2020-06-25 [twitter投稿]
hippocampus460ニワウメの実 - 絵画風 https://t.co/GRFAzFQohD @hippocampus460より06/24 18:26 hippocampus460おはようございます!7時起床、天気 ☂ /満ちていく三日月(8時27分、輝面比14%)視認できず。今日は夕月、月齢3.7。月の出:8時47分、月の入:22時53分です(北九州) /今朝は雨が降っています。空は雲に覆われ福智山も視え… https://t.co/Wu2FZOW5t206/25 08:33 hippocampus460『薬降る日』hippo@home|https://t.co/92WgCMmaXW06/25 13:41 hippocampus460『オリエンタル・ハイブリッド系?』hippo@home|https://t.co/FO5nNLvf8U06/25 17:21 hippocampus460日中、雨のち曇り。降り続いた大雨ようやく止む。PM2.5のレベルは6(6→6)、変化なし。AQI:良い /午前中、雨が降り続いたので部屋で録り溜めたビデオ、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』、観る。懐かしい作品です。 昼食後は昼寝です(*^_^*)06/25 17:41
薬降る日 [かわうそ@暦]
□
旧暦の五月五日、端午の節供に降る雨を「薬降る」と呼ぶことがあります。今日はその旧暦五月五日にあたりますので、薬降る日の話を書いてみます。
◇端午の節供は魔の降る日?
旧暦の五月は雨の月。梅雨の月です。この時期はものが傷みやすく、黴びやすい気候ですから、旧暦五月の異称の一つにはこれを表すためか「悪月」というものさえあります。なにがこの月を「悪月」に仕立てるのか?昔の人はそれは、この時期に降り続く雨だと考えたのに違いありません。雨は天から降ってきます。その雨が「悪月」を作り出すのだとすれば、それは「魔」が降っているのだとも言えるでしょう。端午の節供はそうした魔の降る季節の節供だったのです。悪月と呼ばれる旧暦の五月はその一方で、早苗の月でもあります。田植えの主役である女性達(早乙女)は田植え前のこの端午の節供には、その身を清浄に保つため、忌籠り(いみごもり)して魔を避けました。今でも端午の節供といえば、菖蒲と蓬(よもぎ)を屋根に挿したり、この二つを束ねたものを屋根に投げ上げたりする風習があります。これは天から降る「魔」から身を守るための呪い(まじない)であったと考えられます。今も端午の節供に行われる菖蒲を湯船に浮かべる菖蒲湯などは穢れを取り除くための禊の一種と考えることが出来ます。
◇五月五日は「薬日」
五月五日は魔の降る日と書きましたが、この日はまた、薬日(くすりび)とも呼ばれ、山野に出て薬草を採取する日でもありました。屋根に飾り、菖蒲湯を作る菖蒲や蓬もこうして集められる薬草の中の一つでした。この日集められた薬草は、錦の袋などに詰め、薬玉(くすだま)として邪気を遠ざける(邪気はよい香りを嫌う)ためにこれを軒や室内に吊り下げる風習がありました。この「薬玉」が現在祝い事になどに登場する「くす玉」の元ですが、雰囲気は大分違っていますね。
◇薬降る
魔の降る日、その魔を避けるため薬玉を作り屋根には菖蒲と蓬を飾ります。その一方で、この日に降った雨が伐った竹の節にたまった雨水を神水と呼びこの水で薬を溶けば薬効が増すとも言われました。この日降る雨は魔ばかりでなく、薬でもあったのです。そのためこの日は「薬降る日」ともされました。魔も神も人間以上の力を持った自然の象徴と考えれば、表裏一体のものと言えるのかも知れません。魔も一転すれば神となり役立つ薬となる。そう考えて、あるいは望ましくない魔を役に立つ薬に転ずるための呪いの言葉が薬降るだったのかも知れません。旧暦五月五日の朝の東京はどんよりとした曇り空。この空模様だとどこかの時点で雨が降りそう。その時に降る雨はどんな薬を天から運んで来てくれるのでしょうか?今年は春先から、武漢から世界に拡がった病気の影響で日本も大変なことになっています。薬降る日に天から薬を運んできてくれる今日の雨が、この病も流し去ってくれたらいいですね。(「2020/06/25 号 (No.5017) 」の抜粋文)
旧暦の五月五日、端午の節供に降る雨を「薬降る」と呼ぶことがあります。今日はその旧暦五月五日にあたりますので、薬降る日の話を書いてみます。
◇端午の節供は魔の降る日?
旧暦の五月は雨の月。梅雨の月です。この時期はものが傷みやすく、黴びやすい気候ですから、旧暦五月の異称の一つにはこれを表すためか「悪月」というものさえあります。なにがこの月を「悪月」に仕立てるのか?昔の人はそれは、この時期に降り続く雨だと考えたのに違いありません。雨は天から降ってきます。その雨が「悪月」を作り出すのだとすれば、それは「魔」が降っているのだとも言えるでしょう。端午の節供はそうした魔の降る季節の節供だったのです。悪月と呼ばれる旧暦の五月はその一方で、早苗の月でもあります。田植えの主役である女性達(早乙女)は田植え前のこの端午の節供には、その身を清浄に保つため、忌籠り(いみごもり)して魔を避けました。今でも端午の節供といえば、菖蒲と蓬(よもぎ)を屋根に挿したり、この二つを束ねたものを屋根に投げ上げたりする風習があります。これは天から降る「魔」から身を守るための呪い(まじない)であったと考えられます。今も端午の節供に行われる菖蒲を湯船に浮かべる菖蒲湯などは穢れを取り除くための禊の一種と考えることが出来ます。
◇五月五日は「薬日」
五月五日は魔の降る日と書きましたが、この日はまた、薬日(くすりび)とも呼ばれ、山野に出て薬草を採取する日でもありました。屋根に飾り、菖蒲湯を作る菖蒲や蓬もこうして集められる薬草の中の一つでした。この日集められた薬草は、錦の袋などに詰め、薬玉(くすだま)として邪気を遠ざける(邪気はよい香りを嫌う)ためにこれを軒や室内に吊り下げる風習がありました。この「薬玉」が現在祝い事になどに登場する「くす玉」の元ですが、雰囲気は大分違っていますね。
◇薬降る
魔の降る日、その魔を避けるため薬玉を作り屋根には菖蒲と蓬を飾ります。その一方で、この日に降った雨が伐った竹の節にたまった雨水を神水と呼びこの水で薬を溶けば薬効が増すとも言われました。この日降る雨は魔ばかりでなく、薬でもあったのです。そのためこの日は「薬降る日」ともされました。魔も神も人間以上の力を持った自然の象徴と考えれば、表裏一体のものと言えるのかも知れません。魔も一転すれば神となり役立つ薬となる。そう考えて、あるいは望ましくない魔を役に立つ薬に転ずるための呪いの言葉が薬降るだったのかも知れません。旧暦五月五日の朝の東京はどんよりとした曇り空。この空模様だとどこかの時点で雨が降りそう。その時に降る雨はどんな薬を天から運んで来てくれるのでしょうか?今年は春先から、武漢から世界に拡がった病気の影響で日本も大変なことになっています。薬降る日に天から薬を運んできてくれる今日の雨が、この病も流し去ってくれたらいいですね。(「2020/06/25 号 (No.5017) 」の抜粋文)