2020-11-06 [twitter投稿]
hippocampus460ヒメジョオン - 絵画風 https://t.co/4uHCXU8hDO @hippocampus460より11/05 17:38 hippocampus460『全てのGIFを焼き尽くす日』hippo@home|https://t.co/rwj2l0FC9u11/05 17:53 hippocampus460おはようございます!6時半起床、天気 /欠けていく凸月(6時52分、輝面比78%)視認できず。今日は宵月、月齢20.2。月の入:11時31分、月の出:21時30分です(北九州) /今朝の空は雲の割合が高いが一部晴れ間有り。PM… https://t.co/ahKFAmRURu11/06 07:05 hippocampus460『【知るなきにしかず】』hippo@home|https://t.co/f7jQKt95Rb11/06 13:29 hippocampus460『サフラン(番紅花)!』hippo@home|https://t.co/rkGFKbI9JC11/06 17:29 hippocampus460日中、晴れのち曇り。PM2.5のレベルは15(11→15)、AQI:良い /午前中、花公園に出かける。常連さんも来ていました(*^_^*) 園内を一周する。サフランをパチリ(*^_^*) 茶店で常連さんとしばらく談笑して帰宅する。… https://t.co/bLXgbsq1MC11/06 17:49
【知るなきにしかず】 [かわうそ@暦]
【知るなきにしかず】
知らない方がよい。知るには及ばない。《宋名臣言行録》
「知っておくに越したことはない」ということも多いですが、知らない方がよいことも世の中には、ままあります。この言葉は、宋の太宗(趙匡義)の時代に宰相を務めた呂蒙正(りょうもうせい)の言葉です。呂蒙正は、難関中の難関試験として知られる中国の高等官僚試験、科挙を33歳で突破(成績第一位)し、それからわずか11年で宰相まで上り詰めた新進気鋭の官僚です。当然これほどの異例の出世を遂げれば、それを妬むものも多かったはず。
もとより知るなきにしかず(固不如無知也)
は、呂蒙正が国政の担当者として廟堂に立って間もなくの言葉です。ある日、執政として宮廷に入った呂蒙正を、簾の陰からあんな奴が執政かと聞こえよがしに言うものがあったそうですが、呂蒙正は聞こえなかったふりをしてそのまま通り過ぎました。しかし、一緒に歩いていた同僚がおさまりません。何て失礼な奴だ。誰だったか調べてくる。と引き返そうとしたときに、呂蒙正が同僚を押しとどめて言った言葉が「知るなきにしかず」でした。多少の嫉み妬みは気にしなければよい。とはいっても、もしそれを言ったのが誰だったかを知ってしまえば、もう忘れることは出来ない。知らない方がよいのだと言うことです。もとより呂蒙正は、そんな嫉み妬みにへこたれるような人物ではないでしょうし、本人もへこたれない自信を持っていたと思いますが、そうは言いながら、知ってしまえば忘れることは出来ないという人の心の機微も知っているから「知るなきにしかず」と同僚を押しとどめたのでしょう。どんなによい行いだと思ってしたことでも、必ずどこかから非難されることはあります。陰口をたたかれることもあります。正しいことをしたという信念があれば、非難や陰口など気にしなければよいのですが、だからと言ってまったく気にしないでいられるほど、人間は強くありません。時には「知るなきにしかず」と聞かなかったことにすることが弱い人間を強くする方法なのかもしれません。(「2020/11/06 号 (No.5151) 」の抜粋文)
知らない方がよい。知るには及ばない。《宋名臣言行録》
「知っておくに越したことはない」ということも多いですが、知らない方がよいことも世の中には、ままあります。この言葉は、宋の太宗(趙匡義)の時代に宰相を務めた呂蒙正(りょうもうせい)の言葉です。呂蒙正は、難関中の難関試験として知られる中国の高等官僚試験、科挙を33歳で突破(成績第一位)し、それからわずか11年で宰相まで上り詰めた新進気鋭の官僚です。当然これほどの異例の出世を遂げれば、それを妬むものも多かったはず。
もとより知るなきにしかず(固不如無知也)
は、呂蒙正が国政の担当者として廟堂に立って間もなくの言葉です。ある日、執政として宮廷に入った呂蒙正を、簾の陰からあんな奴が執政かと聞こえよがしに言うものがあったそうですが、呂蒙正は聞こえなかったふりをしてそのまま通り過ぎました。しかし、一緒に歩いていた同僚がおさまりません。何て失礼な奴だ。誰だったか調べてくる。と引き返そうとしたときに、呂蒙正が同僚を押しとどめて言った言葉が「知るなきにしかず」でした。多少の嫉み妬みは気にしなければよい。とはいっても、もしそれを言ったのが誰だったかを知ってしまえば、もう忘れることは出来ない。知らない方がよいのだと言うことです。もとより呂蒙正は、そんな嫉み妬みにへこたれるような人物ではないでしょうし、本人もへこたれない自信を持っていたと思いますが、そうは言いながら、知ってしまえば忘れることは出来ないという人の心の機微も知っているから「知るなきにしかず」と同僚を押しとどめたのでしょう。どんなによい行いだと思ってしたことでも、必ずどこかから非難されることはあります。陰口をたたかれることもあります。正しいことをしたという信念があれば、非難や陰口など気にしなければよいのですが、だからと言ってまったく気にしないでいられるほど、人間は強くありません。時には「知るなきにしかず」と聞かなかったことにすることが弱い人間を強くする方法なのかもしれません。(「2020/11/06 号 (No.5151) 」の抜粋文)