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【節分】(せつぶん) [かわうそ@暦]

【節分】(せつぶん)
 (セチブンとも)
 1.季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称。
 2.特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)
  の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒いった大豆をまく習慣がある。冬の季語。
   《広辞苑・第七版》

 これを書いているのは、立秋の前日です。広辞苑の語釈の1にあたる日ですので、節分で間違いないのですが日常の会話の中で「今日は節分」といっても怪訝な顔をされてしまう影の薄い節分です。「節分」は元々

  季「節」を「分」ける → 「節分」

 ですので、春夏秋冬の全てに節分があるのが当然で、これが語釈1の説明となります。つまり本来の意味での節分が語釈1です。これに対して、語釈2の節分は語釈1の中から現代まで「生き残った」ものだと言えるでしょう。その昔は四季それぞれの節分の日には節分の行事が行われていた訳ですが、それほど重要な行事でもなかった(?)ために、次第に廃れてしまい、立春前日の節分以外は忘れ去られてしまったのです。では、立春前の節分がたの3つの節分同様に忘れ去られなかった理由は何かと言えば、他の節分にはない別の要素があったからです。それは何かと言えば、立春が四季の巡りの始め、伝統的な1年の始まりのじきとして捉えられていたと言うことです。日本で千年以上も使われ続けていた太陰太陽暦い、いわゆる旧暦の正月は立春前後に始まる月を「正月」として、1年の始まりの月とされていましたので、日常の生活のサイクルである暦の1年の始まりは立春の時期という感覚が定着したと考えられます。

 ※旧暦での正月は正しくは立春の後に来る「雨水」を含む月ですが、この条件で決定される正月は、その始まりの日が立春前後に来ることが多いので「立春≒正月の始め」と見なされるようになりました。

 このため、立春前の節分は一年最後の日という特別な意味を持つものになりその特別な意味のために他の3つの季節の節分が廃れたあとも存続して、現在の立春の前日が節分と認識されるようになった者です。立春前の節分に行われる鬼追いの行事は本来は大晦日の日に行われていた追儺(ついな・おにやらい)行事であったことなどからも、立春前日の節分が年越しの日という特別な意味に捉えられていたことを表しています。こうして今では、語釈2の立春前日の節分のみが「節分」と捉えられるようになってしまいました。そのため、本来の季節を分ける日という意味の節分は影が薄くなってしまったのでした。そんなわけで、本日は影が薄くなってしまった3つの節分の一つ、立秋前の節分です。影の薄い節分ではありますが、暦の上では明日からは別の季節に変わる日だと思うと、それなりに特別な日に思えてきます。そうか、今日は夏の終わりの日なんだなそんなことを考えた朝でした。

                          (「2023/08/07 号 (No.6155) 」の抜粋文)
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