2019-10-31 [twitter投稿]
hippocampus460ローズリーフセージ - 絵画風 https://t.co/XhHDC3cpJc10/30 17:08 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /満ちていく三日月(7時02分、輝面比9%)視認できず。今日は夕月、月齢2.8。月の出:9時37分、月の入:20時00分です(北九州) /今朝の空は雲が在るものの概ね晴れ!PM2.5のレベ… https://t.co/nuLS3O4WNR10/31 07:08 hippocampus460『「天長節祝日」の話』hippo@home|https://t.co/cMGDBx2Wor10/31 16:23 hippocampus460『イヌホオズキ(犬酸漿)!』hippo@home|https://t.co/TYGSwV3jQs10/31 16:40 hippocampus460日中、良い天気に恵まれる!PM2.5のレベルは6(10→6)、AQI:良い /午前中、明日から11月に入るので家中の模様替え。掛軸を替え、衣類を冬用に、最後に暖房器具を納戸から出す。家内の依頼で掘り炬燵の蓋をはずしテーブルも設置する。今日はよく働いた!10/31 17:31
「天長節祝日」の話 [かわうそ@暦]
■「天長節祝日」の話
本日10/31。ハロウィンの日です。でも、本日の暦のこぼれ話はハロウィンの話じゃありません。本日10/31は大正時代は「天長節祝日」という変わった名前の祝日でもありましたので、今回はこちらの話を採り上げます。天皇陛下の誕生日が祝日であるのは明治、大正の時代も同じですが、現在のように「天皇誕生日」などという面白みの無い名前ではなく「天長節」という名称でした。天長節の「天長」は、老子の第七章の
天は長く地は久し(天長地久)。天地の能(よ)く長くかつ久しき所以のものは、
その自ら生ぜざるを以てなり。
からとられたそうです。天は永遠であり地はいつまでも存在する。天が永遠で地がいつでも存在するのは、自身の命を育てようとしないからであると言った意味でしょう。天長節は天子とも呼ばれる天皇を天に例え、天が永遠であるように天皇の治世が末永く続くように祝い寿ぐ日でした。明治以降は一世一元でしたから、天皇の治世が末永く続くということは同時に天皇陛下の長寿を祝うことにもなります。ちなみに、もととなった老子の「天長地久」から、天皇陛下の誕生日を天長節と呼んだように、皇后陛下の誕生日は地久節と呼ばれました。
※注意 平成の時代は、特例法によって生前退位という形で終わり、禅譲のような形式で令和にかわりました。
このようなわけで、明治、大正、昭和と天皇陛下がおかわりになれば日付がかわります。明治~昭和の時代の天長節の日付は以下のとおりです。
11/03 (明治時代)
8/31 (大正時代)
4/29 (昭和時代)
明治天皇の誕生日は、嘉永 5(1852)年 9月22日。ですが、11月 3日はこの日付を新暦に直したものです。ついでに、「天皇誕生日」と名を変えてから(昭和23年の「国民の祝日に関する法律」施行から)の日付も書くと
4/29 (昭和24年~63年)
12/23 (平成元年~30年)
2/23 (令和 2年~)
となります(今年、2019年は「天皇誕生日」という名の祝日が存在しない年となってしまいました)。
◇天長節祝日?
大正時代には天皇誕生日は「天長節」という祝日でしたが、本日は大正時代にのみ存在した、天長節によく似たもう一つの祝日でした。それは天長節祝日という祝日です。天長節祝日の日付けは 10/31。つまり、今日の日付です。どちらが大正天皇の誕生日かと言えばもちろん天長節の方。では天長節祝日は何かというと、病弱でいらした大正天皇が残暑の厳しい時期に天長節の各種式典を行うことを厭われたため、式典は寒暑の厳しくない時期に行うこととし、この日を「天長節祝日」としたのだそうです。この「天長節祝日」というちょっと変わった祝日は残念(?)ながら、大正時代一代だけのものでした。今上天皇の誕生日は2/23。立春は過ぎていますが、まだまだ余寒の残る時期。こっちももっと気候の良い時期にもう 1日、「天皇誕生日祝日」なんて祝日作ってくれてもいいのに・・・。大正時代には、「天長節祝日」という変わった名前の祝日のあった10/31の暦のこぼれ話でした。(「2019/10/31 号 (No.4779)」の抜粋文)
本日10/31。ハロウィンの日です。でも、本日の暦のこぼれ話はハロウィンの話じゃありません。本日10/31は大正時代は「天長節祝日」という変わった名前の祝日でもありましたので、今回はこちらの話を採り上げます。天皇陛下の誕生日が祝日であるのは明治、大正の時代も同じですが、現在のように「天皇誕生日」などという面白みの無い名前ではなく「天長節」という名称でした。天長節の「天長」は、老子の第七章の
天は長く地は久し(天長地久)。天地の能(よ)く長くかつ久しき所以のものは、
その自ら生ぜざるを以てなり。
からとられたそうです。天は永遠であり地はいつまでも存在する。天が永遠で地がいつでも存在するのは、自身の命を育てようとしないからであると言った意味でしょう。天長節は天子とも呼ばれる天皇を天に例え、天が永遠であるように天皇の治世が末永く続くように祝い寿ぐ日でした。明治以降は一世一元でしたから、天皇の治世が末永く続くということは同時に天皇陛下の長寿を祝うことにもなります。ちなみに、もととなった老子の「天長地久」から、天皇陛下の誕生日を天長節と呼んだように、皇后陛下の誕生日は地久節と呼ばれました。
※注意 平成の時代は、特例法によって生前退位という形で終わり、禅譲のような形式で令和にかわりました。
このようなわけで、明治、大正、昭和と天皇陛下がおかわりになれば日付がかわります。明治~昭和の時代の天長節の日付は以下のとおりです。
11/03 (明治時代)
8/31 (大正時代)
4/29 (昭和時代)
明治天皇の誕生日は、嘉永 5(1852)年 9月22日。ですが、11月 3日はこの日付を新暦に直したものです。ついでに、「天皇誕生日」と名を変えてから(昭和23年の「国民の祝日に関する法律」施行から)の日付も書くと
4/29 (昭和24年~63年)
12/23 (平成元年~30年)
2/23 (令和 2年~)
となります(今年、2019年は「天皇誕生日」という名の祝日が存在しない年となってしまいました)。
◇天長節祝日?
大正時代には天皇誕生日は「天長節」という祝日でしたが、本日は大正時代にのみ存在した、天長節によく似たもう一つの祝日でした。それは天長節祝日という祝日です。天長節祝日の日付けは 10/31。つまり、今日の日付です。どちらが大正天皇の誕生日かと言えばもちろん天長節の方。では天長節祝日は何かというと、病弱でいらした大正天皇が残暑の厳しい時期に天長節の各種式典を行うことを厭われたため、式典は寒暑の厳しくない時期に行うこととし、この日を「天長節祝日」としたのだそうです。この「天長節祝日」というちょっと変わった祝日は残念(?)ながら、大正時代一代だけのものでした。今上天皇の誕生日は2/23。立春は過ぎていますが、まだまだ余寒の残る時期。こっちももっと気候の良い時期にもう 1日、「天皇誕生日祝日」なんて祝日作ってくれてもいいのに・・・。大正時代には、「天長節祝日」という変わった名前の祝日のあった10/31の暦のこぼれ話でした。(「2019/10/31 号 (No.4779)」の抜粋文)