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2023.10.13撮影
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理想の暦(?)が生み出した没日 [かわうそ@暦]

□理想の暦(?)が生み出した没日
 少し前に、理想の暦を目指して作られたけれど、短命にして終わったフランス革命暦の話を書きましたが、本日もある意味「理想を追い求めた結果生まれた暦の上のおかしな日」の一つ、「没日(もつにち・もちび)」を採り上げてみることにしました。旧暦時代の暦月は、ご存じの通り新月~次の新月の前日となっています。分かり易いといえば分かり易い。月の満ち欠けという目に付きやすい天文現象に連動しているのですから。月の満ち欠けの周期の長さは「朔望月(さくぼうげつ)」と呼ばれます。新月を表す「朔」と満月を表す「望」の文字を組み合わせた「朔望」という言葉は、月の満ち欠けを表す言葉としても使われます。月の満ち欠けの周期を「一月(ひとつき)」とする長さです。月の満ち欠けの周期は、分かり易くてなおかつ、そこそこに正確、29.27~29.83 日の間で変化し、平均は29.530589日。分かり易くて、そこそこ正確なこの朔望月を暦月のもとにするということは世界中のほとんどの文明で行われてきたことのようです。便利ですからね。しかし、一見すると便利に見えたこの朔望月に基づいて暦月を区切る方式の暦を作った人達は、やがて気づきます。お月様の罠にはまってしまったことを(お月様にその意図はありません。勝手に人間がはまってしまっただけのことです)。それは何かというと、季節の巡る長さである1年をこの朔望月で割ると12.36...と大分大きな端数が出てしまいます。そのため、すんなりと「1年は12ヶ月」とは行かなかったのです。中国から渡ってきて、長く日本でも使われてづけてきた太陰太陽暦の一つは仕方なく、

  1年は12ヶ月、時々13ヶ月

 とすることで数年単位で朔望月と1年という長さの整合をとることにしたわけですが、1年が12ヶ月だったり、13ヶ月だったりというのは、何か釈然としなかったのでしょう。「本来、1年は12ヶ月のはずが、現実の世界では何かの理由で、ちょっとずれてしまっているんだ」なんていうことを、考えるようになったようです。そんな理想(夢想、妄想?)の暦を作るのに使われたのが二十四節気です。月の満ち欠けはこの際無視して、二十四節気の中の「節気」と呼ばれるもので一月を区切る暦とすれば、 1年はいつでも12ヶ月となります。例えば、二十四節気の正月節気である小寒から次の二月節気である立春の前日までを一月(正月)、立春から次の・・・とする暦を考えたわけです。このように二十四節気の節気で月を区切る暦なのでこうした暦を節切り(せつぎり)の暦といい、この節切りの暦の暦月を「節切りの月」とか「節月(せつげつ)」と呼びました。節切の月を使うことで閏月などない、 1年12ヶ月の暦を得ることが出来たのでした。

◇一月の日数
 さて、節切の月は二十四節気の「節」で区切られます。現在の二十四節気は黄道上の経度を等分に分けて、その区切りの点を太陽中心が通過する日で区切る定気(ていき)と呼ばれる方式の二十四節気です。この方式では、地球の軌道が円軌道でないため二十四節気の各節気の長さが不均等になるという問題があります。二十四節気をこの定気で計算するようになったのは日本では最後の太陰太陽暦であった天保暦以降のことで、それより前の暦では一年の日数を24等分するという恒気(こうき)あるいは平気(へいき)と呼ばれる方式でした。以下の説明は、ややこしさを無くすため古い方式である恒気方式で行うことにします。さて、 1年の日数を365.2422日とするとこの日数を二十四等分した二十四節気のひとつの気の長さ(これを気策といいます)は、

   1気策の日数 = 365.2422 / 24 = 15.21843(日)

 となります。節切の月はこの気策が 2つ合わさったものですから 30.43685日です。さてこの節切の月を使って節切の暦を作ると 1月の日数はどうなるか。

  え、30.43685日じゃないの?

 と思うかも知れませんが、考えてみれば「今年の八月の日数は30.43685日です」なんて言うことはありませんから、 1月の日数は30日あるいは31日の二つの日数のいずれかになります。折角均等な「ひと月」を作ったはずなのになんだかちょっと残念です。

◇理想の、あるいは机上の「ひと月」
 人間は不思議なもので、初めは正確な季節の巡りを表すための暦作り、暦月作りだったはずですが、いざ作ったものにこのような割り切れない数字が残ってしまったりすると、これが気になって仕方がないという人が現れます。そんな気になる人達は理想の「ひと月」は全部30日で、 1年はその12倍の 360日であるべきだと考えました。二十四節気もこの 360日を24等分するのですから気策の日数もちょうど15日。とってもスッキリ。とはいえ、人間が幾ら机上でそんなことを考えても太陽が 360日で天球を一回りしてくれるはずはありません。仕方がないので、1年360日を実現するために、暦の上では「日数に数えない日」を設けることにしました。この日数に数えられない日を没日(「もつにち」あるいは、「もちび」)といいました。

◇没日はどうやって決める?
 没日の具体的な決め方はというと、実際の気策の長さ、15.21843日の長さが理想(妄想?)の気策、15日となるように端数を各日に割り振ります。割り振られる長さは 1日ごと0.014562日。この端数を毎日足し合わせて行くと、どこかでその合計が 1.000を超える日があるはずです。月日数の均等な理想の暦、あるいは机上の暦を考えた人はこの端数合計が 1を超える日にあたった日を暦の上では日に数えない日、没日とすることで、1月が30日、1年はこの月が12回の 360日となる暦を手に入れたのです。ちなみにこうして計算される没日は実際の日数で68~69日毎に暦の上に現れることになります。

◇「机上の暦」はどうなった?
 さてこうして理想の暦、というよりは「理想を追い求めすぎた机上の暦」は何に使われたのか?既に書いたとおり、幾ら人間が「理想的」といったところでこの暦は実際の季節の巡り、太陽の動きなどを正確に表すという目的には益するところがありませんので、農業のような自然と向き合う用途には使われませんでした。結局、使われたのは人間の都合でどうとでもなる観念の世界、占いの世界でした。この机上の暦であれば、 1月30日分の占いを12の月に上手く割り振る方式さえ作ってしまえば、ある年のある月が30日だったり31日だったというイレギュラーな問題は発生しないので、とっても便利。しかし・・・、あまり規則性を追い求めたこの理想的な暦、机上の暦は規則性を追い求めすぎて現実から遊離してしまい、実用性を失ってしまいました。そのためでしょうか、ベストセラーとなった「天地明察」(映画にもなりましたね)で有名になった、日本独自の初めての暦、貞享暦を作った渋川春海は、貞享暦作成において、この「没日」を採用しませんでした。「没日」自体が「没」になってしまったのです(笑ってください)。そしてそれ以後日本の暦はこの貞享暦に倣って「没日」の制度は採用されておりません。「没日」は理想を追い求めすぎて、机上の空論になりかけた時代の暦の産物でした。「暦の上では日数に数えない没日という日」なんて、こんなへんてこな日が現在の暦に残っていなくて、本当によかったと思うカワウソです。

                          (「2023/10/13 号 (No.6222)」の抜粋文)
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