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上弦の半月の日と時刻について [かわうそ@暦]

■上弦の半月の日と時刻について
 日刊☆こよみのページの毎日の暦データを見てゆくと、時々新月とか、満月とか、はたまた半月とかの表示があります。本日は上弦の半月です。ちなみに漫画「鬼滅の刃」が大人気となったため、本日 Google の検索窓で上弦と入れたら、検索ワード予測一覧に並んだ文字列は

  上弦の壱
  上弦の鬼
  上弦の月
  上弦の六
  上弦の参
    ・
    ・
    ・

 という言葉が並びました。「上弦」のキーワードで検索する人の多くが何を知りたいのかがよく解る結果でした。ううむ「鬼滅の刃」恐るべし。

※「鬼滅の刃」、私も読みました。 映画館で映画も見ましたけど。

 さて、本日の上弦の月の瞬間は日本では18時57分ですので今からだと半日後ということになります。先日、こんな説明をしたところ言い方がよくなかったのか、こんな質問をされました。「『日本では18時57分』ということは、日本と外国とでは半月となる瞬間は違うのですか?」おっと、そうきたか・・・。先に書いた説明は「今回の上弦の月の瞬間は日本時の18時57分です」と言っておけばよかったですね。反省、反省。

◇新月や満月の天文学的な定義とは
 このメールマガジンの読者の皆さんならば先刻ご承知のことでしょうが半月の瞬間は世界同時です。この問題は半月だけでなく、新月や満月についても同じで、世界同時です。この新月や満月、半月は現在の天文学的な定義によれば世界中同時に起こります。ただ、その瞬間を表す時刻(日付も同じ)は、使用している標準時が国によって違うので「今回の上弦の月の瞬間は日本時では18時57分です」と言っておけばよかったと思ったわけです。つまり日本時(日本標準時)では18時57分ですが、他の国の時刻は違うよと言うことで。例えば日本と9時間の時差のある英国であれば、今回の半月は「9時57分である」となるわけですが、時刻の違いはあくまでも時差の分の違いであって、半月という状態となる瞬間は世界中同時というわけです。現在の、新月・上弦半月・満月・下弦半月の天文学的な定義は、地球中心から見た太陽中心と月中心の黄経差が

   0度 なら 新月
   90度 なら 上弦半月
  180度 なら 満月
  270度 なら 下弦半月

 となる瞬間と定義されています。黄経とは、地球から見た太陽の動く面(黄道面)を基準として考えられた黄道座標の経度のことです。黄道面は太陽から見た場合、地球が太陽の周りを巡るときたどる公転面であるということが出来ますから、黄道座標とは、地球の公転運動に基づいて組み立てられた座標系ということが出来ます。この定義で特に注意して欲しいところは、太陽中心と月中心の黄経の差を測る場所が「地球中心」であることです。実際に地球の中心から見る何てことは出来ませんので、この定義は計算上の話ですが、その計算上の基準となるのは地球の中心という一点だということを覚えておいてください。つまり、日本であるとか米国であるとか、英国であるとかといった「地球上の場所」とは関係ありません。このように地球の中心から見た月と太陽のなす角で決まる新月・半月・満月ですから、地球上の位置とは関係なく決まると言うことです。

◇同時だけれど、同じ時刻ではない
 若干厄介なのは、現象としての半月の瞬間は同時なのですが、これをそれぞれの国で使っている時刻で示すと、違った時刻となるため、半月という現象そのものまで、国によって(地球上の位置の違いという意味で)異なるのだと誤解されることがよくあるのです。当たり前の話なのですが「私の当たり前とあなたの当たり前は違う」ことが多多あるので、こうした誤解や、こうした誤解にもとづく視質問は尽きません。毎度繰り返される質問というものは厄介ですが、質問が一つも来ないよりはましかな? と「こよみのページ」の管理人としては思います。本日の暦のこぼれ話だって、そうしたよくある質問の一つが耳に入ったために書くことが出来たのですから、よくある質問はありがたいものなのかな?

                          (「2023/08/24 号 (No.6172) 」の抜粋文)
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今日(8/24)の夜空に見える月は【上弦の半月】です [かわうそ@暦]

◆今日(8/24)の夜空に見える月は【上弦の半月】。
上弦の月は日が暮れる頃は、真南の空の高いところにあり、日付が切り替わる頃に、西の地平線に沈んでゆきます。旧暦日による呼び名では【九日月】です。

◆お月様の基礎データ
・上弦の半月の瞬間は 8/24 18時57分 (月齢は 8.0)
 ※上弦の半月とは、月と太陽の黄経の角度差が90度となる瞬間です。
・月出:8/24 12時20分 月没:8/24 22時16分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):8/24 17時21分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 383900 km (平均距離の 1.00倍)。

 月は平均距離付近にあり、見かけの大きさも平均的です。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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サンタンカ(三丹花)! [ヘッダー画像]

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別名:サンダンカ(三段花)
2023.06.27撮影
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【処暑】(しょしょ) [かわうそ@暦]

【処暑】(しょしょ)
 (暑さがおさまる意)二十四節気の一つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが止み、新涼が間近い日。7月の中(ちゅう)。太陽暦の8月23日頃に当たる。 《広辞苑・第七版》

 「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」

 これは天明七年(1787)に出版された暦の解説書『暦便覧』の処暑の説明です。簡単にして明瞭に、処暑という言葉を説明してくれています。このころには萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃。ただし、処暑のころから秋分の頃までは台風のシーズンでもありますので、「心地よい」とばかりは言っていられませんが。現在の二十四節気は、広辞苑の説明にあるとおり、太陽(の中心)の黄経で区切る定気法(ていきほう)という方式によっており、処暑の始まる位置はこの黄経が 150度と定められています。今年(2023年)に太陽中心がこの位置を通過するのは8/23の午後 6時(日本時)頃ですから、処暑の期間は8/23から始まります。こうした定気法による二十四節気は、現在の旧暦の基となっている天保暦から採用されたものです。天保暦の施行は西暦1844年ですから、案外にその使用の歴史は浅いものです。定気法以前の二十四節気はどのような方式によっていたかというと、これは平気法(へいきほう)と呼ばれるものでした。平気法の原理は冬至と次の冬至の瞬間を求め(当時の瞬間については、定気法と同じ)、二つの冬至の間の時間の長さを24等分するという方式です。どちらの方式で求めたものでも、二十四節気そのものの時期は大きく異なることはなく、ずれの大きな所でもその差は精々2~3日程度のものですから、平安の昔も今も、処暑の時期は変わらないと考えてもよいでしょう。もちろん、1787年に刊行された前出の暦便覧が書かれた時代も同じこと。暦便覧の言葉のように、暑さが止んで、涼しさが近づく季節となったはずです。さてさて、本当にそうでしょうか?ここから先は、皆さんの感覚にゆだねることにいたします。

                          (「2023/08/23 号 (No.6171) 」の抜粋文)
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スイレン(睡蓮)! [ヘッダー画像]

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2023.07.07撮影
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七夕と七草 [かわうそ@暦]

□七夕と七草
 本日は旧暦の七月七日(2023/8/22)と言うことで、七夕と七草の繋がりについて採り上げることにします。

  秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
  萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花また藤袴 朝貌の花
   (山上憶良)

 秋になると、思い出すのは秋の七草。それが、七夕と関わりのあるものです。その繋がりとは「七夕」と「七草」で、「七」繋がりなんて結論だったら怒られるでしょうね(私自身は「七」繋がりも、まんざらでも無い気がしているのですが)。一応、もうちょっと繋がりについて考えてみましょう。秋の七草といえば、おそらく多くの人が思い浮かべるのがこの山上憶良の七草ではないでしょうか。山上憶良のこの歌はとても有名な歌で万葉集の巻八、秋雑歌 1537-1538 に納められている歌です。さて、この有名な秋の七草の歌が収められている万葉集の秋雑歌です。秋雑歌には沢山の歌が納められていますが沢山の歌の中で今回の話と関係のあるものを拾い出すと

 1518-1529 山上憶良 七夕歌十二首
  天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな
   (中略)
  天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも

 1544-1545 湯原王 七夕歌二首
  彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば
  織女の袖継ぐ宵の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし
 1546 市原王 七夕歌一首
  妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける

 です。一つ(十二首だけど)は秋の七草の歌を詠った山の上の歌。他は別の歌人の歌です。どちらも七夕を題材として取り上げた歌です。秋の七草の歌は七夕の節供を祝う歌と歌の間に歌われていることが分かります。七夕と言えば「七月七日の七夕」とまず日付が思い浮かぶ行事。これだけ暦の日付と強く結びついた年中行事ですから、行事に感じる季節感は日常の生活に使用される暦の暦日の季節感と強く結びつくものでしょう。このため、七夕をはじめとする五節供は、現在では多くの地域で新暦の日付を用いて祝われることが増えています(仙台七夕のような例外もありますが)。このため、現在は七夕と言えば夏の前半の行事と捉えられるのが一般的だと思われます。こうしたことから、七夕と秋の七草を結びつけるという発想は希薄になっていると思いますが、万葉集に七夕の歌や秋の七草の歌が詠われた時代に使われた暦では、七月七日と言えば秋の初めの時期でしたので、七夕の歌が秋雑歌に入るのは当然。そしてもちろん秋の七草も。もともと節供には、室礼として季節に咲く花などを飾ることが一般的でしたから、七夕の節供にもやはり季節の花が飾られたことと思います。そんなことを考えると、七夕の歌の間に詠まれた秋の七草の歌は七夕の節供を彩る花としてふさわしい花はどれだろう?そうした節供の宴席でのやり取りの間に、憶良が「私ならこうした花を選びます」として、憶良の考えた秋を代表する花々を詠ったものだったのではないでしょうか?現在は、七月七日という七夕の節供の日付故に、七夕の行事が夏の前半の行事と捉えられることが多くなってしまったため、秋の七草との関係が途切れてしまった。私はそんな風に考えています。年中行事には、季節が大切なもの、人間社会での約束事が大切なもの、あるいはお月様の見え方が大切なものなど、それぞれで重視する観点が異なるため、時代が変われば、重視した観点以外の事柄との関連性が失われ、あるいは新たになるといったことが起こっていると思います。「伝統行事」と一言で言いますが、時代時代の変化に対応して生き残った行事が、今の伝統行事。その成り立ちなどたどってゆくと、私たちが今現在目にしている伝統行事姿も違ったものだったのかもと思えてきますね。

                          (「2023/08/22 号 (No.6170) 」の抜粋文)
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ペチュニア ! [ヘッダー画像]

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和名:ツクバネアサガオ(衝羽根朝顔)
2023.08.18撮影
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太陰暦の日付と月の呼び名 [かわうそ@暦]

□太陰暦の日付と月の呼び名
 月の満ち欠けを利用して日を数える暦を太陰暦といいます。日本が明治 5年まで使っていた暦(旧暦)もこの太陰暦の流れを汲む暦でした。この暦は正確には太陰太陽暦と呼ばれるもので、一年の平均の長さを太陽の一回りの周期に一致させるための仕組みを組み込んだ太陰暦でした。太陰暦にせよ、日本の旧暦のような太陰太陽暦にせよ、暦月の区切り自体は月の満ち欠けにあわせていましたから、一月の間の日数などを見る限りではどちらにも差は無いと考えることが出来ます。今日の話は、この一月の日並みと月の呼び名の関係についての話なので、太陰太陽暦も太陰暦と一括りにして呼ぶことにします。

◇三日月、十五夜・・・太陰暦の日並みと月の呼び名
 日本を始め、中国に源を発する東洋の太陰暦は朔(新月のこと。暦の話では新月を朔と呼び、朔となる瞬間を含む日を「朔日」と書きます)の日を一月の最初の日として数え始めます。つまり

   朔日 = 一日

 となります。このため「朔日」も「一日」もどちらも同じ読み「ついたち」と読むようになりました。この朔日を最初として、あとは順に二日、三日、四日と数えてゆきます。さてこんな風に太陰暦ではその日並みは新月の日を基準に数えるわけですから暦の日並みと月の形とは密接に関係することがわかります。そのためいつしか暦の日並みによって月の形を表す言葉が生まれました。

  三日月、十三夜月、十五夜月、二十三夜月、二十六夜月

 といった具合です(一般には「十五夜月」等と言わず「十五夜」だけで済みます)。三日月といえば太陰暦の三日の夕べに見える細い月のことです。

◇日付が変わっても「十五夜」?
 「太陰暦の三日の夕べに見える月は三日月」というのはとってもわかりやすいのですが、では十五夜の月は?太陰暦の十五日の月に決まっているじゃないですか、では太陰暦十五日の月を考えてみましょう。この頃の月はほぼ満月で、夕方に東の空から昇ってきます。今日(2023/08/20)からいちばん近い太陰暦十五日は8/30(旧暦7/15)となります。この日の月の出を調べると 18:17でした。確かに夕方に昇ってくることがわかります(計算地は、京都としました)。まあ、月の出は確かに太陰暦15日でしたから十五夜でいいのでしょうけれどではこの日の24時を回ってしまって日付が16日に変わったら? 十五夜の月が十六夜の月と名を変えるでしょうか。おそらくそんな使い方はせず、日付が変わっても十五日の晩に昇った月は、その月が沈むまで十五夜の月と呼ばれるはずです。ちなみに例とした「十五夜月」が沈む日時は昇った日の翌日8/31日の5:10となります。よくある誤解に「太陰暦の時代の一日の始まりは夜明けだった」というものがあります。確かにこの考えが正しければ、十五夜の月が翌日の明け方に沈んでも「十五日の月」と言えるのですが、この考え自体が間違いですから、説明にはなりません。暦の上での日付の変更は平安の昔からずっと「正子」、つまり現在の時刻で言えば午前 0時で、時刻の決定方法の細かな違いを考えなければ、現在と変わるものではありません。こう考えると、「十五夜月」とは「十五日に昇った月」と考えるべきなのでしょう。

◇二十六夜月は?
 十五夜月は太陰暦の十五日に昇った月と考えれば、何となく納得出来るのですが、二十六夜月などを考えるとさらに問題が発生します。二十六夜の月というと、明け方の東の空に昇る細い月。明け方に昇る三日月といった感じの月です。現在はこんな時刻にわざわざ月を見ようという人は少ないでしょうが、昔はこの二十六夜の月の出をわざわざ待って、拝するという行事があり、二十六夜待ちとか、二十六夜講などと呼ばれました。では、この二十六夜の月はいつの月でしょうか。十五夜月を考えたように太陰暦の二十六日に昇る月に決まっていいるじゃないか。次の太陰暦二十六日というと、9/10となります。この日の月の出を調べると0:39がその月となります。ちょうど日付が変わったところでの際どいタイミングでしたが、まあ太陰暦の26日の月の出ですから、これが二十六夜月の出?何か変ですね。

◇二十六夜月の問題
 太陰暦26日の日に昇った月をそのまま「二十六夜月」とすると困る問題、それはその月が朔(新月)から数えて何番目の月かという問題です。ある月を眺めていて「次の日の月」といった場合私たちはどんな風に月を数えるでしょうか。おそらく多くの方は今見ている月が沈んで、次に昇ってきた月を次の日の月と考えるのではないかと思います。太陽にせよ星にせよみな、昇っては沈み、沈んでは再び昇るという動きを続けますからこの「昇っては沈み」というサイクルを1,2,3,・・・と数えるのが普通だと思います。月を朔を 1としてこの方法で数えると、三日月は 3番目の月、十五夜月は15番目の月ということになります。こう数えてゆけば、三日月の「三」や十五夜の「十五」という数字も大変にわかりやすい。ところが、昨日例に引いた太陰暦26に当たる9/10に昇る月は、この数え方では26番目ではなくて25番目の月ということになってしまいます。この辺りの関係をよく見てみましょう。8/30の十五夜を朔から数えて15番目の月として順に「月の数」を数えると

  15番目 (8/30 18:17~8/31 05:10 旧暦 7/15)
  16番目 (8/31 18:52~9/05 06:25 旧暦 7/16)
    (略)
  24番目 (9/08 23:43~9/09 15:07 旧暦 7/24)←旧暦日に注目
  25番目 (9/10 00:39~9/11 15:52 旧暦 7/26)←旧暦日に注目
  26番目 (9/11 01:37~9/12 16:30 旧暦 7/27)

 ()内の日付と時刻は月の出没の日時、最後が旧暦の日付です。出没時刻の計算地は京都、日付の年は西暦の2023年です。

  太陰暦の日付 = 月の名前

 と考えるとすると太陰暦の一種である旧暦の26日に昇る月はこの例では9/100:39に昇る月となりますが、この月は「昇って沈むで 1サイクル」という単純な月の数え方では25番目になってしまいます。「旧暦の日付」をごり押しすれば月の呼び名は二十四夜月の次は二十六夜月と一つ跳んでしまうことになります。これはちょっと受け入れがたいところですね。どう考えても常識はずれです。さすがにこんなことはなくて、やはり二十四夜の次は二十五夜、二十六夜と順に数えてゆきます。だとすると二十六夜月とは、旧暦日に連動した名前とではなく朔から数えて26番目の月と考えるのが良さそうです。

◇旧暦日と月名のずれの生まれる理由
 この理由は単純に考えれば、「月は一日に平均して50分程ずつ月の出が遅れる」ために起こる現象ですがもう一つは、太陽を基準とした一日と月を基準とした一日の区切りの違いにあるのかもしれません。太陽を基準とした一日は太陽の南中である正午(とその反対側の正子)を区切りとして数えますが、月を基準とする日の数え方は月の見える「夜」を数えることのようです。旧暦日も太陰暦の日付といいながら「一日」の単位は基本的には太陽に基づいた区切り方をしているため、太陰暦の日付そのものを直接月の名前に与えると今回の話のような矛盾が生じるのですが、三日月も十五夜の月も二十六夜月にしてもその月が見える「夜」を数えれば何もおかしなことは起こりません。月の名前は、朔の日から数えた日の数ではなくて朔の日から数えた夜の数。だから十五夜の月であり、二十六夜の月なのでしょう。二十六夜の月とは、いつ昇る月なんですかといった質問(月の数は26ばかりではありませんが)を時折頂くことがありますが、「夜の数を数える」と考えると悩むことはないようです。長い説明になりましたが、結論はといえば、あたりまえといえばあたりまえ過ぎる「月の名前の話」でした。


                          (「2023/08/20 号 (No.6168) 」の抜粋文)
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