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2019-07-19 [twitter投稿]



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モミジアオイ(紅葉葵)! [ヘッダー画像]

190715no30.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2019.07.15
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七十二候 (しちじゅうにこう) [かわうそ@暦]

□七十二候 (しちじゅうにこう)
 暦の話として、たびたび登場する二十四節気(にじゅうしせっき)はいろいろなところで採り上げら、説明されている(中には、間違った説明もあって閉口することもありますけれど)のですが、似たようなもの(?)に七十二候というものがあります。二十四節気ほど有名ではない、七十二候について本日はとりあげてみます。

◇七十二候とは
 二十四節気は暦の上の日付と季節を結びつけることがその重要な役割ですが一年を二十四分割するとその一つ一つの間隔はおよそ15日。私などは、この程度の間隔で十分だと思うのですが、いやいや、もっと細かくしなくてはという人もいると見えて、二十四節気の一つの気を更に三分割して作られたのが七十二候です。二十四節気がそうであるように七十二候も中国で生まれ、中国から日本に暦が伝来した七世紀末に、二十四節気などとともに日本に伝えられました。七十二候が初めて日本に伝えられた頃の内容を見てみると「蟷螂(とうろう)生ず」「鵙(もず)始(はじ)めて鳴く」のように動物の行動や植物の生育の様子を表した言葉が多く並んでいます。こうした動植物の姿から季節の変化を読み取っていたわけです。身近な自然の変化を観察し、それを暦の上に記述していった古代中国の人々の季節感を垣間見るようです。こうして中国から伝来した七十二候でしたが、暦の上の仕組みとしては重要視されなかったようです。その理由は定かではありませんが、細分化が過ぎて現実的な機能を失ってしまったからだと私は考えています(七十二候が生まれた当の中国でも既にそうだったのかもしれません)。過ぎたるは及ばざるがごとしかな? 梅や桜の花の咲く時期一つとっても、半月(二十四節気の一気の長さ)も違うと異常気象か?という気にもなりますが、 5日(七十二候の一候の長さ)程度違うくらいは異常なことではありません。更に、同じ暦を温暖な地方から寒冷な地方まで同じ暦を使うことを考えると、 5日区切りで動植物の様子から季節を読み取るというのは無理な相談ですから(七十二候の生まれた頃、それが使われたのがかなり狭い範囲だったのかもしれません)。

※と書いておきながらですが、多少の無理は有っても、季節の目安として、七十二候を書いておくことで、花の咲く時期のわずかな異同を知る手がかりとなるという役割・・・物差しの目盛りのような役割・・・はあり、まったく無意味とまでは言えません。ちょっぴりフォロー・・・。

◇七十二候の変化
 中国から伝来しても日本の季節の変化を読み取る役に立たず、長らく存在感の薄かった七十二候でしたが、江戸時代に入り、日本独自の暦である貞享暦(じょうきょうれき)では、日本独自の七十二候として復活(?)します。この日本風に作り直された七十二候を本朝七十二候(ほんちょうしちじゅうにこう)といいます。本朝七十二候とは、日本の気候風土に合わせて作り直された七十二候のことです。蓮始めて華さくのようなそれまでの七十二候にはなかった言葉を追加する一方、「鷹化して鳩となる」のような、貞享暦が作られた江戸の時代でも、そんな馬鹿なという言葉は削除されています。また、「寒蝉(ひぐらし)鳴く」のようにそれまでもあったものを時期を変えて存続させるなどしています。貞享暦が作られたときに日本化した七十二候は、その後と時代とともに少しずつ変わってきました。それは、気候の変化に対応すると言うこともあるでしょうし、季節の変化を見る人の目が変わり、着目するものが変わって行くからということもあるでしょう。こうした変化はこれからも続くわけですから、今後も七十二候が使われ続けるなら、七十二候の変化はこれからも続くことになると思います。季節の変化を暦に書かれた事柄だけで知るのではなく、自分の目で耳で肌で感じるものだということを、忘れなければですが。(「2019/07/19 号 (No.4675)」の抜粋文)
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