2018-07-07 [twitter投稿]
hippocampus460カライトソウ - 絵画風 https://t.co/VLkpDfbMYd07/06 18:20 hippocampus460kayy5321nukazukeさんの写真 https://t.co/ZvzyvjUNp307/06 18:54 hippocampus460satomeeecoさんの写真 https://t.co/xLBtB2QXGu07/06 18:54 hippocampus460kuratabaさんの写真 https://t.co/5AzHHkVz2707/06 18:55 hippocampus460merimerimegさんの写真 https://t.co/r4da4EOQLj07/06 18:55 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /欠けていく三日月(7時18分、輝面比46%)視認できず。今日は有明月、月齢23.3。月の出:0時27分、月の入:13時10分です(北九州) /今朝は雨が止み、空気がヒンヤリ!空は一面グレ… https://t.co/viBbq4KKTs07/07 07:26 hippocampus460『七夕には素麺?』hippo@home|https://t.co/vRzZ2lSxjm07/07 09:21 hippocampus460『アガパンサス !』hippo@home|https://t.co/WJUdQR9STB07/07 16:05 hippocampus460日中も曇り空続く。PM2.5のレベルは11(2→11)/午前中、菜園作業。雨風で倒れていたピーマンに支柱を補強してビニール紐で結わえる。次にオクラの下枝、内枝を剪定。最後にミニトマト、キュウリ、ゴーヤを穫る。<カボチャのヘタ(蔕)茶色くなっている、そろそろいいかな>07/07 16:30 hippocampus460ブラックベリーです! https://t.co/SecFtFLc4t07/07 16:31 hippocampus460ゴーヤとピーマンです! https://t.co/28XLVYQOgy07/07 16:32
七夕には素麺? [かわうそ@暦]
□七夕には素麺?
今日は七夕。七夕は「七夕(シチセキ)の節供」。人日、上巳、端午、重陽と並ぶ立派な五節供の一つです。七夕の節供や五節供に関してはWeb こよみのページの「暦と天文の雑学」の中に解説記事がありますのでお読み下さい。
七夕(七夕の節供・七夕の節句)→http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0728.htm
節句の話・五節句(五節供)とは→http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0724.htm
節供の主な内容については上記のWeb ページに任せるとして本日は七夕の節供にちなむ食べ物の話をしましょう。節供といえば、その節供にちなんだ食べ物が登場するものですが、七夕の節供にちなむ食べ物といって、何か思い浮かびますか?端午の節供の粽(ちまき)のように、誰もが知っていると言うほど知名度の高い食べ物ではないのですが、「素麺(そうめん)」が七夕の日に食べる食べ物とされています。ご存じでしたか?
◇素麺のルーツは「索餅」
七夕の日に素麺を食べると書きましたが元は素麺ではなくて「索餅(さくべい)」という食べ物でした。索餅は中国からやって来た菓子の一種で、米粉と小麦粉混ぜて練り合わせ、細く伸ばして何本もこれを束ねた唐菓子です。菓子といっても甘いものではなかったようです。別名「むぎなわ」とも。索餅に関しては延喜式( 927年)にも登場する食べ物ですから、随分と昔から知られたお菓子だったのでしょうが、現在ではどんなものだったのかその正体がわからなくなってしまいました。ただその製法や形状から、これが後のうどんや素麺へと進化していったと言われています。
◇7/7 と索餅の関係
さて、七夕の日にたべる素麺のルーツ索餅と七夕の関係ですが、じつはこれが関係ない。伝説によれば、その昔中国を治めた高辛(こうしん)氏の子が幼いうちに亡くなり、やがて疫病、「瘧(おこり)」の鬼神となって人々に害を為すようになりました。困った人々がこの子の命日である 7/7に、この子が生前好んでいたお菓子、索餅を供えたところ、「瘧」が起こらなくなったことから、この日に索餅を供え(そして、後で食べる)ると、病気にかからないようになるという呪いとなりました。この行事が日本にも伝えられ、七夕の日には索餅をとなったというのです。織姫も牽牛も全く関係の無い話です。
◇素麺を食べる日となったのは、いつ頃から?
さて、この七夕の日に素麺(索餅の子孫?)を食べる慣習はいつ頃からあったのかというと、19世紀初頭ではまだまだ少数派だったようで、こうした慣習があったのはごく一部の地域だけという記録が残っています。これが19世紀も中頃の江戸の様子を描いた「東都歳時記」(1838刊)では、貴賤の別なく二星に供物をし、家々では冷素麺を食べたと書かれるようになっています。少数派から多数派への転身はわずか30~40年で為されています。素麺だけにちょっとの時間で「伸びた」んですね。さて、今夜は七夕。皆さんは七夕の夜に、素麺を食べることになるのでしょうか?(「2018/07/07 号 (No.4298) 」の抜粋文)
今日は七夕。七夕は「七夕(シチセキ)の節供」。人日、上巳、端午、重陽と並ぶ立派な五節供の一つです。七夕の節供や五節供に関してはWeb こよみのページの「暦と天文の雑学」の中に解説記事がありますのでお読み下さい。
七夕(七夕の節供・七夕の節句)→http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0728.htm
節句の話・五節句(五節供)とは→http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0724.htm
節供の主な内容については上記のWeb ページに任せるとして本日は七夕の節供にちなむ食べ物の話をしましょう。節供といえば、その節供にちなんだ食べ物が登場するものですが、七夕の節供にちなむ食べ物といって、何か思い浮かびますか?端午の節供の粽(ちまき)のように、誰もが知っていると言うほど知名度の高い食べ物ではないのですが、「素麺(そうめん)」が七夕の日に食べる食べ物とされています。ご存じでしたか?
◇素麺のルーツは「索餅」
七夕の日に素麺を食べると書きましたが元は素麺ではなくて「索餅(さくべい)」という食べ物でした。索餅は中国からやって来た菓子の一種で、米粉と小麦粉混ぜて練り合わせ、細く伸ばして何本もこれを束ねた唐菓子です。菓子といっても甘いものではなかったようです。別名「むぎなわ」とも。索餅に関しては延喜式( 927年)にも登場する食べ物ですから、随分と昔から知られたお菓子だったのでしょうが、現在ではどんなものだったのかその正体がわからなくなってしまいました。ただその製法や形状から、これが後のうどんや素麺へと進化していったと言われています。
◇7/7 と索餅の関係
さて、七夕の日にたべる素麺のルーツ索餅と七夕の関係ですが、じつはこれが関係ない。伝説によれば、その昔中国を治めた高辛(こうしん)氏の子が幼いうちに亡くなり、やがて疫病、「瘧(おこり)」の鬼神となって人々に害を為すようになりました。困った人々がこの子の命日である 7/7に、この子が生前好んでいたお菓子、索餅を供えたところ、「瘧」が起こらなくなったことから、この日に索餅を供え(そして、後で食べる)ると、病気にかからないようになるという呪いとなりました。この行事が日本にも伝えられ、七夕の日には索餅をとなったというのです。織姫も牽牛も全く関係の無い話です。
◇素麺を食べる日となったのは、いつ頃から?
さて、この七夕の日に素麺(索餅の子孫?)を食べる慣習はいつ頃からあったのかというと、19世紀初頭ではまだまだ少数派だったようで、こうした慣習があったのはごく一部の地域だけという記録が残っています。これが19世紀も中頃の江戸の様子を描いた「東都歳時記」(1838刊)では、貴賤の別なく二星に供物をし、家々では冷素麺を食べたと書かれるようになっています。少数派から多数派への転身はわずか30~40年で為されています。素麺だけにちょっとの時間で「伸びた」んですね。さて、今夜は七夕。皆さんは七夕の夜に、素麺を食べることになるのでしょうか?(「2018/07/07 号 (No.4298) 」の抜粋文)