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2019-10-22 [twitter投稿]



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ツワブキ(石蕗)! [ヘッダー画像]

191022no13.JPG
撮影日:2019.10.22
福智山ろく花公園
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紀元と元号 [かわうそ@暦]

■紀元と元号
 本日は「即位礼正殿の儀の行われる日」と云うことで、若干(?)関わりのある暦の話として、紀元と元号(または年号)について書くことにします。天皇の即位に関連した日付といえば、その最初は神武天皇が即位した「辛酉年の春正月の庚辰の朔に天皇橿原宮において帝位に即く」と云う日本書紀に書かれた日付を現在の太陽暦に換算してその日付に置き換えたすると紀元前 660年2月11日になることから、2月11日と云う日付が明治憲法下の祝日、紀元節となり、この日が現在の「建国記念の日」の日付となっています。

◇紀元
 【紀元】(きげん)
  歴史上で年を数える際の基準、または基準となる最初の年。現在世界的には、キリスト誕生と考えられた年(歴史的には紀元前4年頃に誕生とされる)を元年とする西暦紀元を使用。日本では1872年(明治5)、神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めて皇紀元年と呼んだ。《広辞苑・第六版》

 紀元を辞書で引くとこう書かれていました。さて、既にこの「紀元」と云う言葉を一度使いました。それは、「紀元前 660年 2月11日になることから」の箇所です。この「紀元前」は何かと言うと私たちが普通「西暦」と呼んでいるキリスト誕生年を元年とした数え方による年数表記です。神武天皇即位の年は紀元元年の前なので「紀元前」となります。歴史の本などではこれを略して「B.C.」と書かれるもので略さずに書けば、before Christ つまりキリストが出現する前何年と云うものです。普通はイエスが生まれた年を紀元元年とする年数だと言われますが、これは後世考え出されたものなので、歴史上の事実かは定かでありません(諸説あります)が、本日の話とは直接関係ないので、この件はこれまで。本論に戻りますと、「紀元」とは歴史上の年数を数える基準となる最初の年であり、何を基準にとるかで様々な「紀元」が存在します。日本における「紀元」とは何かと云うと、冒頭で書いた神武天皇の即位の年をその元年とするものです。これを本来は単に「紀元」と書くのですが、これだとキリスト誕生紀元などと混同してしまうので、「皇紀」と書く場合もあります。

◇日本の「紀元」の起源?
 日本製の「紀元」である皇紀はいつ頃から使われたかと云うと、これがビックリするほど新しい。明治 2年に津田真道と云う人物が年号(元号)を使った年月日の記述は煩雑で判りにくいのでこれを廃止して諸外国が採用しているような紀元方式をとるべきだと集議院に建議したことに始まります。ちなみに諸外国の使う紀元の例としては、キリスト誕生紀元の他にもユダヤ教徒やイスラム教徒がそれぞれに使っている幾つかの「紀元」が例に引かれいます。津田真道は、何処かの国の「紀元」を流用しようと云うのではなく我が国も独自の紀元を設けて、以後はそれを使い続けようと主張しています。そしてその我が国独自の紀元として神武天皇の即位を元年とするのがよいと書いています。もう一つ津田の建議で注目すべきところは、この紀元使用の前提として元号の廃止があることです。

◇太陽暦への改暦と紀元
 太陽暦へ改暦された年の暦には神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年太陽暦と書かれています。これが庶民が最初に目にした「日本独自の紀元」を記した印刷物だったのではないでしょうか。新しい暦の使用に合わせて、年数の記載方式も新しくしようと云う考えが強く感じられる表現です。津田の建議にあったとおり、この紀元の使用は前提として元号廃止がありましたが、いよいよ紀元の使用が始まると、文書の日付はどう書くのが正式かと云う問題が生まれました。文書の日付の書き方を統一しようと云うものです。明治六年の正月早々に、政府は官僚を中心として作られた諮問機関にこの問題を検討するように指示しました。そしてこの問題に対する回答は、

  1.紀元が制定されたからには元号との併用は考えられない。
    年号の使用は公私の文書ともこれを禁止すべきだ。
  2.正式の表記は「二千五百三十三年」のように、略式は「二五三三年」のように記する。

 と云うものでした。これがそのまま通っていれば今年は平成二十一年ではなくて、紀元二千六百
 六十九年だったのですが・・・。この回答を受けた政府(太政官)はこの回答をあっさり無視して次のような方針を示し、これがそのまま使われることになりました。

  1.正式には「神武天皇紀元二千五百三十三年 明治六年×月○日」
  2.略式には「明治六年×月○日」
  3.もっと略式にするなら「六年×月○日」

 うむ、折角紀元を設けたのに紀元の存在が霞んでしまっています。使い続けることに。元の木阿弥?
そのお蔭で「大正」「昭和」「平成」「令和」の元号も生まれました。そして正式にはこの前に書かれているはずの「神武天皇即位紀元」は消えて無くなり、今では「紀元」といわれるとキリスト誕生紀元、いわゆる西暦の紀元だと思われるようになってしまったのでした。可哀想(?)な日本独自の紀元、神武天皇即位紀元の話でした。(「2019/10/22 号 (No.4770)」の抜粋文)
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