河はやがてその流路を変えるのではないかとヘディンは考えました。こうした河の流路の変化によって、かつてロプ・ノール湖であった湖への河水の流入が途絶え、ロプ・ノール湖は干上がり、新しく河水が行き着いた先に別の湖が出来たのではないか?そして、豊かな水を湛えたロプ・ノール湖が干上がると、水を失った都市、楼蘭も見捨てられ、砂漠に埋もれることになったのではないかと。発見当時は、干上がった状態であった、かつてのロプ・ノール湖でしたが、もしヘディンの考えが正しいのだとすれば、いつかまた河の流路が変わり、再び昔の姿を取り戻すかもしれない。ただ、こうした自然の変化は何百年、何千年どころか、何万年もかかる変化かも知れない。こうした変化を思いついたヘディン自身も、それが本当かどうか、確かめられる日が自分の命の続く間に起こるとは思っていなかったようです。ヘディンの考えはある点では正しく、そしてある点では間違っていました。ヘディンの発見からわずか21年後、砂漠地帯を流れている河が流路を変え始め、砂漠に消えた湖、ロプ・ノール湖が再びその姿を現したのです。これを知ったヘディンは、1934年に再びこの地を訪れ、いつかロプ・ロール湖が復活するだろうという自分の説の正しさと、自分の命の続く間に、それを確かめることは出来ないだろうという予想の誤りを知ることができたのでした。

◇余談
 「シルクロードの日」にかけて、中学生の頃にワクワクしながら読んだ、ヘディンの探検記の話などを思い出しながらこの記事を書きました。あの頃は、私もまだ純真だったななどと思いながら・・・最後に、残念なお知らせ。ロプ・ノール湖は、ヘディンが復活を目にした後、20世紀半ばまではその姿を留めていたそうですが、その後の気候の変化や河にダムが作られたことの影響などから、現在は干上がってしまっており、その湖底の跡に塩の層を残すばかりになってしまっています。
 ウィキペディア(日本語版)https://ja.wikipedia.org/ によれば、1959年には存在が確認されており、完全に干上がったのは1962年と推定されているとのこと。残念です。現在、GoogleEarthでかつてロプノール湖のあったあたりには、湖底痕とおぼしき地形(色かな?)と巨大な肥料プラント(塩田みたいなもの)が写っています。

                          (「2024/03/28 号 (No.6389) 」の抜粋文)
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