2019-04-27 [twitter投稿]
hippocampus460ベニバナニセアカシア - 絵画風 https://t.co/xBSr5SsXiR04/26 19:09 hippocampus460『今日(4/26)の夜更けの空に昇る月は【下弦の半月】です』hippo@home|https://t.co/lWq2EhaC2G04/26 20:23 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /欠けていく凸月(7時36分、輝面比52%)視認できず。今日は下弦の月(弓張月)、月齢21.5。月の出:1時21分、月の入:11時48分です(北九州) /今朝の空も雲に覆われているが一部晴… https://t.co/AGtZi1uqfH04/27 07:41 hippocampus460【ベニバナニセアカシア】 https://t.co/fT8d5IlrzO04/27 08:16 hippocampus460【桜桃】 https://t.co/ny5DQp6CsH04/27 08:59 hippocampus460【戸畑あやめ】 https://t.co/tSgjrKbDbK04/27 09:08 hippocampus460『【暁と曙】』hippo@home|https://t.co/IT34CtO4qA04/27 14:33 hippocampus460『サクランボ(桜桃)!』hippo@home|https://t.co/aeXfvbFi8g04/27 17:11 hippocampus460日中晴れるが、風があり寒かった!PM2.5のレベルは6(4→6)、AQI:良い /午前中、菜園作業。ポット仕立ての苗、畝に定植する。畝を整地してまず、ミニカボチャ、栗カボチャ、白カボチャの3種類を、次にモロヘイヤの苗を植え付ける。… https://t.co/NMZrL4kRkE04/27 17:40
【暁と曙】 [かわうそ@暦]
【暁と曙】
【暁】(あかつき)(アカトキ(明時)の転)
1.夜を3つに分けた第3番目。宵・夜中に続く。現在では、やや明るくなってからを指すが、
古くは、 暗いうち、夜が明けようとする時。よあけ。あけがた。
古今和歌集恋「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」。
源氏物語明石「たち給ふ暁は夜深く出で給ひて」。「暁の光」
2.ある事柄が実現したその時。「成功の暁には」
【曙】(あけぼの)夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始める頃。あさぼらけ。
枕草 子「春は曙」
《いずれも、広辞苑・第六版より》
「暁」と「曙」の違いは何だろう?そんなことをふと考えました。思うに、暁より曙は少しばかり日の出に近い、明るくなってきたイメージかなと考えたのですが、明確な定義は思い浮かびません。それで辞書を引いてみたのが上記の結果です。辞書の説明によると「暁」と「曙」は現在は区別が曖昧になってきていますが、昔は暁と曙の間にはかなり明確な区別があったようです。「暁の空にかかる月」などというと、東の空が仄かに明るく色づいた頃の空に昇る細い月のイメージを持っていましたが、説明を読んでみると昔はその「仄かに明るく」なる前の時間帯を暁と呼んでいたようです。現在、このような時間帯を表す言葉とすれば、「未明」あたりがそれでしょうか。これに対して曙は、空がやや明るくなる時間帯。「暁」と「曙」には明るくなる前か後かというはっきりした区別があったわけで、言葉の使い分けということで考えると、昔の方がわかりやすかったようです。現在は、二つの言葉の境界はやや曖昧になってしまったようですが、どちらを使うべきか悩んだときには、昔の意味に立ち返って考えてみることにします。(「2019/04/27 号 (No.4592) 」の抜粋文)
【暁】(あかつき)(アカトキ(明時)の転)
1.夜を3つに分けた第3番目。宵・夜中に続く。現在では、やや明るくなってからを指すが、
古くは、 暗いうち、夜が明けようとする時。よあけ。あけがた。
古今和歌集恋「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」。
源氏物語明石「たち給ふ暁は夜深く出で給ひて」。「暁の光」
2.ある事柄が実現したその時。「成功の暁には」
【曙】(あけぼの)夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始める頃。あさぼらけ。
枕草 子「春は曙」
《いずれも、広辞苑・第六版より》
「暁」と「曙」の違いは何だろう?そんなことをふと考えました。思うに、暁より曙は少しばかり日の出に近い、明るくなってきたイメージかなと考えたのですが、明確な定義は思い浮かびません。それで辞書を引いてみたのが上記の結果です。辞書の説明によると「暁」と「曙」は現在は区別が曖昧になってきていますが、昔は暁と曙の間にはかなり明確な区別があったようです。「暁の空にかかる月」などというと、東の空が仄かに明るく色づいた頃の空に昇る細い月のイメージを持っていましたが、説明を読んでみると昔はその「仄かに明るく」なる前の時間帯を暁と呼んでいたようです。現在、このような時間帯を表す言葉とすれば、「未明」あたりがそれでしょうか。これに対して曙は、空がやや明るくなる時間帯。「暁」と「曙」には明るくなる前か後かというはっきりした区別があったわけで、言葉の使い分けということで考えると、昔の方がわかりやすかったようです。現在は、二つの言葉の境界はやや曖昧になってしまったようですが、どちらを使うべきか悩んだときには、昔の意味に立ち返って考えてみることにします。(「2019/04/27 号 (No.4592) 」の抜粋文)