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2019-11-27 [twitter投稿]



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ジャノメエリカ(蛇の目エリカ)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2019.11.26
福智山ろく花公園
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御暦の奏(ごりゃくのそう) [かわうそ@暦]

□御暦の奏(ごりゃくのそう)
 本日も昨日に続き旧暦の日付にまつわる話です。本日は、旧暦の十一月一日(朔日)にまつわる話です。昔々、まだ律令制度がきちんと行き渡っていた頃(少なくとも朝廷内では)暦が出来上がったのは十一月一日でした。平安時代初期の法典である延喜式(えんぎしき)の規定によれば、暦の制作責任者は陰陽寮(おんようりょう)の暦博士。暦博士は暦の原稿を作成して陰陽寮へ提出し、その原稿をもとにして陰陽寮職員が書き写して本の形に仕立てます。このとき作成される暦は、御暦上下二巻(天皇用)及び、中宮・東宮へ各二巻と頒暦百六十六巻(朝廷内外の諸官庁用)を奏進しました。この暦の奏進の儀式を「御暦の奏」と言いました。御暦の奏をもって、翌年の暦配布の解禁となります。とは言ってもここで作られた暦は天皇と朝廷内外の官庁用ですから、一般では手に入りません。ではどうしたかというと貴族たちは陰陽師や暦博士(いずれも陰陽寮の役人)に個人的に依頼して書写してもらっていたのです。つまりコネですね。この時代だと、一般庶民には暦など手に入らないものだったわけです。まあ、入手の必要もなかったのでしょうが。時代が下ってくると、流石に朝廷と一部の貴族だけが暦を持てばいいと云うような長閑な時代ではなくなりますから、頒暦分は手書きではなく印刷されるようになり、大量に作られるようになりました。この印刷の元締めを大経師(だいきょうし)といい、世襲されていました。こうして暦が印刷物となっても、暦の解禁日は御暦の奏の伝統に則り十一月一日。と言うことで、暦にとって「十一月一日」は特別な日でした。今も書店に翌年のカレンダーが並び始めると「今年もいよいよ終わりが近いな」と感じるものですが、そうした感覚は昔も同じようなものだったのでしょうね。(「2019/11/27 号 (No.4806) 」の抜粋文)


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今日(11/27)のお月様は【新月】です [かわうそ@暦]

◆今日(11/27)のお月様は【新月】。
今日の月は日の出の頃に昇り、日の入りの頃に沈みます。空に昇っている時間は概ね太陽と同じ。日食でも起こさない限り、月の在処はわかりません。旧暦では、この新月の日が暦月の一日(朔日)となります。

◆お月様の基礎データ
・新月の瞬間は 11/27 0時 5分 (月齢は 0.0) ※新月とは、月と太陽の黄経の角度差が0度となる瞬間です。
・月出:11/27 6時44分 月没:11/27 17時 5分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):11/27 11時57分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 374800 km (平均距離の 0.98倍)。

 月は平均より 9600km近く、見かけの大きさはいつもより少し大きいです。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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2019-11-26 [twitter投稿]



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ツルウメモドキ(蔓梅擬き)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2019.11.26
福智山ろく花公園
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「晦日の月」ってどんな意味? [かわうそ@暦]

■「晦日の月」ってどんな意味?
 晦日(みそか)とは、月の末日のこと。今日は、旧暦では十月の最後の日、晦日です。そういえば、数日前の夜明け前に目が覚めたら、東の空に細い月が見えましたから、そろそろ旧暦の暦月も終わりごろだなと思ったのですが、今日で最後なんですね。今日は晦日ですから早起きしても月は見えなかったでしょうね(もっとも、今朝の東京は雨模様。月が出ていたって見えなかったでしょうけれど)。そんなこんなで、本日が十月晦日(旧暦の)ということで、思い浮かんだ言葉、「晦日の月」について書いてみることにしました。晦日なんて、最近の若い方々は大晦日(1年最後の月の最後の日)くらいしか使わない言葉かもしれませんが、あまり若くない私などは、なんとなく月末の感じを醸し出す言葉として、今でも時々使っています。皆さんはいかが?あ、これで若いか否かを判定しようなんていう魂胆はありませんよ。さて、無駄話はこの辺までにして、本題。「晦日」で「みそか」と読むというところから話を始めましょう。日本が太陰太陽暦(いわゆる旧暦)を使っていた時代は、月末の日は三十日(または、二十九日)でしたから、

  十日(とおか)、二十日(はつか)、三十日(みそか) → 晦日

 となって、「みそか」は三十日を表す一方で、月の末日を表す言葉となりました。読みの「みそか」はこんな理由ですが、では漢字の「晦日」はどこから来たかというと、これは中国・・・って、これじゃ答えになりませんね。確かに中国でも月末を表して「晦日」と書いていたので、それが伝わったものであることは間違いありませんが、「晦」は一文字では「くらい」と読むように暗い夜、月が出ない夜を指す文字でした。このことから「晦日」は月の出ない暗い夜の日を表すようになります。太陰太陽暦であったいわゆる旧暦では、暦月最後の日は翌日に新月をむかえる月は、夜に空に昇ることはありませんし、昇っていたとしても、明るく輝く部分がほとんど見えないので月末は「月のない暗い夜」だったわけです。「晦日」はまた「つごもり」とも読みますが、これもお月さまと関係しています。お月様が見えないのはお月様がどこかに籠っていて姿を現さない月籠り(つきこもり)状態にあるからだと考えました。つまり「つごもり」は月が籠もって出て来ない日の意味なのです。こんな風に考えてくるとなぜ、月末が「みそか」で「晦日」で「つごもり」なのかがわかってきますね。さてここで、本日の暦のこぼれ話のタイトルに戻って【晦日の月】という言葉について説明して、本日の暦のこぼれ話の締めくくりとします。今まで書いてきた、晦日とお月様の関係をからおわかり頂けると思いますが「晦日」に「月」は見えないのです。つまり、晦日の月とはあり得ないこと、馬鹿げたこと。を表す言葉なのです。ちなみに、明治時代に旧暦から新暦に改暦された直後に新暦を批判した新聞記事に取り上げられた俗謡に「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月も出る」というものがありました。現在のカレンダーをいくら見ても晦日の月の意味はわかりませんが、太陰暦を使っていた時代の人たちならば、「晦日に月」はあるはずが無いことが常識中の常識であったから、こんな俗謡の歌詞も、みんな納得して聞いていたのでしょうね。(「2019/11/26 号 (No.4805) 」の抜粋文)

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