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ムラサキケマン(紫華鬘)! [ヘッダー画像]

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別名:ヤブケマン(藪華鬘)
2023.03.23撮影
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江戸の桜の咲くころ [かわうそ@暦]

□江戸の桜の咲くころ
 今朝、テレビのお天気コーナーで、東京の靖国神社にあると言う桜の標準木の花(まだ蕾?)の状況を中継していました。枝の先にはほんのわずかですが、咲いていると言っていいのかな・・・という花とも蕾ともつかないものが映っていました。今日明日中には開花宣言となるのかな? といった感じでした。この分で行くと今週末くらいにはちょっと気の早い花見が出来るくらいにはなりそうです。きっと、桜の名所は賑わうことでしょうね(東京在住でもないので、他人事ですが)。東京の花見の話題から、本日は東京が「江戸」と呼ばれていた時代の江戸の花見の時期の話を一つ。

 今も昔も、この時期になると多くの人が楽しみにしているのが花見。斎藤月岑の書いた『東都歳時記』の二月の項には江戸の花見の様子が描かれていますので、本日は東都歳時記にある、桜の見頃の時期を眺めてみることにしましょう。眺めるのが桜そのものではなくて日付けというところが、こよみのページですけどね。なお、本日活躍してくれる東都歳時記は天保九年(AD1838)に刊行された本で、江戸の昔の風俗を知る上で大変重宝な本です。

・彼岸櫻(ひがんざくら)
 立春より五十四五日目頃より (新暦3/29頃)

  東叡山 山王、車坂、二ツ堂の前両側、四軒寺入口。寒松院の原犬ざくら
  其他、上野山中は彼岸櫻多し ・・・後略・・・

・枝垂櫻(しだれざくら)
 立春より五十四五日目頃より (新暦3/29頃)

  東叡山(坊中に多し) 谷中日暮里 湯島麟祥院 根津権現社 小石川傳通院 
  大塚護持院 広尾光琳寺 ・・・後略・・・

・単弁櫻(一重桜 ひとえざくら)
 立春より六十日め頃より (新暦4/4頃)
 
  東叡山 谷中七面宮境内 駒込吉祥寺 小石川白山社地旗櫻 大塚護国寺
  小金井橋の両側 江戸より七里余りなり。・・・後略・・・

・単弁櫻(一重桜 ひとえざくら)
 立春より六十五日め頃より (新暦4/9頃)

  東叡山 飛鳥寺 ・・・中略・・・ 豊島足立の野径を見渡し、風景等尋常ならず。
   毎春遊観多し。王子金輪寺の前 ・・・後略・・・

・重弁櫻(八重桜 やえざくら)
 立春より七十日め頃より (新暦4/14頃)

  東叡山 谷中日暮里 諏訪社辺、田園の眺望いとよし。・・・中略・・・
  道灌山の辺雲雀多し。王子権現社辺瀧の川 根津権現社内 谷中天王寺 
  同瑞林寺 品川御殿山 ・・・後略・・・

・遅櫻(おそざくら)
 立春より七十日め頃より (新暦4/14頃)

  東叡山 浅草寺の千本ざくら、深川八幡の園女が歌仙櫻は今少し。
  以上家父縣麻呂が撰置る『花暦』の一枚刷りによりて日並を録す。

  且ここに記せしは、開きそむべき日並なり。真盛を見んとならば、これよりおくれて見るべきなり。櫻に限らず、開花の時候大概定りあれども、年の寒暖によりて、少しの遅速あり。・・・後略・・・

 東京の方ならなじみのある地名が結構あったのではないでしょうか。たびたび登場する「東叡山」は上野寛永寺の山号です。上野は当時から、東都(江戸)第一の桜の名所として有名でした。遅櫻の項の後にこれは開花の時期だと書いてありますから、花見の時期は今よりは多少遅い時期でしょうか。この辺は当時の桜と現在主となっている染井吉野の開花時期の差でしょう。

◇開花の時期は「立春からの日数」
 ごらんになって分かると思うのですが、開花の時期の記述は

  立春より○○日目頃

 と有ります。現在ならこんな回りくどい書き方はせずに、

  ○月×日頃

 と書くはずです。ちなみに前述の説明でも

  立春より○○日目頃 (新暦 M/D 頃)

 と()に日付けを入れたのは私。皆さんがその時期をイメージしやすいように。カレンダーを横において、立春からの日数を数えるのは大変でしょうから。なぜ東都歳時記では桜の開花の時期を「月日」で書き表さなかったのかといえば、当時の暦(いわゆる旧暦)では、暦の日付けと季節との関係は、年によって、最大 1ヶ月あまりもずれてしまうため、桜の開花の時期のような、季節の巡りに連動する自然現象を表すには、旧暦の日付けが適していなかったためなのです。度々登場した「立春」はご存じのとおり、二十四節気の一つで、二十四節気は元々、太陰暦の欠点である暦の日付けと季節とのずれが、極端に大きくならないように補正するための仕組みとして旧暦(太陰太陽暦)に取り入れられたものなのですが、その二十四節気を取り入れて補正してもなお、最大では 1ヶ月近く、暦の日付けと季節の間に差が生じてしまうため、日付けに頼らず、直接二十四節気(の一つ、立春)からの日付けで示したというわけです。同じように季節の変化の目安として、立春からの日数で示されたものとしては、八十八夜、二百十日、二百二十日などがよく知られています。今でも、「旧暦は日本の季節によく合う暦だ」とおっしゃる方によく出会いますが、それはどうでしょうか?本当に旧暦の日付が日本の季節によく合うのなら、その暦を使っていた江戸時代の人々が、暦の日付でなくて立春からの日数で桜の開花時期を記録する必要などなかったと思うのですが。新暦でいえば「○月×日頃」と簡単に書けるのに、わざわざ立春からの日数なんて言う面倒な方法で桜の開花のような季節の変化を表す事柄を書き表していたことを見ると、旧暦の日付では季節の変化を適切に表せないことを、実際にその暦(旧暦)を使っていた人たちは知っていたということですね。本日は江戸の花見の時期について見てきましたが、東京やその隣県にお住まいの方、今週末辺りに本日紹介した江戸の桜の名所を古地図片手に散策して桜の名所の変化を楽しんでみるなんていうのも面白いかも。桜の花が散ってしまうまでの短い期間ではありますが、色々と楽しいことが思い浮かびますね。


                          (「2024/03/27 号 (No.6388) 」の抜粋文)
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