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2019-04-15 [twitter投稿]



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ピメレア サラ ! [ヘッダー画像]

190329no61.JPG
JA直鞍 なのはなガーデン
撮影日:2019.04.09
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佐久間艇長殉職の日 [かわうそ@暦]

□佐久間艇長殉職の日
 今日の記念日に、第六号潜水艇遭難の日・佐久間艇長殉職の日という項目があります。お読みになって、「なんのこっちゃ?」と思った方も多いと思います。多分、世間の 99%の方々には、「なんのこっちゃ」でしょうね。ということで、本日のこよみのこぼれ話では、この「なんのこっちゃ」についてちょっと触れておこうと思います。今日の記念日に「佐久間艇長殉職の日」なんて書き加えたのは実は私です。明治43年の 4月15日に起きた事故なので、歴史的な事実ですから、今日に記念日に加えてもおかしなことはないと思いますので。出来れば、知っておいて頂きたい話だなと思いましたので、そこはそれ、個人でやっている Webサイトであり、メールマガジンの気安さで。

 この事故は、第六号潜水艇という国産第一号の潜水艇がその訓練中に瀬戸内海で沈没したというもの。瀬戸内海は浅い海ですから、そこで沈没したからといって助からないとは・・・と今なら言えることですが当時としては十メートルも沈んでしまえば救助の方法もなく、結局は全員死亡。引き上げられたのは2日後の4月17日にかってからでした。こうした潜水艦の沈没事故の場合、引き揚げられた艦内の状況は悲惨だそうです。往々にして乗組員は出口ハッチなどに殺到し、折り重なって死んでいるといった状態が普通で、そのため、艦体が引き上げられても、艦内の状況は遺族にも知らせられない場合がほとんどだとか。そうした常識からすると、引き上げられた第六号潜水艇の状況は、一種異常なものだったようです。乗組員は、それぞれが持ち場に着いた状態のまま息絶えていたというのが、その異常な様でした。潜水艇が引き上げられ、事故原因の究明が行われる一方で、潜水艇内で亡くなった乗組員の遺品の整理が行われる中で発見された佐久間艇長の手帳の内容もまた、艇内の異常さ同様(あるいはそれ以上?)、一種異常なものでした。佐久間艇長の手帳には死の間際まで、沈没した潜水艇の状況が冷静に記録されていたのです。佐久間艇長の手帳には、暗闇の中で手探りで書いたと思われる大きな文字で、事故が起こった原因や、この事故を教訓として改良しなければならない潜水艇の問題点、艇内で死ぬことになる乗組員の遺族に対する配慮を上官らに願う文面等が綴られていました。この佐久間艇長の手帳は、最後の瞬間まで職務を全うした海軍軍人の記録として、その原文と英訳とが米国の国会議事堂大広間に展示されているそうです。また、伝統的な海軍国として知られる英国でも海軍教育の中でこの事故について教えられているとのこと。佐久間艇長のこの手帳の全文は、

佐久間艇長の遺書 ・・・ TBS ブリタニカ編集部編

として平成12年に再び出版されましたので、今でも入手可能だと思います。ごく薄い本で、あっという間に読み終えることが出来ると思いますので、機会があれが是非一度手に取ってお読みいただきたい。佐久間艇長の手帳の最後は、

  瓦素林ヲブローアウトセシシ積リナレドモ、ガソソリンニヨウタ一、中野大佐 十二時四十分ナリ

 で終わっていたそうです(誤字脱字等、原文のまま)。
 ※瓦素林 ・・・ ガソリン
                      (「2019/04/15 号 (No.4580)」の抜粋文)
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