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2018-06-16 [twitter投稿]



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ササユリ(笹百合)! [ヘッダー画像]

180610no45.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2018.06.10
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今日(6/16)の夕方、西の空に見える月は【三日月】です [かわうそ@暦]

◆今日(6/16)の夕方、西の空に見える月は【三日月】。
新月後に初めて見える月が見えるのはこのころ。夕方の空に見える月であることから「夕月」、古代の美人画の眉のように細い月であることから「眉月」とも呼ばれます。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 2.3 (6/16 の正午の値)
・月出:6/16 6時48分 月没:6/16 21時19分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):6/16 14時 6分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 360800 km (平均距離の 0.94倍)。

 月は平均より 23600km近く、見かけの大きさはいつもより大きいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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和菓子の日 [かわうそ@暦]

■和菓子の日
 本日、6/16は和菓子の日。甘いもの好きのかわうそとしては、見逃せない記念日です。「和菓子の日」は六月十六日に古くから行われていた「嘉祥の儀」という行事がもとになっています。昔からの行事ですのでもちろん六月十六日という日付は旧暦時代の日付ですが、日付をそのまま新暦の6/16に移したものが現在の「和菓子の日」です。制定は全国和菓子協会。まあ、解りやすい関係です。(全国和菓子協会 http://www.wagashi.or.jp/ )

◇嘉祥の儀の始まりは
 江戸時代の百科事典である「和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)」には、承和十五年( 848年)に、朝廷に白亀が献上されたことから、これを瑞祥として、仁明天皇がこの年を「嘉祥」と改元し、群臣に十六種類の食物を賜ったことに始まったと言われます。改元の行われた日付は神託に基づいて六月十六日となり、また「十六」にちなんだ数の菓子や餅を神前に供えたことが「嘉祥の儀」という儀式となって伝えられのでした。室町時代以降となるとこの宮中行事が武家にも拡がり、この日は16文で菓子を求めてこれを食するようになりました。旧暦六月といえば暑さの厳しい時期ですので、一種の暑気払い行事となっていったようです。

◇江戸城での嘉祥の儀
 江戸城ではこの日、将軍から杉の葉を敷いた片木盆(へぎぼん)に十六種類の菓子盛りを諸大名や家臣に与えています。ちなみに「片木」は杉や檜の木を薄くはいだものです。このとき将軍から与えられた嘉祥菓子はどれくらいの数かというと、当時幕府御用菓子師が納入した記録には、総数1612膳とあるそうです。1612膳もの片木盆が並んだ様子は壮観だったでしょうね。

◇七嘉祥
 さて、いつの時代もあまり煩瑣なものは省略されてゆくもの。目出度い祝いといっても十六種類の菓子とは少々種類が多すぎます。これだけそろえるのは大変でしょうからね(食べるのだって大変です)。ということで、十六の「十」を「一」に置き換え、

  「一」+「六」 = 「七」

 として七種類の菓子で祝うことがあり、この七種類の菓子を七嘉祥と呼ぶようになりました。まあこうした省略の風に染まらず、十六種類を通すところもありました。七種にするか、十六種類にするか、さてどっちがうれしい?嘉祥の儀は明治以降はすっかり廃れてしまった行事ですが、甘い物好きにはなかなかうれしい年中行事。ここらで再び嘉祥の儀を復活させ、甘いお菓子で幸せな一時を過ごしませんか?

※全国和菓子協会にも「和菓子の日」の解説ページがあります。興味があれば、そちらもご覧下さい(和菓子の写真が美味しそう・・・)「和菓子の日」 http://www.wagashi.or.jp/wagashinohi/ (「2018/06/16 号 (No.4277) 」の抜粋文)

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