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2020-11-24 [twitter投稿]



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フユイチゴ(冬苺)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.11.18
散歩道
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十日夜と三の月 [かわうそ@暦]

□十日夜と三の月
 今日は旧暦の十月十日。十日夜(とおかんや)と呼ばれる日です。この日には「十日夜」という行事が行われていました(十日夜に「十日夜」という行事があるのは当たり前か・・・)。十日夜はどちらかというと東日本で多く行われていた行事です。藁鉄砲で地面を打ってもぐらの害を払うとか、大根の背が伸びて肥え太るのを祈るとか、どちらかというと作物の豊穣を祈る民間行事という性格が強い行事です。十日夜の日には、田の作神が一年の里での勤めを終えて山に帰る日だと考えられていました(稲の刈り取りはこの日までには済ませてしまわねばならないと考えられていました)。田の神が山に帰るその道筋にいると、蹴散らされ、災いがあると考えられたので、この日には田んぼや山に足を踏み入れるのを忌む風習が各地にありました。また一方では、この日は「大根の年とり」ともいい、この夜一夜で大根が大きくなるといわれます。この日には大根の畑に足を踏み入れないという禁忌がありますが、その逆にこの日に大根の豊作を願って大根畑にぼた餅を埋める地域もあります(「ふるさと東京民俗歳時記」の田無市(現西東京市)の風俗)。一見するとまったく逆のことのように思えますが、どちらもこの日に正月の神供に欠かせない大根に、神霊が宿る日と考えたことから生まれた行事と考えられます。十日夜には、神様は大根畑に在り? なんですね。

◇十日夜と亥子
 この東日本の十日夜の行事によく似た行事に「亥子」(いのこ)あるいは、「玄猪」(げんちょ)と呼ばれる行事があります。こちらは、西日本を中心とした行事です。その日取りは十月(亥の月)の亥の日となっています。この日には田に足を踏み入れるのを忌むことや、子供達が藁鉄砲で地面を打つことが行われることなど、その内容も十日夜とよく似ています。こんなによく似た行事ですし、行われる時期もほぼ一致していることから、関東などでは両方の行事が交錯しているようです。例えば埼玉県川越市付近では、旧暦の十月十日を「十日夜」とも「田の亥子」とも呼んでいたようです。

◇三の月
 こうした行事の他にこの日の月を「十日夜の月」と呼び、中秋の名月の十五夜の月、後の月の十三夜の月に並ぶ三の月として、お月見の対象とされることもあります。「中秋の名月」「後の月」に並ぶと書いてしまいましたが、これはちょっと言い過ぎ。前述の二つの名月に比べると三の月の影(光?)は大分薄く、あまり三の月の月見の話は知られていません。それでも、長野県北安曇郡では、十日夜の月を「稲の月見」と呼び、この夜の月見と中秋の月見、後の月見とを合わせて三月見と言うそうです。この日には、お月様と田んぼの案山子に餅一ずつ供えるのだとか。「稲の月見」は、もしかしたら刈り上げられ、稲架に掛けられた稲が月を眺めるということからでしょうか。それにしても、お供え物が「餅一つ」とは、少々さみしい気がしますね。さて、稲の月見ではなくて、人の月見を考えると、この三番目の月見はちょっと辛いです。だって、寒いですから。それでも、この時期の空は澄んでいますから、お月様の光は冴えています。防寒対策をバッチリ行って、冴え冴えとした初冬の月見もよいかもしれませんね。

◇お月見の月は「うお座」に在り
 中秋の名月、後の月、三の月の三つの月はその形は少しずつ違っていますが共通点もあります。それは見える位置。三つの月の南中高度は55°前後(東京で計算した値)でほとんど違いがありません。このように三月見の月の見かけの高度が同じになるのは偶然の一致ではありません。なぜなら、三つの月はいずれも星座で見ても同じ星座にあります。星座の星は天球上で位置を変えない(数百年程度では)ものですから、三つの月が同じ星座にあるということは、三つとも天球上では同じ位置にあるということが出来ます。三つの月の宿る星座はなにかというと、その星座は「うお座」です。なぜ三つの月が同じ星座にあるのかというと、三月見の日付の間隔が関係してきます。三月見の日付は、旧暦で八月十五日、九月十三日、十月十日。旧暦の暦月の日数は29日ないしは30日、平均すると約29.5日。この平均の旧暦月の日数から考えると

 中秋の名月から後の月までの日数・・・29.5 - 2 = 27.5 (28日)
 後の月から三の月までの日数  ・・・29.5 - 3 = 26.5 (26日)
 ※()は今年、20年の実際の日数

 この日数に意味があります。月が星座の星々(恒星)の間を一巡りする期間を恒星月といいます。この恒星月の長さは約27.3日。前述したそれぞれの名月の日の間隔とほぼ同じですから、名月と名月の間隔でちょうど月は、星座の間を一回りして元の位置に戻って来る。だから同じ星座に見え、そして同じ見かけの高さに見えることになるのです。

◇お月見の月は「春分点」に在り?
 「うお座」といえば、現在の春分点のある星座です。ということは、お月見の月は天の赤道と黄道が交差する春分点の近くにあることになります。ほー・・・と、一瞬賢くなった気がしましたが、これは考えて見れば当たり前のことでした。中秋の名月は言わずと知れた旧暦八月十五日の月。旧暦八月は秋分を含む月。つまりこの月のどこかで太陽が秋分点を通過します。次に十五夜の月はほぼ天文学的な満月に一致する月ですから、月は太陽と黄道上で反対の位置(角度でいえば、 180°離れた位置)にあります。秋分点付近にある太陽から黄道上で 180°離れた点といえば、春分点。つまり、中秋の名月の月は春分点付近にあることになります。後の月、三の月は既に書いたとおり、中秋の名月とほぼ同じ位置にありますから、こちらも同様に春分点に近い位置にあることがわかります。そんなこんなで、三つの月見の月は時期こそ違え、ほとんど同じ場所にある月を眺めることになるのでした。さてさて本日の十日夜の月、天気がよければ初冬の冴え冴えとした夜空に昇る月が楽しめることでしょうが、中秋の名月のころに比べると夜はぐっと冷え込みますから、お月見しようという方は、万全の防寒対策で臨みましょうね。(「2020/11/24 号 (No.5169) 」の抜粋文)

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今日(11/24)の夜空に見える月は【十日夜の月】です [かわうそ@暦]

◆今日(11/24)の夜空に見える月は【十日夜の月】。
旧暦では十月十日の夜の月であり、この夜の月を「十日夜の月」と呼びます。また、中秋の名月(八月十五日)、後の月(九月十三日)に対して「三の月」などとも呼ぶ月見の大正の月とされました。

◆お月様の基礎データ
・月齢: 8.9 (11/24 の正午の値)
・月出:11/24 13時37分 月没:11/25 1時21分 (東京での時刻)
・南中(真南に見える瞬間):11/24 19時25分 (東京での時刻)
・南中時の月と地球の中心距離は 402500 km (平均距離の 1.05倍)。

 月は平均より 18100km遠く、見かけの大きさはいつもより小さいです。お月様、見えるでしょうか?見えるといいですね。(「お月様のお知らせメール」の抜粋文)
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KAGAYA (@KAGAYA_11949) [twitter投稿]


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2020-11-23 [twitter投稿]



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イモカタバミ(芋片喰)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.11.18
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2020-11-22 [twitter投稿]



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ジュズサンゴ(数珠珊瑚)! [ヘッダー画像]

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撮影日:2020.11.18
散歩道
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勤労感謝の日は「十一月中卯の日」から [かわうそ@暦]

■勤労感謝の日は「十一月中卯の日」から
 本日は11/22、日曜日。明日は11/23、月曜日で勤労感謝の日です。ということで、本日は勤労感謝の日の話を一つ。勤労感謝の日の日付(曜日)を見て お、ハッピーマンデー!なんて思ってしまった方がいたら、違いますよ。形の上では確かに月曜日になってしまっていますが長い歴史と伝統を持つ由緒正しい祝日である「勤労感謝の日」を、どこの馬の骨ともしれないぽっと出の祝日とは格が違いますから、ハッピーマンデーだかなんだかの訳の分からない制度の影響を受けません。

 ※話の流れから「ぽっと出」なんて言ってしまった祝日の皆さん(成人の日・海の日・スポーツの日・敬老の日)ご免なさい。

 さて、由緒正しい祝日と言いました勤労感謝の日とはいったいどんな日でしょうか? 国民の祝日に関する法律の条文には「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とあります。「勤労を尊び」という祝日の意義は分かりますが、ではその日がなぜ11月23日という日付になったのでしょうか?

◇11/23 は戦前は祭日
 日付の手がかりは戦前の祝祭日にあります。現在勤労感謝の日がおかれている11月23日は戦前の法律では「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日となっています。この新嘗祭が勤労感謝の日と姿を変えたものなのでしょうか。戦前は祭日であった新嘗祭とはどんな日なのかというと「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」というものでした。なにやら天皇陛下が行う行事のようですが「新穀」の文字が見えています。勤労感謝の日の「生産を祝い」とつながっていそうです。勤労感謝の日の日付の意味を知ろうと思ったら、新嘗祭の日付の意味を知れば良さそうです。では新嘗祭とはなんぞやと云うと、これはたいそう古い行事。日本書紀によれば仁徳天皇の四十年には行われていたことになっています。「仁徳天皇」となると少々神話めいてしまって本当か否ということになりますが、神話ではなく史実となる時代でも天武天皇六年(AD 677)に新嘗祭の記録が残っています。

◇ちょっと寄り道
 さてここでちょっと寄り道。宮中で行われる新嘗祭の行事とは?宮中で行われる新嘗祭は、現在は宮中三殿の西の神嘉殿で身を清められた天皇が御一人で新米の御飯と粥、粟の御飯と粥、酒、鮮魚と干物、果物等々を天皇みずから竹の箸で柏の葉に盛り付け神座に供され、その後にこれを天照大神から新しくいただいたものとして、これもまた天皇自らが召し上がられるというものです。なお、この儀式は夕べの儀と暁の儀の二度行われるそうです。夕べの儀は午後6~8時、暁の儀は午後11~翌日午前1時に行われます。どちらの儀式も天皇のみが行うもので、皇太子ですら隣接した隔殿に陪席するのみという、大変神聖な行事です。私達の知らないところで、天皇陛下はいろいろな儀式を執り行って下さっているのでした。

◇新暦の日付に固定された新嘗祭
 さて、寄り道から本道(?)に復帰です。仁徳天皇時代には既に行われていた新嘗祭は、その頃からずっと、「十一月の中卯の日」に行われていました。「中卯」というのは、その月に入って 2度目の卯の日と云うことです。卯は十二支の一つですから卯の日は12日ごとに巡ってきます。

 11月 1日が卯の日だとすると、中卯の日は13日。
 11月12日が卯の日だとすると、中卯の日は24日。

 つまり、中卯の日は11月の13~24日の間にあることになります。1300年以上も続いた新嘗祭はその大部分は旧暦時代に行われていたわけですから新嘗祭の日付、「十一月の中卯の日」を考える場合には、旧暦の十一月の日付を考えなければいけません。では、旧暦の十一月とはどんな月か?日刊☆こよみのページの読者の皆さんならご承知のことでしょう。冬至を含む月であり、翌年の暦の計算の起点となる月です。日本の旧暦のお師匠様である中国の暦では、正月をどの月にするかということに関しては古い時代には王朝によって考え方に違いがあって、何度か変更があったのですが、正月をどこにするにしてもその元となる計算の最初に行われるのは「冬至を含む暦月はいつか」を求めることでしたから、暦の真の起点は「冬至を含む暦月」であったと考えられます。旧暦時代の暦で考えると、二十四節気の中気の一つである冬至の日付は平均すると11月の15日付近に来ることになります。勤労感謝の日の元となったと考えられる新嘗祭の日付「十一月の中卯の日」とは、大変重要な意味を持つ「冬至の日」を意識して定められたものだと考えられます。冬至の日は、太陽の南中高度が最も低くなる日。昼の時間も最も短くなる日ですから、太陽の力が最も弱まる日と考えらられました。この日に行われる新嘗祭の「天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す」という行事には、そんな弱まった太陽の力を復活させるために、今年一年の太陽(神)の恵みによって得られた新穀を捧げ、神と共に食することで、復活する太陽(神)の力を受け取るという意味があるのでは無いかと考えられます(共に食する天皇は太陽神、天照大神の子孫ということになっていますからね)。ちなみに十二支の「卯」は「草木が茂る、草木が芽吹き地を覆う」という意味を象徴するものですから、今年一年の太陽の力を復活させ、新しい歳の豊作を願う新嘗祭の行事に冬至に近い卯の日が選ばれたと言うことには呪術的な意味があったのでは無いかと私は考えています。

◇明治改暦後の新嘗祭の日付
 明治 5年まではこの通りの日に行われていましたが、明治 6年に日本の暦は太陰太陽暦から太陽暦へ改暦されました。いわゆる旧暦から新暦への改暦です。 改暦の影響は、いろいろなところに現れますがこうした伝統行事の日付をいつにするかも影響を受けることのひとつ。このとき新嘗祭の日付はどうなったかというと、「十一月の中卯の日」をそのまま新暦に当てはめたのです。そうしたところ、明治 6年の11月の中卯のが23日であったことから、明治 6年の新嘗祭は11月23日に行われました。さてそれ以後はと云うと、同様に中卯の日を求めてと云うことになると毎年祭日が移動してしまって不便であると考えたのか、この明治 6年の11月23日という日付に固定して、ずっと踏襲することになりました。と云うことでそれ以来新嘗祭は11月23日。そして戦後新しい祝日法が生まれたときにもそのまま踏襲されました。ただし日付は同じですが名称は現在の祝日法の政府原案や衆議院案では「新穀祭」、参議院案では「成人の日・若人の日」と違っていましたが、祝日法成立時には、勤労感謝の日となっておりました。どこで変わったんでしょうね。何はともあれ勤労感謝の日は、その年の収穫に感謝する日であり、ここからその収穫の元となる一年間の勤労に感謝する日となったというわけですね。私としては、新嘗祭の行事の内容から、今年一年の恵みに感謝すると言うだけで無く、新しい歳の豊作(あるいは繁栄?)を祈るという意味も何処かに残してくれたら良かったのになと思っちゃいました。欲張りかな?明日の勤労感謝の日、はただの「お休みの日」ではなく、その祝日の意味を振り返ってみては如何でしょうね。(「2020/11/22 号 (No.5167)」の抜粋文)

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