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2019-10-05 [twitter投稿]



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レウコフィラム ! [ヘッダー画像]

191001no110.JPG
撮影日:2019.10.01
JA直鞍なのはなガーデン
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暦から消えた10日分の日付 [かわうそ@暦]

□暦から消えた10日分の日付
 今日は、2019/10/5。1年の日数は平年なら365日、閏年なら366日。この日数を差し引いて行けば、前の年の同じ日付に行き着きます。難しそうに聞こえるかも知れませんが、次の様に書けば「な~んだ」と言うくらいの当たり前の話です。

  1年前の日付は、2018/10/5。当たり前です。
  2年前の日付は、2017/10/5。これもまた当たり前。(以下略)

 ね、当たり前の話でしたね。ではしつこくもう少し(?)これを続けて 435年前の日付は、1584/10/5。これもまた(またまた・・・)当たり前。 436年前の日付は、1583/10/5。これもまた(またまた・・・)当たり前。 437年前の日付は、1582/9/25。これもまた、お? なにか違う。暦といっても、いろいろな暦法がありますから、この話はグレゴリオ暦という暦での話です。グレゴリオ暦は、現在私たちが普通に使っている暦、新暦と呼ばれる暦のことです。日本において、グレゴリオ暦が使用されるようになったのは1873年のことですから、上記の「 430年前の日付は・・・」という話は、日本では成り立ちませんが、暦の歴史としてグレゴリオ暦が作られ、使われていた国々での話としてお読み下さい。

◇グレゴリオ暦の誕生日?
 グレゴリオ暦として初めて記録された日付は、1582/10/15。この日付がグレゴリオ暦によるグレゴリオ暦の誕生日と云うことが出来るでしょう。とすると、冒頭で書いた「 437年前の日付は、1582/9/25」はグレゴリオ暦誕生以前の日付となります。グレゴリオ暦が生まれる前の日付というと、この日付を刻んだ暦は何か?この答えはユリウス暦です。グレゴリオ暦はユリウス暦に小修正を加えて出来た暦ですから、グレゴリオ暦から見るとユリウス暦は親のようなものでしょうか。

◇ユリウス暦からグレゴリオ暦へ
 グレゴリオ暦の前身はユリウス暦の特徴は、平年は 365日で4年に1度の閏日が二月末に挿入されることで 366日となるという、なじみのある閏日挿入方法です。このユリウス暦はあのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が作らせた暦で、ローマ帝国の版図で使用されました。また暦そのものは解りやすくて、またそこそこ正確な暦でしたから、当時のヨーロッパでは事実上の標準暦となっていました。グレゴリウス暦はこのユリウス暦の改良版です。ユリウス暦の「四年に一度の閏日」の挿入によって調整される1年の日数は本当の1年の日数よりほんの少しだけ余分でした。余分とはいっても、その「余分」は 128年でようやく 1日分になるほどのものでしたから、100年や200年の間はどうということの無い量ですが、ユリウスが改暦してからおよそ1600年近くも使われ続けていたので、小さな差もつもり積もって10日程の「余分」となってしまっていました。グレゴリオ暦への改暦は、この10日の余分を取り去り、さらに年々の「余分」の量を小さくするための修正でした。「余分」の量を小さくする工夫は、四年に一度の閏日挿入を、 400年の間に 3回だけ省略するというものでした。現在日本で使われている暦(新暦)はグレゴリオ暦と同じものですので、1900年や2100年などは四年に一度の周期にあたる年ですが、閏年ではなく平年になります。

◇十日の余分をどうするか?
 さて、閏年挿入を 400年に 3回間引くことで、当面こうした一年の日数の「余分や不足」はなくなりました(3000年経ったら悩みましょうという程度には)。この「将来のための修正」はさほどの問題とはなりませんでした。なんといっても1582年の改暦後、最初にこうした閏年の間引きが行われたのは改暦後100年以上経った1700年なのですから、当面の悩みにはなりません。問題は将来にではなく、過去との連続性でした。当時既にユリウス暦の誤差の累積によって10日の余分が生じていた訳です。解りやすくいえば、暦の上での春分は3/21でしたが、本当の春分はその10日前の3/11となってしまっていたというものです。ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦ではこの「10日の余分」をどう扱ったかというと「余分な10日間を暦から削除」したのでした。具体的には暦の上の日付は1582/10/4 の翌日を 1582/10/15 とするというものでした。ということは、1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦した国では10/5から10/14の間の日付がなかったことになります。つまり、本日の10/5という日付は、1582年にはなかったことになります。なお、10日間が削除されていますから1582年の暦の上の 1年の日数は 355日となりました。

◇十日ずれていたユリウス暦で人々は困っていたか?
 この改暦の話となると時々暦と季節が10日もずれてしまって、人々が困っていたといったことをいう人がいるのですが、これは嘘です。ある年急に10日ずれてしまったのであれば、暦の日付を目安に農作業などする人がいれば少々困ったことがあったかもしれませんが、この10日のずれは1600年もかかってゆっくりと生まれたもの。人の一生が 100年だとしてもその一生のうちでは 1日のずれも生まれません。現在の私たちの生活を考えてみても、暦の上の春分の日が天文学的な春分と何日か違っていたって、少なくとも「日常生活」に困ったことが起こるとは思えません。おそらくそのずれに気付きさえしないでしょう。この「10日のずれ」が大きな問題だったのは一般の人々の生活ではなくて、キリスト教の祭礼の日付だったのです。キリスト教の祭礼の中でももっとも重要な祭礼は「復活祭(イースター)」です。この復活祭の日付は春分の日を基準として数え始めるルールがあるため、春分の日が正しくないと、復活祭の日付も正しくなくなってしまいます。自分たちが信奉するキリストの復活を祝う祭礼の日が暦の不備によって正しく行われないというのは、神に対する大変な冒涜であると考えた宗教関係者(この場合はローマ法王)が、この暦の不備をただすために行ったのがグレゴリオ暦への改暦でした。グレゴリオ暦という名前自体が、この改暦を命じたローマ法王グレゴリウス十三世の名から来ていることを見てもそれが解ります。今の時代、「10/4の翌日を 10/15とする」なんて言ったら大変です。10/5締め切りの仕事はどうなる? 銀行の利子はどうやって計算する?実際に1582年の改暦にもそうした問題は発生して大変だったようですが、そこは「神様のため」ですから教会の力によって何とか改暦はやり遂げられ、現在に至っております。ああ、改暦が為されたのが私の生きている時代でなくて本当によかった。出来れば、私の残された人生のうちでも、改暦がないといいな。いや、こよみのページのかわうそとしては、改暦を経験する方が、貴重な体験ということになっていいのかもな・・・。(「2019/10/05 号 (No.4753) 」の抜粋文)
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