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2023-01-06 [twitter投稿]



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七日正月と六日年越し [かわうそ@暦]

□七日正月と六日年越し
 明日は、七草の日(節供で言えば、人日の節供)。明日の朝は、やはり七草粥ですかね?いろいろと行事の続くお正月ですが、この七種粥を食べるとああ、正月も終わりかという気分になります。正月も七日を過ぎると、何か一つ山を越える感じがしますね。そんな、一区切りの日を目前に控える正月六日に、正月の六日と七日にまつわる話を一つ。

◇七日正月と六日年越し
 七日は七日正月(なぬかしょうがつ)と呼ばれることがあります。七日が正月なら六日は大晦日?そうした考えがあったことを示すように「六日年取り」「六日年越し」という言葉があります。七日の朝には、七草粥を食べて一年の無病息災を願うという風習は、まだ広く行われているように思います。この七草粥はその前日にあたる今日、六日の夜に七草囃子(ななくさばやし)を唄いながら準備するものだとされています(現実には、なかなかそこまで出来ない現代ですが)。こうして七日の朝に七草粥を食べるという行事を最後としてひとまず正月行事は終了します。七日の朝には正月の間、家に留まった歳神の依り代となっていた松を取りかたづけました(「松がとれる」といいます)。七日の朝を過ぎると元日から続いた大正月の行事は一段落して、家は年神様の座所としての神聖な場所から日常の生活空間へと戻っていきます。

◇繰り返される年越しの意味
 六日夜から七日朝まで、則ち六日年越しから七日正月までの行事は、大晦日から元日にかけての行事を二重写ししたもののように見えてきます。なぜ、こんな二重の行事があるのでしょうか。これについては確たる根拠は無いのですが、神様と人間、それぞれの年取りを分けたものなのではないかと私は考えています。大晦日から元日にかけて、新しい力を運んで来る年神を迎える、神のための年越しであり、この日から松がとれるまでの松の内の間は、年神は家々に留まり、新しい新しい生命力を人々にもたらします(これが「お年玉」。お年玉の玉は、「魂」「霊」でどちらも「たま」と読む)。ここで見られる年取りは、年神という神の年越しであり、六日年取り、七日正月は神の年越し行事であった神聖な松の内の期間を終えて、日常の時間、つまり人間の時間へ戻る、人間にとっての年取りとして用意されたものではないでしょうか。既に書いたとおり確たる根拠は無い話ですが、この考えどおりであれば明日の朝からはもう人間の時間。いつまでも正月気分に浮かれていないで、人間のお勤めを果たして行かなければなりませんね(ああ、つらい?)。

                          (「2023/01/06 号 (No.5942) 」の抜粋文)
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今日(1/6)の夜空に見える月は【十五夜の月】です [かわうそ@暦]

◆今日(1/6)の夜空に見える月は【十五夜の月】。
月は日暮れの頃に東の空から昇り、翌日の夜明け頃に西の地平線に沈んでゆきます。新月から数えて15日目の十五夜の月と満月は同じものと考えられがちですが、十五夜と満月が同じ日になる確率は50%以下。案外はずれています。(今回も一致しませんでした)

◆お月様の基礎データ
・月齢: 13.7 (1/6 の正午の値)
・月出:1/6 15時50分 月没:1/7 7時12分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):1/6 23時32分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 405400 km (平均距離の 1.05倍)。

 月は遠方にあり、見かけの大きさは小さな月です。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。

                          (「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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