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2019-11-01 [twitter投稿]



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フユイチゴ(冬苺)! [ヘッダー画像]

191101no31.JPG
別名:寒苺 (カンイチゴ)
撮影日:2019.11.01
福智山ろく花公園
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御暦の奏(ごりゃくのそう) [かわうそ@暦]

□御暦の奏(ごりゃくのそう)
 今日から月が改まりまして11月。今年もあと2ヶ月ですか。今年が始まったこのときはまだ「平成」でしたね。新年を迎えたことはつい昨日のことのような気もしますが、あの頃はまだ平成で現在は令和と、異なる元号だと思うと、つい昨日のことのような正月のことが、なんだか懐かしい思い出のような気持ちになってしまいます。不思議なものですね。さて、懐かしい気持ちに浸ってばかりもいられないので、本日のお題、「御暦の奏」に戻ります。

◇十一月は暦の解禁の月
 昔々、まだ律令制度がきちんと行き渡っていた頃(少なくとも朝廷内では)翌年の暦が解禁になるのは十一月一日(もちろん当時の暦の十一月)に行われた「御暦の奏」の後でした。平安時代初期の法典である延喜式(えんぎしき)の規定によれば、暦の制作責任者は陰陽寮(おんようりょう)の暦博士。暦博士は暦の原稿を作成して陰陽寮へ提出し、その原稿をもとにして陰陽寮職員が書き写して本に仕立てます。このとき作成される暦は、御暦上下二巻(天皇用)及び、中宮・東宮へ各二巻と頒暦百六十六巻(朝廷内外の諸官庁用)で、これが奏進されました。この暦の奏進の儀式を「御暦の奏」と云います。そしてこの「御暦の奏」をもって、翌年の暦配布が解禁されます。と言ってもここで作られた暦は天皇と朝廷内外の官庁用ですから、一般では手に入りません。ではどうしたかというと貴族たちは陰陽師や暦博士(いずれも陰陽寮の役人)に個人的に依頼して書写してもらっていたのです(つまりコネです)。この時代だと、一般庶民には暦など手に入らないものだったわけです。まあ、入手の必要もなかったのでしょうが。時代が下ってくると、流石に朝廷と一部の貴族だけが暦を持てばいいと云う長閑な時代ではなくなりますから、頒暦分は手書きではなく印刷されるようになり、大量に作られるようになりました。この印刷の元締めを大経師(だいきょうし)といい、世襲されていました。こうして暦が印刷物となっても、暦の解禁日は御暦の奏の伝統に則り十一月一日。と云うことで、暦にとって「十一月一日」は特別な日でした。現在はというと、昔と違って暦は誰でも作ってよいことになっていますのでこんな明確な暦の解禁日というものはないのですが、強いてそれらしいものを探せば、翌年の暦要項が公的に発表される二月の官報発行の日かな?ま、だとしたら、味気ないことこの上もないですけれど。(「2019/11/01 号 (No.4780)」の抜粋文)


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