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2020-11-01 [twitter投稿]



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アキノタムラソウ(秋の田村草)! [ヘッダー画像]

201020no33.JPG
撮影日:2020.10.20
福智山ろく花公園
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暦の解禁が十一月だった頃の話 [かわうそ@暦]

□暦の解禁が十一月だった頃の話
 お月見もハロウィンも終わって、さて次はクリスマス?そろそろ「年末」という言葉が気になり始める頃です。「年末」が近づくことが意識されるようになると、そろそろかなと思えるのが来年のカレンダーの発売。この感覚は昔も今もあまり変わらないもののようです。

◇暦の解禁は十一月だった
 昔々、まだ律令制度がきちんと行き渡っていた頃(少なくとも朝廷内では)次の歳の暦が出来上がるのは十一月一日(もちろん当時の暦の十一月)でした。平安時代初期の法典である延喜式(えんぎしき)の規定によれば、暦の制作責任者は陰陽寮(おんようりょう)の暦博士。暦博士は暦の原稿を作成して陰陽寮へ提出し、その原稿をもとにして陰陽寮職員が書き写して本に仕立てます。このとき作成される暦は、御暦上下二巻(天皇用)及び、中宮・東宮へ各二巻と頒暦百六十六巻(朝廷内外の諸官庁用)で、これがを奏進(天皇に献上すること)しました。この暦の奏進の儀式を御暦の奏(ごりゃくの そう)と言いました。そしてこの御暦の奏をもって、翌年の暦配布の解禁となります。と言っても個々で作られた暦は天皇と朝廷内外の官庁用ですから、一般では手に入りません。ではどうしたかというと貴族たちは陰陽師や暦博士(いずれも陰陽寮の役人)に個人的に依頼して書写してもらっていたのです(つまりコネですね)。この時代だと、一般庶民には暦など手に入らないものだったわけです。まあ、入手の必要もなかったのでしょうが。時代が下ってくると、流石に朝廷と一部の貴族だけが暦を持てばいいと言うような長閑な時代ではなくなりますから、頒暦分は手書きではなく印刷されるようになり、大量に作られるようになりました。この印刷の元締めを大経師(だいきょうし)といい、世襲されていました。こうして暦が印刷物となっても、暦の解禁は御暦の奏の伝統に則り十一月。この頃になると、やはり「こよみのページ作者」もそわそわしてきます。来年用の記念日データの調整やら、追加データを用意しておかないといけないなと。ちなみに、現在の「暦の解禁」は何時かといえばそれは多分、二月。二月の最初の官報で、次の年の祝日の日取り、二十四節気の日付などが正式に公示される日でしょうか。ちょっと味気ないかな?ただし、2020年、2021年辺りは、改元があったり、オリンピックの影響での祝日の移動があったりでなかなかすんなりとはいきませんが。今日は十一月。昔であれば御暦の奏の行われていたはずの日と言うことで、その昔を懐かしんでの「暦の解禁が十一月だった頃の話」でした。(「2020/11/01 号 (No.5146) 」の抜粋文)
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