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2018-05-05 [twitter投稿]



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トバタアヤメ(戸畑文目)! [ヘッダー画像]

180501no8.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2018.05.01
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鯉と幟と登竜門 [かわうそ@暦]

■鯉と幟と登竜門
 本日は端午の節供。端午の節供と言えば「鯉幟」。ということで本日は、何のひねりもなく「鯉幟」の話です。

◇とその前に・・・節供の話
 早速、鯉幟の話をと思いましたが、その前に「節供」の話を少し。節供は年の節目節目の祝祭の日を表す「節日(せつにち)」でした。こうした祝祭の日には神に供物(その多くは食物)を捧げます。神様に捧げる食べ物ですからご馳走ですよね。ご馳走を供物として捧げられた神様は、もちろんご馳走の独り占めなんかしません。自分が食べきれなかったものはそれを捧げた人々に分け与えます。神様からのお下がりです。ちなみに、神事の後にこの神様からのお下がりを頂いて行うお祝い(宴会)を「直会(なおらい)」といいます。食べ物のおさがりなんか嫌だわ~なんて言わないで下さい。神様のお下がりは、ただのお下がりではありません。神様の力のお下がり(?)もまた、そこに含まれているのです。神様は気前がいい。神に捧げ物をする人々は、その捧げ物以上のお下がりを下さるのでした。と、話があらぬ方向に向かってしまいましたけれど、こんな具合に節日の神事には供物がつきものということで、いつしか節日とその節日に行われる行事自体を節日+供物 =「節供」と呼ぶようになったようです。現在は、「せっく」というと「節句」と書くことが多いのですが、これは後世の当て字です。この文字では「せっく」という言葉の成り立ちが解らなくなってしまうと考えているので、私の場合、極力「節供」という文字を使うようにしています。何かあればまずは「ググッて」という検索万能時代にはやや不利かなとは、思いますけれど(へそ曲がり?)。

◇太平の世の鯉幟
 さて、長引いた「その前に」の話から、鯉幟の話に戻ります。今では端午の節供と言えば鯉幟というくらい、一般的な鯉幟ですが、これが生まれたのは江戸時代の初期だったと言われています。節供には邪気を祓う目的などで、それぞれの節供と結びついた植物があります。端午の節供の節供植物と言えば、その代表は「菖蒲(しょうぶ)」。このため端午の節供は「ショウブの節供」とも呼ばれるようになりました。こうなってくると、

  菖蒲 → ショウブ → 尚武 (「尚武」武事を重んじること)

 という連想が起こって、武事に従事するのが本務である武士達(基本的に男性)の時代には、端午の節供は大切な男児の節供と考えられるようになりました。さてさて、江戸時代より少し時を遡った戦国の時代には幟と言えば武士が戦場で自分(あるいは、自らの「家」)の身分身元を証すために掲げたものでした。武士達は幟を立てて戦場を駆け回り、武功をあげるのが立身出世の近道でした。ところが戦乱の時代が終わり、太平の江戸時代になって、武士の身分の固定化が進むと武功をあげて出世することは出来なくなってしまいました。ではどうするのか? 与えられた職務に精励して認められることくらいしか手がありません。武士達も地道な生き方となったわけです。この頃から、武士達は端午の節供になるとそれぞれの家の家紋や鍾馗(しょうき)様を描いた幟を立てて「我が家の発展」を願うようになりました。幟は、元々が戦場で自分(家)の身分身元を証すために使われたものですから、これを揚げて自家の発展を願うというのは武士にとっては当然の発想だったのでしょう。戦がなくなると、こんな時くらいしか幟の出番もなかったでしょうし(兜飾りや、武者人形を飾るのも理由は同じ)。さて、時を同じくして武士のこの風習が庶民にも広がりましたが、武家と同様に家紋を描いた幟をたてるというのさすがに憚られました。そこで武家の幟の代わりに登場したのが「鯉幟(こいのぼり)」です。鯉は「鯉の滝登り」の故事で知られるように竜にまで出世する可能性のある魚ですから、鯉幟はもちろん出世の象徴。子や孫に偉くなってくれと夢を託す気持ちは武士も庶民も同じということです。ついでですが、中国の黄河には「竜門」と言う激流で有名な場所があります(行ったことありませんけれど)。この竜門の激流を登り切るという大変な困難を乗り越えることが出来た鯉は竜になるという言い伝えが鯉の滝登りの故事の元。現在でも使われる「○○への登竜門」とか「竜門を登る」という言葉もこの竜門から生まれた言葉です。鯉幟は、子供らの立身出世を願う親心から生まれたものですけれど、託された子供達も楽しく悠々と泳いでるだけではいけません。竜門を登るような困難に打ち勝たないと、立身出世は出来ないようです。立身出世ばかりが人生ではない・・・のかもしれませんけれどね。

◇何時もの如く、ちょっとおまけ・・・鍾馗様のこと
 説明の中でいきなり登場した「鍾馗様」ですが、ご存じない方もいらっしゃるかも知れませんのでちょっと説明しておきます。鍾馗は中国伝来の鬼神の名です。なんでも玄宗皇帝(と言うより、楊貴妃の旦那さんと言った方がわかりやすいかな)が病気になり、どうしても治らなかったときに夢の中に出てきて、疫神を追い払った神様が鍾馗様です。なぜその名前がわかったかというと、夢の中で皇帝が名を問うたところ「鍾馗と申す」と答えたから。本人がそう言うのですから間違いない(漢字はどうして解ったのかな? 名刺でも渡してくれたのかな・・・)。ということで、これ以後、鍾馗様は病気から守ってくれるありがたい神様として尊ばれたとか。端午の節供に鍾馗様の幟を立てたのは、子供が健康に育つようにと言う願いからだったのでしょうね。ちなみに、私が子供の時に、我が家には鯉幟はなく、この鍾馗様の幟がありました。その当時の私には「鍾馗様」が何者かなんて、全然解りませんでしたが。さて、本日の東京は快晴。この空のものとなら、鯉幟の鯉も気持ちよいでしょうね。もっとも、高層ビルの立ち並ぶ都会では、鯉幟も気楽には泳げないかもしれませんけれど。(『2018/05/05 号 (No.4235)』の抜粋文)

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