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2019-04-18 [twitter投稿]



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クマガイソウ(熊谷草)! [ヘッダー画像]

190416no17.JPG
福智山ろく花公園
撮影日:2019.04.16
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どっちを信じればいいの? [かわうそ@暦]

□どっちを信じればいいの?
 毎日、「今日の暦」としてまともな(?)暦の情報とともに占いで使われる十二直や二十八宿、六曜や下段と呼ばれる様々な暦注もお届けしている日刊☆こよみのページです。きっとこんなメールマガジンを発行しているかわうそって云う男(女)は、毎日その日の吉凶を見て、今日は家を建ててはいけないとか、株を買うなら明日だななどと考えているに違いない。そんな楽しい想像をしている方がいらっしゃったら、ごめんなさい。そんなことは有りません。なぜなら、日毎に家を建てたり、株を買ったりする財力がありませんので、したくても出来ないのです・・・なんて、財力が無いのはそのとおりですけれど。さて、与太話はこの辺までにしておいて、本日は暦注についてよく尋ねられる話、なぜ、同じ日なのに吉日と凶日が同居するのはなぜか?について、考えてみます。

◇吉日と凶日が同居する日
 「私は占い師ではありません。吉凶判断のお問い合わせはご遠慮ください」とは、あちこちで云っている(正確には「書いている」ですが)のですが、それでも時々そうした問い合わせが有ります。そうした問い合わせの一つに、同じ日なのに、吉日と凶日の暦注が有ります。どちらを信じたらよいでしょうか。というのがあります。ちょうどよい例が明日の暦に有りますので見てみましょう。

 ・2019/04/19の暦
  〇 六曜   大安 大安吉日なり.万事よし
  × 十二直   破  大凶.訴訟,交渉事は吉.造作,移転,慶事凶
  〇 二十八宿 牛  吉祥.鬼宿に次ぐ大吉日.正午以外大吉
  - 二十七宿 氏  (※氏+一)[てい] 婚礼,移転,種まき吉.造作,着初め凶
  × 下段   五墓 土を動かすこと凶

 ○は吉日、×は凶日、-はどちらともつかない日として判定してみました。実際はなかなか単純には割り切れませんが、強いて分ければといったところですが。この「強いて分けた」分け方で見ると明日は、

 二勝 二敗 一引き分け

 見事に吉凶が混ざっています。これじゃあ、どれを信じたらいいのかわからないという気持ちもわかりますね。

◇なぜ同じ日が吉日と凶日になってしまうのか?
 同じ日がある暦注では吉日であり、別の暦注では凶日となるといった矛盾して見えることが起こる理由は、この吉凶が自然の法則のように厳然としたものが存在していてそれを発見したものではなく、人間が発明したルールだからです。暦注の多くはその生まれをたどると陰陽五行説に行き着きます。陰陽五行説は、木火土金水の 5種類の性質と陰陽の二つ性質の組合せて森羅万象全てを説明してしまおうと云う、古代の科学仮説でした。今風にいえば「物理学の大統一理論」というところですが、如何せん古代のこと、発想が単純すぎ、またその展開が強引すぎて、現実を説明することは出来ませんでした。ですので「科学」としては発展せず、いつしか「迷信」の世界に進んで、沢山の暦注という名の子孫を残したのでした。生みの親の陰陽五行説そのものが既に迷信の世界の住人ですから、その子孫の暦注ももちろんどっぷり迷信の世界の住人。迷信の世界の住人の示す吉凶について「正しいか否か」を真剣に考えても意味がありません。

◇計算方式が正しいからといって、吉凶判断が正しいわけじゃない
 特定の占いの流派を信奉する方達は、我が流派はかくかくしかじかの最新の科学的数値を使って計算した結果なので、その吉凶判断は正確ですとよくおっしゃります。さてこれは、本当でしょうか?暦注の計算方式は大きく分けると月切暦方式、節切暦方式、不断方式の三通りが基本となりますが、その中で更に細かなルールをそれぞれに作って計算しています。細かなルールはそれぞれの暦注の考案者が考えるわけです。さて、ここまでであれば、誰がルールを考えたかは別として一定の手順で求めれば誰が計算しても同じ結果になります。計算に使われる数値や計算手順が精密になればそれだけ、計算自体は正しいものとなるのでしょう。しかし、問題はその先。計算結果から求められた日の吉凶をどうやって決めたのかということです。なぜか、日付の計算方式などにはやたらとこだわる方々もその肝心の点になるといきなり、ルール無用の世界に飛び込んでしまいます。たとえばこんな例を考えて見てください。

  「今日の最高気温は27℃と予想されます」

 さてこの情報をどう判断するか。すごく寒がりな私なら「ああ、今日は暖かくていい日だ」と考えるでしょう(我が家のベランダに暮らすカメ3匹も多分同意見)。けれど、一般的に考えると4月にこの気温はかなり暑い。異常と言ってもよいくらいですから 今日は、暑くて辛い日になりそうだと多くの人は考えることになるのでは。同じ最高気温27℃という情報(これ自体は科学的な裏付けのある情報)でも、それを好ましいものと捉えるのか、好ましくないものと捉えるのかはそれぞれの主観、価値判断で決まってしまいます。この例の「最高気温27℃の日」を地球シミュレーターのようなスーパーコンピュータを使ってゴリゴリ計算したりなんかして、予測したとします。その結果求まった「最高気温27℃」には科学的な根拠もあり、計算も正しいものだと言えますが、ではこの日はいい日(吉日)なのか悪い日(凶日)なのかは、捉え方(捉える人?)次第で吉日にも凶日にもなりえます。つまりどんなに正確な計算を誇ったところで、最後の最後で正反対の吉凶判断が出来てしまうわけです。

◇矛盾じゃないんです
 今まで散々書いたとおりで、どんなに精密に計算したところで、土台となる陰陽五行説自体に意味が無いこと、さらには吉凶の決定は真偽という科学的判断でなされたわけではなくて、発明者の価値判断によるものであるということを考えると、吉凶判断の異なる暦注が同日に存在することは矛盾でも何でもありません。どちらを信じるのが正しいのかという問も無意味。どちらを信じることにするか(あるいは信じないことにするか)という問題でしか有りません。かわうそさんは、どちらの暦注を信じます?と問われたとすると、私は公平に「どちらも信じてません」と答えることにしています。実際信じていませんからね。(「2019/04/18 号 (No.4583)」の抜粋文)

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