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少し早めのハロウィン(Halloween)の話 [かわうそ@暦]

■少し早めのハロウィン(Halloween)の話
 10月も下旬となって、そろそろ話題にハロウィンが登場するようになってきましたので、本日はちょっと気が早いかも知れませんが、ハロウィンの話を書くことにします。これからカボチャのランタン作ったり、おばけの装束作りに忙しくなる方も多いでしょうからね。今のうちに。21世紀に入った頃まで遡ると、日本ではハロウィン行事というのは、まだ珍しくて海外ドラマ(多くは米国の)の中のものという感じだったと思うのですが、20年程経過して、今では10月末の行事として大分定着してきた感じがします。行事の内容はというと、正しく伝わっているとは思えない部分も多いですけれど。本日は、大分拡がっているのに、その割には意味がよく知られていないように思える、ハロウィンの話です。

◇ハロウィンてなに?
 ハロウィンは元々アイルランドやスコットランドに住むケルト人が信仰したドルイド教の行事でした。ケルトの人々は11/1を新年の初めの日と考え、その前日に夏の終わりの日の祭りという意味のあるサムハイン祭を行っていました。ちなみに、この日に終わりとされる「夏」ですがその始まりはいつかというと11/1の半年前の 5/1、メイ・デーがそのに当たります。さて、11/1が新年ですからその前日 10/31は大晦日のようなもの。年の狭間にあたる大晦日には神々の世界が垣間見えるとケルトの人々は考えました。そしてこの日は神が人間に様々な悪戯を仕掛けるとか、悪霊が地上に姿を現し跳梁跋扈すると考えられました。人々は供え物をして神やこの悪霊の悪戯を鎮め、夜はかがり火を焚いてこれが村に近づかないようにしたといいます(かがり火は、夏が終わって力の衰える太陽を助けるためのものという考えもあるようです)。ハロウィンというとトリック・オア・トリート(お菓子をくれないといたずらするよ!)と子供たちが仮装をして家々を巡るイメージがありますが、この仮装はハロウィンの日に現れる悪霊の姿を、お菓子は人々の供え物をそれぞれ表しているわけです。

◇カボチャのランプ、ほんとうはカブのランプ?
 ハロウィンといえばカボチャのランプ。毎年世界的な検索サイトの Googleのロゴはハロウィンの日には G や O の文字の部分がこのカボチャのランプに置き換わったりするほどです。このランプの名前をジャック・オ・ランタン (Jack-o'lantern)と云います。このランタンに名前を残したジャックは、生前は大変な悪戯者だったそうでそのいたずらの矛先は悪魔にまで向けられました。悪戯に困った悪魔はそれから逃れるために、「今後はジャックにだけは悪さをしない」と約束させられてしまいます。ジャックに死が訪れると、その生前の悪戯のために天国には入れず、悪魔も地獄への門を閉ざしたため、ジャックは天国と地獄の狭間の暗く冷たい煉獄(れんごく)を最後の審判の日まで彷徨うことになりました。そんなジャックに悪魔が唯一くれたものが小さな灯。ジャックは煉獄の道で拾ったカブ(蕪)をくりぬいて作ったランタンに入れ、ランタンの弱々しい光で足下を照らしながら最後の審判の日を待ちながら天国と地獄の狭間を彷徨い続けているのだそうです。さて、ハロウィンに現世にさまよい出る悪霊というのは、天国へも地獄へもいけずこの煉獄を彷徨う霊なのだそうで、その足下を照らすランプがあのジャック・オ・ランタンです。悪魔は「ジャックにだけは悪さをしない」という約束をしてしまっているのでジャックのランプがあるところには寄りつきません。こんな訳で、このランプのの灯には悪霊を遠ざける効用があるということで、悪霊よけとしてハロウィンの夜にはこのランプを家の周りに飾るのです。ただこの故事からするとこのランプは本来は「カブ」で作るのが正しそうです(イギリスやアメリカには今でもカブで作る地域もあるそうです)。考えてみればハロウィン行事の発祥地、アイルランドやスコットランドは寒冷な土地ですから、温暖な地で生まれたカボチャが昔からあったはずはありませんね。ではなぜカボチャになったのか?その経緯は残念ながら私は知りません。ただ、普通のカブでランタン作るのはかなり難しい(大きさ的に)。その点、カボチャなら・・・ってことじゃないかなと思っています。

◇ハロウィンはキリスト教の行事?
 ハロウィンのように欧米から入ってきた行事はキリスト教の行事と思われがちですが、既に書いたとおりこれはドルイド教の行事であって、キリスト教とは関係ありませんでした。そのため、キリスト教の教会暦にはハロウィンの文字はありません。とはいいながら全く無関係かと言えばさにあらず。ハロウィンの翌日11/1はカトリックなどでは、諸聖人の日 (All Saints'Day)となっています。この諸聖人の日の英語の古名は All Hallow's Day だったそうで、 10/31はその前日(イブ)と言うことで All Hallows'Eveとなりその短縮形、Halloween が定着したのだと言われます。キリスト教はそれが世界に広がって行く過程で、その土地々々の土着の宗教や祭りの要素を取り込んで行きますが、ハロウィンという行事もそうして取り込まれていった行事の一つと云えそうです。本来のキリスト教行事ではありませんでしたが、現在ではその辺の境界線は曖昧になってきています。少なくとも日本でハロウィンの仮装を楽しんでいるだろう子供たち(&大人たち)にとっては、キリスト教の行事だったか否かはどうでもよいことかもしれません。

◇どうやって広がったのか
 日本のハロウィンはアメリカで行われたハロウィンが取り入れられたものです。元々はアイルランドなどで行われていた土着の行事でしたが、「悪戯が公認される日」的な祭りであったため、この楽しい行事を懐かしんだアイルランド系の人々がアメリカでもこれを行い、それが広がったものと考えられます。日本への普及は多分、当初は幼稚園などで子供たち向けの行事として行われるようになったのが始まりだったのではないでしょうか。そして、子供向け行事を経験した子供たちが、時が経って大人になった頃に何か商売になる、新しい季節のイベントってないかな?とクリスマスやバレンタインデーのような季節のイベントを探していた商売人の目にとまって・・・。あくまで私の想像ですけどね。でも、現在はハロウィン関連グッズの市場の売り上げ規模は先行していたバレンタインデーなどを超えて拡大しているとのことですから、まんざら妄想とばかりはいえないのでは。皆さんはどう思います?

                          (「2023/10/19 号 (No.6228) 」の抜粋文)
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シュウメイギク(秋明菊)! [ヘッダー画像]

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別名:キブネギク(貴船菊)
2023.10.17撮影
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春は寝ていて秋は立ってる三日月の話 [かわうそ@暦]

□春は寝ていて秋は立ってる三日月の話
 昨日の夕方、暗くなりつつある空にかかる三日月を見ました。三日月の下には、まだいくらか残る空の光に照らされた海の水平線が見えていました。

  お、三日月、立っているな!

 水平線と三日月が作る角度を見ながらそう思いました。本当に秋の三日月は立っているんですね。
 
◇春は寝ていて、秋は立っている三日月
 昨日の夕方に見た三日月は真面目に立っていましたが、三日月がいつも立っているかと言ええば、そうでもありません。春の三日月は寝そべっています。三日月だって、いつもいつも立っていたら疲れますからね・・・。春の三日月は寝っ転がっていて、秋の三日月は立っているのです。では間の夏や冬の月はどうかといえば、この春と秋の状態のちょうど中間くらいです。

◇有明の月の傾き
 三日月の反対に明け方に見える細い有明の月。二十六夜月とか二十七夜月と呼ばれる頃ですが、此方の傾きはどうなっているかというと、有明の月は、春には立っていて、秋には寝ころんでいると三日月とは逆になっています。秋の明け方に見える二十六八の月は、水に浮かんだゴンドラのような細い月になります。

◇季節によって三日月の傾きが変わるのはなぜ?
 この原因は主に太陽の通り道(月もほぼ太陽と同じ道を通ります)である黄道と地球の赤道との傾きが原因です。月の欠け際を結んだ線はほぼ黄道と直角になりますから、月のある場所の黄道が地平線とどのような角度で交差しているかを計算すれば、月の傾きのおよその状態が計算出来ます。昔は三日月や二十六夜月(または二十七夜月)を拝む風習がありましたので、こうした月の傾きまで求めてその傾きを示した暦まで作られていたことがあります(仙台暦など)。今と違って、月に対する関心が強かったから三日月の傾きのちがいまで気になったのでしょうか。今は、なかなかそこまで気が向く人は少ないでしょうか?月に興味のある皆さん、今月の三日月、来月の三日月、再来月の三日月と毎月の三日月を眺めて、この傾きのちがいを実際に確かめてみてはいかが。案外新しい月の楽しみ方になるかもしれませんよ。

                          (「2023/10/18 号 (No.6227) 」の抜粋文)
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神嘗祭(かんなめさい) [かわうそ@暦]

□神嘗祭(かんなめさい)
 本日 10/17は伊勢神宮において神嘗祭(かんなめさい・かんにえのまつり・しんじょうさい)が行われる日です。昭和22年までは祭日の一つでもありましたが、伊勢神宮と皇室の行事となっています。

◇神嘗祭とは
 【神嘗祭】(かんなめさい)
 当年の新穀を大御饌(おおみけ)として伊勢の大御神(天照大神)に奉る伊勢神宮の祭儀。豊受大神宮(外宮)では毎年10月(旧暦9月)15~16日、皇大神宮(内宮)では16~17日に新穀を供進、天皇の勅使(例幣使)が幣帛(へいはく)を奉納。皇居でも10月17日賢所で親祭、伊勢神宮を遥拝する。かんなめのまつり。かんにえのまつり。秋の季語。《広辞苑・第七版》

 一瞬、コトノハのような書き出しをしてしまいましたので驚かれたかも知れませんね。どうやったら上手く説明出来るかなと考えて、その挙げ句に、辞書の記述に頼るのが一番確実と、広辞苑のご厄介になりました。決して手抜きをしたかった訳ではありません(・・・)。この説明からも解るとおり、その年の収穫を神に捧げる行事ですが、伊勢神宮にとってはそれだけではなく、この祭りにあわせて祭器道具や神官の装束などを一新します。このため、「神宮の正月」とも呼ばれます。伊勢神宮といえば20年に一度式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われますが、この式年遷宮の最初に行われるのが大神嘗祭。普通の神嘗祭では祭器道具を替えますが20年に一度は宮まで立て替えると考えると、神嘗祭は式年遷宮の小規模版と考えることができます。過ぎ去ったその年(旧年)の収穫を神みに捧げることで、次の年(新年)の作物の豊作を祈るということで考えると、こうした生産と収穫のサイクル、生命のサイクルの起点と考えることができそうです。伊勢神宮の主神が太陽神、天照大神ですから「年」のサイクルを司るという点ではまさに理想的です。

◇神様の新年と人間の新年?
 神嘗祭と非常によく似た行事がもう一つあります。神嘗祭から一月ほど遅れて行われる新嘗祭がそれです。新嘗祭は神嘗祭同様、神宮と宮中の行事ですが、この日はまた「勤労感謝の日」という形で祝日ともなっています(ちなみに、「勤労感謝」とありますが、勤労の結果得られる糧に感謝という意味合いがありますから、この祝日は名前を変えた新嘗祭と言えなくもないでしょう)。この日は、同じくその年の収穫物を神に捧げると共に天皇もまたこれを食すとされています。神だけでなく天皇もこれを食すという点で、人間の一年のサイクルの開始点と考えられそうです。ともあれ、一年というサイクルを作物の生長とその結果としての収穫という観点から眺めた時、神嘗祭はその区切りの行事の一つと考えることができます。

                          (「2023/10/17 号 (No.6226) 」の抜粋文)
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今日(10/17)の夕方、西の空に見える月は【三日月】です

◆今日(10/17)の夕方、西の空に見える月は【三日月】。
新月後に初めて見える月が見えるのはこのころ。夕方の空に見える月であることから「夕月」、古代の美人画の眉のように細い月であることから「眉月」とも呼ばれます。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 2.4 (10/17 の正午の値)
・月出:10/17 8時 4分 月没:10/17 18時17分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):10/17 13時14分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 389200 km (平均距離の 1.01倍)。

 月は平均距離付近にあり、見かけの大きさも平均的です。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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サネカズラ(実葛)の実 ! [ヘッダー画像]

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別名:ビナンカズラ(美男葛)
2023.10.10撮影
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ヤブマメ(藪豆・薮豆)の花 ! [ヘッダー画像]

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別名:ギンマメ(銀豆)
2023.10.13撮影
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今日はグレゴリオ暦の誕生日 [かわうそ@暦]

□今日はグレゴリオ暦の誕生日
現在世界で広く用いられているグレゴリオ暦がユリウス暦から改暦されて使われ始めたのは1582/10/15。ということは本日はグレゴリオ暦の441回目の誕生日ということになります。今日はグレゴリオ暦の誕生日ということで、この記事を書いております。といいますか、正直に申せば昨年書いた記事を若干手直ししてアップしております。だって、誕生日って毎年やってくるんだもの(言い訳)。

 さて、ひとしきり言い訳したところでグレゴリオ暦の誕生日である2023年の10/15に、これまでのグレゴリオ暦の誕生日の日を過去に遡って見ることにしましょう。

  今年の日付は、2023/10/15。
  1年前の日付は、2022/10/15。当たり前です。
  2年前の日付は、2021/10/15。これもまた当たり前。
   (中略)
  441年前の日付は、1582/10/15。これもまた当たり前。
  442年前の日付は、1581/10/ 5。これもまた、お? なにか違う。

 日本において、グレゴリオ暦が使用されるようになったのは1873年のことですから、上記の「441年前の日付は・・・」という話は、日本では成り立ちませんが、暦の歴史としてグレゴリオ暦が作られ、使われていた国々での話としてお読み下さい。

◇グレゴリオ暦の誕生日?
 グレゴリオ暦として初めて記録された日付は、1582/10/15(441年前の今日です)。この日付がグレゴリオ暦によるグレゴリオ暦の誕生日と云うことが出来るでしょう。とすると、冒頭で書いた「442年前の日付は、1581/10/5」はグレゴリオ暦誕生以前の日付となります。グレゴリオ暦が生まれる前の日付ですから、この日付を刻んだ暦はグレゴリオ暦ではありません。ではその暦とは何か? この答えはユリウス暦です。グレゴリオ暦はユリウス暦に小修正を加えて出来た暦ですから、グレゴリオ暦から見るとユリウス暦は親のようなものでしょうか。

◇ユリウス暦からグレゴリオ暦へ
 グレゴリオ暦の前身はユリウス暦の特徴は、平年は 365日で4年に1度のうるう日が2月末に挿入されることで 366日となるという、なじみのあるうるう日挿入方法です。このユリウス暦はあのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が作らせた暦で、ローマ帝国の版図で使用されました。また暦そのものは解りやすくて、またそこそこ正確な暦でしたから、当時のヨーロッパでは事実上の標準暦となっていました。グレゴリウス暦はこのユリウス暦の改良版です。ユリウス暦の「4年に1度のうるう日」の挿入によって調整される1年の日数は、本当の1年の日数よりちょっとだけ余分に長かった。余分とはいっても、その「余分」は 128年でようやく1日分になるほどのものでしたから、100年や200年の間はどうということのない量ですが、ユリウスが改暦してからおよそ1600年近くも使われ続けていたので、小さな差もつもり積もって10日程の「余分」となってしまっていました。グレゴリオ暦への改暦は、この10日の余分を取り去り、さらに年々の「余分」の量を小さくするための修正でした。「余分」の量を小さくする工夫は、4年に1度のうるう日挿入を400年の間に3回だけ省略するというものでした。現在日本で使われている暦(新暦)はグレゴリオ暦と同じものですので、1900年や2100年などは4年に1度の周期にあたる年ですが、うるう年ではなく平年になります。

◇10日の余分をどうするか?
 さて、うるう年挿入を 400年に 3回間引くことで、当面こうした1年の日数の「余分や不足」はなくなりました(3000年経ったら悩みましょうという程度には)。この「将来のための修正」はさほどの問題とはなりませんでした。なんといっても1582年の改暦後、最初にこうした閏年の間引きが行われたのは改暦後 100年以上経った1700年なのですから、当面の悩みにはなりません。問題は将来にではなく、過去との連続性でした。当時既にユリウス暦の誤差の累積によって10日の余分が生じていた訳です。解りやすくいえば、暦の上での春分は3/21でしたが、本当の春分はその10日前の3/11となってしまっていたというものです。ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦ではこの「10日の余分」をどう扱ったかというと「余分な10日間を暦から削除」したのでした。具体的には暦の上の日付は1582/10/4 の翌日を 1582/10/15 とするというものでした。ということは、1582年にユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦した国では10/5から10/14の間の日付がなかったことになります。10日間が削除されていますから1582年の暦の上の1年の日数は355日となりました。

◇10日ずれていたユリウス暦で人々は困っていたか?
 この改暦の話となると時々暦と季節が10日もずれてしまっていたら、人々は困っていたでしょうねとおっしゃる方がよくいらっしゃるのですが、これは誤りです。考えてもみてください。ある年急に10日ずれてしまったのであれば、暦の日付を目安に農作業などする人などは少々困ったことが起こるでしょうが、この10日のずれは1600年かかってゆっくりと生まれたものです。人の一生が 100年だとしても、その一生のうちでは生ずるずれは精々1日です。現在の私たちの生活を考えてみても、暦の上の春分の日が天文学的な春分と何日か違っていたって、少なくとも「日常生活」に困ったことが起こるとは思えません。それどころかおそらくそのずれに気付きさえしないでしょう。この「10日のずれ」が大きな問題だったのは一般の人々の生活ではなくて、キリスト教の祭礼の日付だったのです。キリスト教の祭礼の中でももっとも重要な祭礼は「復活祭(イースター)」です。この復活祭の日付は春分の日を基準として数え始めるルールがあるため、春分の日が正しくないと復活祭の日付も正しいものでなくなってしまいます。自分たちが信奉するキリストの復活を祝う祭礼の日が暦の不備によって正しく行われないというのは、神に対する大変な冒涜であると考えた宗教関係者(この場合はローマ法王)が、この暦の不備を正すために行ったのがグレゴリオ暦への改暦でした。グレゴリオ暦という名前自体が、この改暦を命じたローマ法王グレゴリウス十三世の名から来ていることを見てもそれが解ります。今の時代、「10/4の翌日を10/15とする」何ていったら大変です。10/10締め切りの仕事はどうなる? 銀行の利子はどうやって計算する?実際に1582年の改暦にもそうした問題は発生して大変だったようですが、そこはそれ「神様のため」ですから、教会の力によって何とか改暦は成し遂げられ、現在に至っています。ああ、改暦が為されたのが私の生きている時代でなくて本当によかった。出来れば、私の残された人生のうちでも、改暦がないといいな。いや、こよみのページのかわうそとしては、改暦を経験するという貴重な体験をすることを願うべきなのかもな??

                          (「2023/10/15 号 (No.6224)」の抜粋文)
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