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2018-05-04 [twitter投稿]



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シャクヤク(芍薬)! [ヘッダー画像]

180504no12.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2018.05.01
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【祈ること久し】 [かわうそ@暦]

【祈ること久し】
 子疾病 子路請祷 子曰有諸 子路對曰有之 誄曰祷爾于上下神祇 子曰 丘之祷之久矣 
《論語・述而篇》

 子の疾(やまい)病(へい)なり。子路祈(祷)ることを請う。子曰く「之有りや」
 子路答て曰「之あり。誄(るい)に曰く『爾(なんじ)を上下の神祇に祈る』と」
 子曰く「丘(きゅう)の祈ること久し」

 この話には登場人物は二人。孔子(「丘」は孔子の名)とその最も古くからの弟子、子路です。孔子が病気になり、病状が思わしくありません。心配になった子路は、師の病気がよくなるよう、神に祈りたいと孔子に願い出ます。孔子は「そんな理(ことわり)や前例はあるか」と子路に聞き返します。子路は「誄という書に『あなたのことを上下の神々に祈る』とあります」と答え、さらに祈らせて欲しいと願ったところ、孔子は「そういうことなら、私はずっと祈り続けてきたよ」と答えたというのが、冒頭の文章の内容です。結局のところ、子路の願いは退けられてしまったわけです。子路は孔子がまだ若いときに弟子となりました。孔子との年齢差は 9歳。ちょっと単純ですが曲がったことは絶対にしない、そして孔子のことを大変に尊敬しているという弟子でした。直情径行的なところがあり、叱られることも多いのですが、その不器用なほどの正直さを孔子は愛していたように思えます。孔子からすると、弟子と云うより年の離れた弟といった存在だったかも知れません。こんな子路ですから、孔子が病気になって容態が思わしくないので心配でしかたがない。居ても立っても居られないなくて、何か孔子のために出来ることはないかと考えて、神への祈祷を思いつき、願い出たわけです。わざわざ願い出たのには、「子、怪力乱神を語らず」という孔子の普段からの態度があったと考えられます。心配のあまり神にもすがりたい子路ですが、超常的力や、理性で説明出来ないような事柄を語ることを避ける孔子の態度を知るだけに、いきなり祈祷をすることは憚られたのでしょう。「誄」という書物に「あなたのことを上下の神々に祈る」と書かれている例まで探してきて、病気平癒の祈祷を孔子に願い出ています。どうしようもないときには神にもすがりたい、神頼みをしたいという気持ちは、現代の私たちにもあることです。ましてや2600年も前の古代の人々ならそうした気持ちを持ったとしてもちっとも不思議ではありません。子路の気持ちはよくわかります。しかし、祈祷をしたいという子路の願いに答えた孔子の言葉は、予想外のものでした。「私はずっと祈り続けてきたよ」だから、殊更に祈祷などする必要はないのだと言ったのでしょう。孔子の思想はある意味、とても単純です。人の行いは天(神と言い換えてもいいかもしれません)がこれを見ていて、その正邪を判断し、それに応じて禍福をもたらすものだというものです。こう考えた孔子ですから、おそらく正しく生きることこそ天に対して祈ることだと考えていたのではないでしょうか。特別な祈祷をするようなことはしなくとも、自分は常に天に、神々に祈って生きてきた。自分の生き方そのものが祈りなのだと、子路につたえたのでしょう。

  丘の祈ること久し

 怪力乱神を語ることを避け、戒めた孔子ですが、それは神を信じていないということではありませんでした。(『2018/05/04 号 (No.4234) 』の抜粋文)

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