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七曜暦(しちようれき)の話 [かわうそ@暦]

□七曜暦(しちようれき)の話
 今日は土曜日。一週間には日曜、月曜・・・土曜と7つの曜日があり、これが一目でわかるようにまとめられたものが「七曜暦」・・・ではありません。これは、かわうそが勝手にでっち上げた話の枕ですので信じないでくださいね(自分で書いておきながら信じるなって)。さて、名前だけを見ると上記のでっち上げのような説明でも受け入れてしまいそうになる「七曜暦」について本日は採り上げてみることにします。

◇七曜暦は昔の天体暦
 「曜」という文字は「かがやく」という意味があり、「七曜」といえば肉眼で見える五惑星(水星・金星・火星・木星・土星)と太陽(日)と月を表す言葉になります。七曜暦の「七曜」もこの 7つの天体を指す言葉で、七曜暦はこの 7つの天体の位置を示すための暦でした。現代風に云うと天体暦とか天体位置表といったところ。つまり七曜暦は、昔の天体暦というわけです。

◇なぜ天体暦が必要だったのか
 現代でも天体暦は作られているのです。ただ「暦」とつくからと「こよみ」「カレンダー」の類を思い浮かべてはいけません。現代の天体暦はそのほとんどのページが数字で埋められた本の形式のものが一般的です。日本では国立天文台が刊行している「暦象年表」がこれにあたるでしょう。世界的には、米国と英国が共同で刊行している Astronomical Almanac が最も広く使われる天体暦で、どちらも毎年刊行されています。(Astronomical Almanac はその解説も含めると600ページ超の本です)こんなものなので、天体暦を普通の人が使うことはまずありません。ではどんな人が使うのかと云えば天体の観測をしている人達です。七曜暦は昔の天体暦です。昔のとはいえ天体暦ですので事情は現代の天体暦に近く、ある日の太陽や月、惑星がどの星座のどの辺にあるかということを詳しく計算した結果が書かれています。現在の私たちが日常生活で天体暦を使うことがないのと同じく、昔の人も日常生活において七曜暦を使うことは普通にはありませんでした。では、何のためにこんな暦が作られていたのでしょうか。それは、占いのためです。占いといっても、「今日の私の運勢は・・・」というレベルではなくて、国全体の行く末や戦争の有無といった国家レベルでの占いです。中国では、天で起こる現象と地上で起こる現象は対応するものだという思想がありますので、天上で(つまり星と星の間で)異変があれば、地上でも異変があると考えました。ということは、天上での星の動きを予測出来たとしたら、その予測結果から地上で起こる様々な事柄を事前に予測出来るはずと考えられるわけです。こうして天上の星々の動きを予測する暦、七曜暦が作られるようになったのです。七曜暦の歴史は、中国では2000年以上も前まで遡れます。日本においても続日本紀に天平二年(AD 730年)に七曜暦が配られたという記述があるので、七曜暦の歴史もザッと1300年あるのでした。

◇七曜暦、姿を消す
 古代の天体暦とも言える七曜暦ですが、日本では平安中期頃になると姿を消してしまいました。その理由としては、大陸との交流が途絶えて新しい七曜暦の輸入が出来なくなったことと、暦博士や天文博士が世襲化してしまい、その知識・観測技術が年々低下して、独力ではとても複雑な計算の必要な七曜暦作成など出来なくなってしまった為です。こうして消えた七曜暦は、江戸時代になって日本独自の暦、大和暦(公的な暦となってからは「貞享暦」と呼ばれる)を作り、初代の幕府天文方の職についた渋川春海等が一度は復活させたのですが、江戸幕府の天文方も世襲制でしたので、その昔と同じくほどなく天体暦を作成するだけの力量を失い、暦計算を担当する天文方が「七曜暦を刊行してきましたけれど、この暦は日用に使うようなものではなく、また記載されている五惑星の位置なども近頃はずれてしまってきており、このようなものが他所の国にでも渡ったらみっともないので、刊行を止めたいと思います」と何とも情けない、しかしある意味正直な文書を出して刊行を取りやめることになりました。国の運命を占うために作られた七曜暦でしたが、まさか七曜暦自身がこんな情けない理由で消えてなくなるなん。そんな皮肉な運命までは、占えなかったようです。

                          (「2023/08/05 号 (No.6153) 」の抜粋文)
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