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厄年(やくどし) [かわうそ@暦]

□厄年(やくどし)
 「今年は厄年だから、お祓いしなくちゃ」「占いの年の区切りは立春だから」等というせいか、立春が近づく今頃の時期になると厄年についての問い合わせが舞い込むことがあります。今回も、そうした問い合わせが舞い込んだことで「厄年」について思い出しましたので採り上げてみることにしました。まず「厄年」とはなんぞやという話から。厄年は陰陽道で唱えられたものだそうで、人の一生のうちで身に災難が降りかかる要注意の年齢だとされています。厄年は元々数え年で数えたものでしたが、年齢一般の数え方が満年齢によるものに移行してしまった現代では、満年齢で数える例も増えているように思います。

◇厄年の年齢
 厄年の年齢は、時代や地域により差異があるようですが、概ね次のとおり。

  男性: 25,42,61 歳
  女性: 19,33,37 歳

 このうち男性の42歳、女性の33歳は大厄(たいやく)といわれ、特に注意しなければいけない厄年とされています。(42歳は「死に」、33歳は「散々」に通じるという語呂合わせ)。厄年とされる年齢は上記のものが一般的なようですが、他にも 3,5,7,13,77 ,88 歳も厄年に加えるところ、男性は 2と5のつく年齢が、女性は3,7,9のつく年齢が厄年だと考える地域もあるとのこと。更に、厄年の前年、後年を前厄、後厄(厄年そのものは「本厄」)として 3年の間身を慎む必要があるなどとも云われます。こうなると、毎年のように「身を慎まねばならない」ことになりそうです。まあ、基本的に身を慎むことは日本人にとっては美徳とされることでしょうから、毎年でもいいとは思いますが、ちょっと窮屈過ぎますね。

◇厄年の始まりは
 厄年も中国から伝来したものだと云われていますが、広がったのは室町時代以降だと云われます。ただ、既に源氏物語にも紫の上が37歳になるため、祈祷をする方がよいと光源氏が忠告する場面があるとのこと(私は最初の「桐壺」辺りで早々に挫折しているので、こんなところは読んでいませんが)なので、平安時代にも厄年と云うものが意識されていたことが判ります。

◇厄年神役説と厄年俗信説
 厄年がどうして生まれたかについては民俗学では厄年神役説と厄年俗信説があります。厄年神役説とは、厄年には地域社会(村や町)において祭りの役員など司祭者の役割を担うことになるのだと云うものです。地域社会で一定の役割分担を受け持たなければならない立場に立ったということで、厄年は「役年」なのだと考えるものです。節分に神社で豆を撒いたり、沢山の人を呼んで宴を開くなどは、こうした役割の一つなのだというのがその説で、提唱者はかの柳田國男大先生。一方厄年俗信説は、厄年の基本は災厄を落とすために形代(かたしろ)を棄てる行為だとする説で、井之口章次氏などが提唱したもの。厄払いとして身につける髪飾りや着物、銭などを棄てたり、道に落としたりするというのが、この形代を棄てることなのだと考えるわけです。前述の豆撒きや宴を張ることは、豆を撒くことで、あるいは宴を張って多数の人と共同で飲食することによって、自分に降りかかる災厄を多くの人に広く、薄く分かち合ってもらおうとする呪術行為だという説です。

◇厄払い・厄落とし
 厄年には、その厄を払うための行事を行います。既に書いた大勢の人に食事を振る舞うことや、身につけるものを棄てたりわざと道に落としたりするもの以外に、寺社に参拝したり、特定の日に終日無言で過ごす等々。中には、正月の他にもう一度仮の正月を祝うことで「もう厄年は終わった」ことにしてしまうなんて云うこともあるようで、その行事は多種多様。私の知り合いのある女性は、ご主人の実家(秋田)の習俗で着物を着て日本髪の鬘をかぶってお祓いするとかで、当日の着物+日本髪姿の写真を送ってきてくれました(その写真を見て大笑いしてしまったことは、ご本人には内緒です)。厄落としの行事を行う日としては、正月、初午の日、節分など、何らかの形で節目となる日が選ばれることが多いようです。

◇厄年の習俗
 厄年には何か重大な変化(大病だとか、不運だとかもっぱらよくないことが多いようです)があると考えられるようで、厄年には健康に注意してくださいといった話をよく聞きます。また、厄年には結婚や出産などを避けるとか、親の厄年に生まれた子供は厄に負けて育たないなどと云われることもあります。そのため、こうした場合には一度儀礼的に子供を捨て、これを親戚や知人に拾ってもらうという習俗もりました。あるいは、名前に捨松とか捨吉のように「捨」の文字を入れて捨てたことにしたといった話も昔はありました。流石に最近はそこまで深刻に受け取る人は減ってきていると思いますが、俗信というのはなかなかしぶとくて、完全になくなるというのは難しいようですけれど、振り回されないように、理性的に対応したいものです。前厄・後厄まで考えると、結構な割合で「厄年」に巡り会うことになルということは既に書いたとおり。「今年は厄年だ」なんて云う方が読者の皆さんの中にもいらっしゃるのでは?かく言う私自身も、数え年なら今年は厄年。ただし、本人は厄年など信じていないので、厄落としなどは何も考えておりませんが、年も年ですから一応は「健康に気をつけましょう」くらいの注意はして暮らしたいと思います。気にし過ぎは、身体にも心にもよくありませんからね。以上、厄年を信じていないかわうその「厄年の話」でした。

                          (「2023/01/27 号 (No.5963) 」の抜粋文)

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2023-01-27 [twitter投稿]



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プリムラ ! [ヘッダー画像]

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2023.01.21撮影
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2023-01-26 [twitter投稿]



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ナデシコ(撫子)! [ヘッダー画像]

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2023.01.21撮影
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【寒に帷子 土用に布子】(かんにかたびら どようにぬのこ) [かわうそ@暦]

【寒に帷子 土用に布子】(かんにかたびら どようにぬのこ)
 時節はずれの用のないもの。《広辞苑・第七版》
 
 慣用句の一つ。帷子は一重の着物、布子は綿入れ。単の着物も綿入れも季節を思い浮かばせるものです。暑い夏には単の着物で涼しく過ごし、寒い冬には綿入れを着るというわけです。寒い寒に単の着物、暑さの盛りの土用(夏の)に綿入れでは季節と着物の組み合わせがあべこべ。この組み合わせでは帷子も布子も無用の長物です。こうしたことから、寒の帷子、土用の布子と二つ続けて並べてみると、物事が逆さまだとというような意味にもとれます。本来ならば寒の布子、土用の帷子で有るべきなのにと。また、気が利かない例えとして使われる場合もあるように思います。寒に帷子など時季はずれのものを持ってくるなんてと言うことです。類義語としては、「夏炉冬扇(かろとうせん)」なんかが浮かびます。でもこうした言葉も、帷子、布子と言う言葉にピンと来ることがなくなりつつある今では、すっかり耳にする機会が減りましたね。ちょっぴり寂しい気がしますね。そのうちに、寒の帷子、土用の布子なんていっても「なんのこと」と聞き返されるだけの時代がやってくるかも。そんな時代になったら、言葉だけでなく、私自身も寒の帷子同様、時節にあわないものになっているかもしれません。いや、既にそうなっているかも。

                          (「2023/01/26 号 (No.5962) 」の抜粋文)
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左遷の日と天神様の縁日 [かわうそ@暦]

□左遷の日と天神様の縁日
 本日は、「今日の記念日」に登場した、あまりありがたくない記念日の話題です。その記念日とは左遷の日「こんな記念日、作らなくていい」と云いたくなる記念日の一つでしょう。この左遷の日は、菅原道真(すがわらの みちざね)が右大臣から大宰権帥へと左遷された日とされる 901(延喜元)年1/25に因む日です。この日は、現在の季節で云うと2/21頃になります。左遷された道真を追って、一夜で太宰府まで飛び、その地で根付いたと云う飛梅伝説の梅も、この時期だともう咲いていたでしょうから、その花を見てあの、

  東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

 を詠んだのでしょう。

◇天神様の縁日
 毎月25日は、天神様の縁日となっています。なぜこの日が天神様の縁日となっているのかというと、これは道真公の命日が 903(延喜 3)年2/25であったことからです。ではなぜ、道真公が天神様になったかというと、道真公が左遷された地、太宰府で亡くなってから都では落雷の被害が相次ぎ、また道真公を陥れ左遷した藤原時平(ふじわらの ときひら)の急死などがあって、これは道真公が死後、怨霊となって祟っているのだと考え、恐れた人々がその怒りを鎮めるために天神様として祀ったためです。元々「天神」は雷神として崇められていたそうで、道真公は死後、怨霊となって都に落雷被害をもたらす雷神になったという噂が都で拡がり

  天神様 = 道真公

 と考えられるようになったためだとか。後には、道真公が学問に優れた人物であったことから、天神様は学問の神と考えられるようになり、現在では雷神としての恐ろしい面は忘れられて専ら学問の神様として、全国の受験生とその家族の合格祈願先として人気の高い神様となっています。現実の世界では左遷されて、そのまま地方で寂しく亡くなってしまった道真公ですが、死後はとんとん拍子で出世して最後には神様にまでなってしまいました。まあ、現世で左遷され、死んでから敵対者達の罪滅ぼしの意味で神様にまで祭りあげられても、ちっとも嬉しくないでしょうけどね。私たちも精々、現世で「左遷」の憂き目を見ないよう、頑張りましょう。

                          (「2023/01/25 号 (No.5961)」の抜粋文)
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ツバキ(椿)! [ヘッダー画像]

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2023.01.21撮影
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2023-01-24 [twitter投稿]



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